1:「集団的自衛権論」の嘘
かつて、小泉元首相が「日本を守るために一緒に戦っている米軍が攻撃された時に、集団的自衛権を行使できないのはおかしい。憲法を改正して、日本が攻撃された場合には米国と一緒に行動できるような形にすべきだ」と述べた。
基本的にこの形で今後、集団的自衛権論議がなされる。
しかし、これが嘘、詭弁のたぐいだ。
日米安保条約第五条は「各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従って共通の危険に対処するように行動することを宣言する」と規定されている。この行動で憲法が邪魔になっていることはない。
つまり、「日本の管轄地に対し」、「外国が攻撃してきた時」の対応は現在の法体系で準備されている。
しかし、集団的自衛権で行おうとしていることは「日本の管轄地外で」、
コメント
コメントを書く賛同します。→ 内閣法制局というのは廃止していいと思っているので、あまり関心はない。何度も言っているように、法制局は立法府にこそ必要であり、これは明治以来の旧体制の名残である。by小沢生活の党代表 定例記者会見 http://www.seikatsu1.jp/activity/press/20130807interview01.html
政府は、「集団的自衛権は国連憲章で認められた権利」だと言うが、国連憲章に書かれている自衛権は、国連加盟国が「侵略を受けた場合」であり、侵略した「軍事大国が反撃を受けた場合」ではない。全く反対の意味にすり替えている。
常識で考えても、今の世界で、米国に正面から攻撃を仕掛ける国など有り得ない。
安倍政権が目指しているのは、米軍が侵略した地域で、自衛隊員が米兵の身代わりになることではないのか。
日本人は、米国の犠牲になるために生まれてきたのではない。
第二次大戦で敗戦国となって以来、日本は独自で武器を開発し、生産する権利を失って70年近くなる。全ての武器は米国の支給、ライセンス生産以外には認められない。そう言う国になった日本は幸せか?私は幸せだと思う。防衛という考えすら捨てるべきだが、米国に全てを頼っている関係上、米国から応分の寄与を、と言われれば応じるしかない。そこで、条約以外に具体的な取り決めをすることは、実務上当然でしょ。集団的自衛権の中には、中東派遣など、理屈上変なところがあっても小を捨てて大をとるしか、選択の自由のない日本としてはしかたがない。純粋の独立国似無か会う道はもっとせまく、比べようもなく危険な道だと言うことを悟るべきだ。日本の近代の歴史を読み返せば、いかに日本人が独りよがりの世間知らずかわかり、それが国民性として定着している以上、日本はひとり歩きしない方が安全だと知れ。
純粋の独立国似無か会う道ーー>純粋の独立国に向かう道
集団的自衛権と集団安全保障体制の違いを短く、わかりやすく、上手に説明したい。大衆がこれを理解すれば後者を選択するようになるでしょう。
これには言葉の問題が大きいと感じます。「安全保障」といえば安保条約を連想する、「自衛」といえば自分で自分を守ることだから、字面と内容がまるで逆というわけ。
合衆国の走狗となる為の集団的自衛権って奴みたいなのですがw
合衆国政府自体が既に民主主義の象徴ではなく新自由主義の使い走りになっているという現実。
オバマは完全にウォール街と多国籍企業の利益のためにだけ動いているというのが本質でしょう。
世界の軍事費の半分は合衆国、税金が軍産複合体に流れているのが合衆国政府の予算編成。
此れではさすがにかなわないと日本にも軍備を買って合衆国の軍需産業を設けさせろとw
その上兵器使わないと生産に支障が出るからとあちこちで戦争を起こして自国の若者だけでは飽き足らず
日本の若者も差し出せと言っているのが今の合衆国。
合衆国で99%が犠牲になって1%を儲けさせるというのが、グローバリズムの波に乗って世界に広がってきているのが現代社会です。
人の命もお金のためには消耗品という世界ですね。日本政府の福島原発の処理を見ても似た者同士かもしれませんけれど。
合衆国で過去20年で起こっていることがこのまま日本で起こるのでしょう。
合衆国についていけば安全で守ってもらえるなんておめでたい人がいっぱいいるんでしょうね。
天は自ら助けるのもを助けるんでしたよね。
自立した国家であることを望みます。