安倍政権のマスコミへの圧力のかけたかがますます異常化している。
大手マスコミは現状を報道していくべきだ。「表現の強要」という驚くべき要求に応じたりしているから恥ずかしくて書けないかもしれないが、放置していたら大変なことになる。
このまま行ったら、日本は全体主義国家になる。
マスコミは何の役割を担うか。
どこの国もマスコミは「統治の道具」という側面を持つ。
それだけに、ジャーナリストは「新聞は社会の木鐸たれ」というスローガンを掲げ、「統治の道具」「統治の犬」になることを戒めてきた。
しかし、今それが完全に消滅しかかっている。
私達は言論弾圧があった、戦争に突っ走った1930年代何故あんな事件が起こったかをいぶかってきた。しかし、それと同じ社会現象がおきている。
保阪 正康氏が今の日本は異なる見解を持つ者に対して、簡単に「国賊」のレッテルを張る等、1930年代の日本に似てき
コメント
コメントを書くここでは、主導的な政党(即ち与党や資金力のある政党)のジャーナリズムに対する圧力について論じているが、一方、ジャーナリストの横暴、独断も相当なもので、昔から「書くぞ」とい脅しは常にかなりな影響力を持ってきたのは周知のとおり。ジャーナリストの多くはその故に、言論の暴力団とも言える。したがって、庶民はその2勢力の間で配給された情報を見たり読んだりするだけで、真相をバランス良く知ることはかなり難しい。自分だけ解ったような顔をしているエリートジャーナリストは、幼稚な表現力しかない政治家よりはるかにたちが悪い。自分たちが官僚や政治家になるだけの能力が無かったくせに永年政治家に付き合っているうちに、自分の方が能力があると勘違いして、政治家を馬鹿もの扱いしているのは、全く身の程知らずでみっともないことに気が付いていない。
新聞・雑誌の読者、テレビの視聴者の立場からすると、できるだけジャーナリストの意見・主張が入らない、ただの事実報道だけを読み、解釈は自分で考えるという、自衛手段しかない。
日中戦争における南京での全く不必要な虐殺についての当時の朝日新聞の報道も欧米とは対照的だった。声高に勝利を叫んで中世レベルの軍を無批判に礼賛し、部数を伸ばす日本メディアと殺戮を非難する欧米メディア。小沢先生は「国民のレベル以上の政治家は生まれない。」と仰ったがいわんやマスメディア関係者をや。山本太郎参院議員への週刊誌の誹謗中傷を見ると以前は苦笑で済んだが今は堪らなく悲しくなる。