クリミア問題の本質は次の経緯をたどったことにある。

   ウクライナではEUとの関係を強化しようとする政権と親ロシアを追求する政権と入れ替わってききていたが、2010年の選挙でヤヌコビッチがユーリヤ・ティモシェンコを破り政権の座に就いた。

   ウクライナは2013年に欧州連合との政治・貿易協定の仮調印を済ませたが、ロシア寄りの姿勢を見せるヤヌコーヴィチはロシアからの圧力もあり調印を見送る。

   これに対し欧州連合寄りの野党勢力から強い反発が起こり、ウクライナ国内は大規模な反政府デモが発生するなど騒乱状態に陥った(2014年ウクライナ騒乱)。事態収拾のため2014221日には挙国一致内閣の樹立や大統領選挙繰り上げなどの譲歩を示したがデモ隊の動きを止めることはできず22日に首都キエフを脱出した。

    一方、この時期、ソチオリンピックが201427日から23日まで