ここの所、品性のないヤジが目立つ。なんとその先頭に安倍首相がいる。
A事実関係
1:安倍首相のヤジ
19日の衆院予算委員会で、民主党の玉木雄一郎氏が、西川公也農林水産相の「政治とカネ」問題を追及していたところ、安倍晋三首相が閣僚席から「日教組(日本教職員組合)はどうするの」などとヤジを飛ばし、一時紛糾した。
首相はどうやら、かつて北教組(北海道教職員組合)の違法献金事件で民主党議員が辞職に追い込まれた件を指摘したかったようだ、真偽は不明。玉木氏は日教組とあまり関係ないだけに「日教組の話はしていない!」と血相を変えて反論し、第一委員室は一時騒然となった(産経新聞)。
2: 共産党の志位和夫委員長に対し「さすがテロ政党」とやじを飛ばしたのは、自民党の山田賢司衆院議員だったことが19日、分かった。山田氏は同日に国会内の共産党控室を訪れ、発言の撤回と謝罪をした やじは、志
コメント
コメントを書く安倍晋三、河村たかし氏は、言論の自由をはき違えています。言論の自由は憲法、法律、条令を守ったその中での話です。議場でのヤジは禁止されているはずです。その上、彼らはその場の最高責任者です。両名は自分の身分・地位は法律で守られている、命も護衛で守られていることも分かっていないらしい。憲法、法律、条令が有るからあなた達は総理大臣であり、市長なのです。それがなければ、あなた達はそこにいられないのです。
議場でのヤジが許されていない中で、大声で騒ぐのは明らかに罪です。彼らは、これも分かっていないから騒ぐのです。だから両名とも、憲法九条など護る意思も持ち合わせていないのです。彼らの発言内容以前の問題で、お忙しい孫埼さんが提言されるには最低レベルの討議になってしまいました。
安倍総理だけでなく、人の話をよく聞くことができない人が多くなっています。話を聞いてほしい人ばかり、話を聞いてほしければ、聞くことに注力できるようにしたいものです。自戒の念を込めて。
>>17
「憲法停止」ですか。予想もしていなかったです。その手もあるのですね。今の日本は、何が起こるか分かりません。人工地震、テロ、銀行閉鎖、国家財政の破たん、事変、戒厳令、有名人の逮捕、誰が起こすか分かりませんが、絶対ないとは言い切れないと思います。ぞーとします。
だから、今すぐリベラル新党の結成を孫埼さんにお願いしています。国民が団結してこのような芽を、一刻も早く察知してつぶさないとえらい事になります。
1992年5月細川さんが日本新党を立ち上げました。党の運営は代表である細川の人気と人脈に頼った「個人商店」とも揶揄されたものであり、政治経験の少ない議員が党を主導するという体制では無く、党事務局が党を主導していく体制であった。また、党の運営資金は細川が自宅や別荘等の私財を担保に借金して作った資金を党に提供したものが主なものであった。そして、やがて非自民・非共産8党派連立内閣ができました。・・・・・これは23年前の出来事です。あっと言う間の政権奪取でした。(ウィキペディアより抜粋)
やればできると思います。今、既成政党のほぼ全部が腐りかけています。私は自給農をしていますが、腐った芋、種からは芽が出ません。日本新党は腐っていなかったから、国民が期待したのです。多くの国民が期待する、リベラル新党はその後出ていません。市川房枝さんも手づくり選挙でした。マハトマ、ガンジーも活動中布1枚しかまとっていませんでした。金、地位に頼っては良い政治はできません。市川房枝さんの理想選挙を今、実践しょうではないか!
「桃李ものいわざれども、下おのずから蹊を成す。」中村春二先生も草葉の陰でお嘆きでは。
腐った芋、種からは芽が出ないという話はなるほどと思った。生命を生み出すものは健やかでなくてはならない。少なくともほがらかで生命力に満ちていなければならない。そういう意味ではヤジを飛ばし合う姿は腐ったみかんみたいなものかも知れませんね。賢い人間は人を非難する傾向がある。それが悪いとは思わないが、生命を生み出す力は別のところにある。君が生き生きとした人生を生きたければ、そこからはなれなくてはいけない。賢くもないくせに腐ったみかんのような賢い人生の先には何の充実感もない人生しかない。そのことを人の言葉としてではなく、自分で悟らなければ、多分未来をつかむこともないだろう。悪いとは思うけれど、多分そういうことになると思う。
>>24
余計な独り言ですが、普通は、孤高の境地の世界のお話でも、我々庶民の現実の喜怒哀楽、愛憎の世界が一緒に浮かんできて、心が揺り動かされるのですが、一人思索の世界に沈潜すると人間味が薄れてくるのは致し方ないのでしょうか。
>>25
余計な独り言といわれればそうかもしれませんね。ネットの書き込みなどその程度のものです。それも十分認識しています。人間味が薄れてくるのと孤独は全く関係ありません。むしろ狡猾さとの関係の方が問題でしょう。自分は感情を切り捨てるということはしませんが、ダメだと判断したら未練は捨てます。感情に溺れると難破します。テンペストの世界ですね。荒れ狂う自然、それを制御しようとする人智。それ自体当然のことですが、自然を管理できるしそれが理想郷だと言うのは間違いだと思います。生命力の源とのパイプが切れて痩せ細ってやがて腐ってくるからです。もののけ姫の世界ですね。ダメなものはダメだと判断します。それが冷酷といわれれば、自分は冷酷な人間です。
>>26
孤独とは言っていませんよ、孤高の世界と言っています。
23歳で、ご自分が納得しておられればそれほど素晴らしいことはありません。お恥ずかしい話ですが、社会の不合理に対し、私の75年の人生経験の中で、30歳ぐらいまでは、理想と現実の中をさまよっていました。現在は、現実を肯定しながら、修正する、修正しながら現実を肯定しています。
関係ないかもしれませんが、ヤワタノオロチが荒れ狂う斐伊川の自然を象徴しているとして、スサノウはヤワタノオロチに酒を与えました。荒れ狂う自然は盲目なので、いくらでも好きなものを与えるといいと思います。それがたとえ自分の大切な物であれ、自分が最も憎むものであれ、関係ありません。そこはスサノウの庭なのです。
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を
スサノウはそのことによって自分が守るべきものを守った。それは官僚主義の理性とは少し違っています。