普段は伊豆の山奥に暮らしていたり、日本各地やヨーロッパでの坐禅指導など遊行を続ける老師にお目にかかれる機会はめったにないらしいのですが、今回は特別に作家の田口ランディさんのお声がけにより実現したそうです。田口さんは対談集『仏教のコスモロジーを探して』でも村上老師と対談されており、息の合った二人の掛け合いは、笑いが絶えない楽しいものでした。
講演に先立ち、最初に参加者みんなで「荒城の月」や「ふるさと」など懐かしい歌を老師に捧げるという、すてきな趣向でスタートしました。
その後、寄せられた質問に老師が答えていくという、ブッダが行ったのと同じ対機説法の形式で法話が行われました。老師の回答は、軽妙かつ縦横無尽、ふわふわと漂ったかと思うと、寸鉄人を刺すような言葉が打ち込まれたり。一同大笑いするような瞬間もあれば、深く沁み入るような重みのある言葉に、皆静かに耳を傾けることもありました。
老師がいる空間は不思議な透明感と独特の明るさに満ちており、その「明るく軽やかな感覚」は翌日になっても持続していました。言葉を超えて老師から放たれる命の光のようなものに、誰もが浄化され、癒やされていたように思います。
予定通り3時間の法話が終わったあとも、老師の前に並ぶ人々は絶えることなく、老師はさらに3時間にわたって一人ひとりと対話を続けられたそうです。その空気感を少しでも感じていただくために、特に印象に残った言葉の断片を写真とともにお届けします。
老師との対話
坐禅って、人間が仏さんになるんだから。
「楽しい」が幸せとは違うんだよ。「幸せ」が楽しいんだよ。
追い詰められたというのは、 追い詰められたという夢を見ているのといっしょよ。 (信頼していた人に裏切られて、立ち直れないという人に対して)
「仏さんを信用する」とか「信頼する」とか、そんなのインチキだ。お母さんを信ずる赤ん坊どこにいる? 抱かれてすやすや寝ているのが本当の信仰なんだ。それしかない。
始めは坐禅が辛かった、足がねじ切れるようで。1日8時間坐って、外へ出たら、今までとはまったく世界が違う。緑色じゃない、緑の光。青色じゃない、青い光。こんなに世界ってきれいだったかなと思った。
失礼な言い方かもしれないけれど愚問だ。菩薩の願いの海をずっと無限に泳ぎ続けるだけ。 (「老師がこれからやろうとおもっておられることは何ですか」という問いに対して)
子宮というお宮に神さまがいらっしゃるから子どもを授かるんだよ。命は人間にはつくれない。生まれるの。
コーラス。多くの人がハモるとひとつの響きになるでしょう。あのときの幸せ感が慈悲の心。
災難に遭うときには災難に遭うがよく候。どんな子どもが生まれても、どんな子どもをいただくことも避けないように。大事な大事なわが子ですから。 (ダウン症の子を持つ母親に)
食べ物から始めればいい。大自然や神様から「賜る」が、「食べる」になった。だからいただきますという。 (「自分の命をもっと大切にするには何から始めればいいでしょうか?」という質問に対して)
坐禅中は玄米に大豆を入れて、生の大根葉を食べて、そこにすりごまをかけて、わかめを水に漬けて、それに梅干しを添えて。これだけしか食べない。
生まれる人はいるし、亡くなる人もいる。生まれた日はわかっているけど、亡くなる日は分からない。過去のことは分かるけど未来は分からないようにできているから楽しみ。
上村遼太くんの不思議な話
村上老師は、私たちが暮らしているこの世界からは見えない世界に暮らしているようです。それは、五感や通常の意識を超えた魂の場所で、私たちは生まれ変わりを繰り返し、その世界に出たり入ったりしていると語ります。そんな老師のもとでは、人智を超えた不思議なことが起こります。
ここで紹介するのもその一つ。かつて世間を賑わした事件の被害者の男の子「上村遼太くん」が、明け方に老師の枕元に立って供養を願ったという話です。ちょっと信じられないようなエピソードですが、老師の口から聞くと、真実として伝わってくるものを感じます。ぜひ、直接老師の語りを聞いてみてください。老師の語りはこちらから。
音声を再生するには、audioタグをサポートしたブラウザが必要です。僕のところにね、信じられないかも知れないけど、多摩川でカッターナイフでめちゃめちゃにされた子どもが......テレビを見てないから知らない人。僕は朝3時に目が覚めるんだけど。誰か分からないけど、最初は少年と思わなかったな。なんという色か、鉛色というか、なにかただ事ではない。ぼうっとじゃないのよ、幽霊じゃないから、はっきりシワ一本全部。
目瞑ったままやろ。ただ事ではないなと思って、どうしようと、寝たままで「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏......」。お十念という法然様のね、「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏......」。もう汗ぐっしょり。頭に、可愛い半ズボンはいた男の子が、きれいな白い肌で目のきれいな子だった。すーっと行ってね、嬉しそうにね。なんか、きょろきょろっとして消えていった。ああこれで成仏したなと思った。
翌日天気予報見ようと思って、その子が出てきたじゃん。あれ、上村遼太くん。隠岐の島の子だね。あの半ズボンは隠岐の島の小学校の制服だ。隠岐の島にお墓参りに行ってやりたいと思っている。
(リンクより音声引用)
おわりに
楽しくて、あっという間に過ぎてしまった3時間でした。それから数日経ってもなお、老師の言葉がどこかで響いているような気がします。もしかして、それは言葉ではなく、老師から放たれる明るい光のような「なにか」の響きを味わっているのかもしれません。その光の一端でもお伝えすることができたなら幸いです。
今回貴重な取材の機会を与えてくださった主催者の森竹ひろこさん、どうもありがとうございました。
<プロフィール>
村上光照(むらかみこうしょう)老師:1937年高松生まれ、京都大学大学院で 湯川秀樹の指導を受けて原子物理学を研究。その傍ら、澤木興道(さわきこうどう)老師のもとに参禅、のちにその門下で出家得度。現在も寺を持たず、日本各地とヨーロッパでの坐禅指導を続ける。現在は大井川山中の山奥に大規模な道場を建設予定。
田口ランディ:作家、東京生まれ。コンセントがベストセラーとなり、以後社会問題や人間の心をテーマにフィクションとノンフィクションを執筆しながら幅広い活動を続けている。仏教関係の著作としては『仏教のコスモロジーを探して』や『逆さに吊るされた男』など。
主催:スワリノバ 森竹ひろこ
photo:eiichi matsumoto