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山本家の危険な子育て
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山本家の危険な子育て

2023-02-22 15:30
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     長文すみません。

     運用と同じで、子育てにはこうしたら上手くいくというノウハウはありません。子育てはどの家庭も試行錯誤だと思います。我が家の子育てもひとつのケースに過ぎません。

     真似しようとしても真似できるものでもないですし、子育ては真似すべきものではありません。それぞれの家庭が試行錯誤しながら編み出してくものでしょう。

     ただ、子育てにお金をかけなかったという意味においてのみ、老後2000万円問題へのひとつの事例になるかもしれないと思い執筆しました。

     4人の子育てで全員、公立保育園、公立小学校、公立中学校で、その後、都立高校(下の3人)、国公立大学(上の3人)という流れになっています。
     長男次男はそれぞれ医者と法曹(弁護士か裁判官)。三男はパイロット志望、四男はホリプロからスカウトされていますが1年後に大学受験。
     一言でいえば子育てにはお金はかかるが、実際にはお金をかけないやりかたもあるし、むしろお金をかけない方が上手くいくかもしれない。
     うちがそうでしたから。


     江戸川区で暮らし始めておよそ30年。
     東京生まれの我が子4人の子育ては悪戦苦闘の連続でした。

     4人の息子がいる、わたしの子育ての目標は「カッコいい男を育てること=リーダー教育」でした。
     妻の子育ての目標は「自力で生きていける人間に育てること=人間本来の意欲を持ち続ける善良な人間になってほしい」でした。


    =方針その1 ジャンクフードから身を「守る」=


     さて、わたしの作戦ですが、都市に住んでいる以上、流通食品の添加物なしで暮らすことはできません。しかし、なるべく化学物質を口に入れないような工夫をすることでした。
     大いに活用したのは生協でしたが、スーパーやコンビニでお菓子を買わないように注意しました。

     その中で最大の困難はお菓子を買い与えないことでした。
     ジャンクフードからの決別。我が家の子育て方針でした。


    =方針その2 モノはできるだけ与えないようにした=


     妻は「子供をスポイルしたかったら子供がほしいものを何でも買い与えればよい」という考えでした。一理ある含蓄のある言葉です。

     妻は愚直に子供がほしいものを簡単には与えないという徹底した戦術をとりました。

     たとえば、おもちゃは与えない。お小遣いもなし。
     テストでよい点とってもご褒美はなし。
     電車ではいくら席が空いていても立たせました。
     大人が仕事のために移動している。子供は電車にそもそも乗る必要はない。
     子供のうちからシートに座るのは好ましくない。
     優先席でお年寄りを立たせてふんぞり返る若者を見ると一言文句を言わずにはいられない。
     自分の子がそのようにぐーたらに育ったら「子育ては失敗した」と考えてしまうでしょう。

     妻も子供のとき、電車内で座ることは許されなかったそうで、そこは夫婦の意見が合いました。妻は大人の通勤時間に子供は電車にさえ乗るべきではないとして、大切なスペースに子供が浸食したら大人に迷惑がかかるのでという理由をあげた。
     そういう考えもあるのです。


    =余談 大量に与えてしまったもの 絵本=


     都市部に住む以上、自宅のスペースは限られます。
     子供になにも所有させないというのが大方針でした。
     たとえば子供用の勉強机。買った瞬間に不良財産化することが明確にわかるものです。もちろん、一人っ子やふたりっ子ならば、わたしたちも子供部屋をつくってあげてもよいと思ったかもしれませんが、川の字になって家族6人が寝たり、夜寝るときは昔話を子供に聞かせてあげたりしたりすると、家の共用スペースで共同生活をする方が楽しいことに気が付いていったわけです。

     妻は苦々しく思っていましたが、わたしは絵本のまとめ買いが好きで面白いのがあるとシリーズで揃えていました。落語の絵本などもシリーズがあるのですよ。
     沢山の絵本の中から、4人の子供がそれぞれひとり一冊好きな本を選ぶ。
     寝る前に4冊の絵本を読んでいました。4人分ですから、1時間ぐらいはかかります。うちの子供たちは沢山絵本があって、兄弟が多くてよかったと思ってくれたと思います。

     子供の勉強机について。
     古い話ですが、わたしは小学校進学時に両親から個室と勉強机を与えられました。しかし、白状すると、その机で勉強をしたことはありません。
     わたしはものを片づけることが苦手です。わたしの部屋はいつも足の踏み場がない汚い状況でした。これが6才から18才で実家を出るまで続いたのです。
     あの机。あの部屋。本当に汚かったなー。

     それでは子供は勉強するときどうするのか。その心配は不要です。
     勉強などしませんから。
     やるなら早く学校へ行って教室でやれといっていました。


    =なければないで子供は勝手に自ら工夫する=


     ただ、中学生になれば共用のダイニングテーブルで勉強するか、段ボール箱を工夫して自分で机をこしらえていましたね。何も与えないとなぜかクリエイティブな子供になります。
     塾も親が無理に行かせても無駄です。やる気があれば別ですが、やる気がない子供に私立中学や私立高校などは贅沢すぎる。塾などは金をドブに捨てるようなものと感じていました。
     あの学校にどうしても行きたいとか、どうしてもこの分野を勉強したいと子供が自分から思える場合は応援したいのですよ。でも、残念ながら、勉強なんて、よい教科書と根気さえあれば自分の力でできるものなのです。
     甘えちゃいけない。わからないならばわかるまで考えろと伝えました。
     どうしてもわからないなら先生に聞けと。


    =方針その3 塾なし&お受験なし=


     プレゼントなし。お小遣いゼロ円。習い事なし。塾なし。お受験なし。
     全部なしでした。
     必要なときは子供からの申告を妻が受ける。妻はレシートを求めました。

     これをわたしは最初、「子供がかわいそうだ」と思う気持ちがありました。
     しかし、妻はこれでよい。「あなた、子供をダメにしたかったら、なんでも与えていいわよ」というのです。

     お受験なしについては後述。
     地元のスポーツチームに所属していると、塾にいかせるのはとても無理でした。
     結果としてお受験は物理的にできなかった。


    =余談 危ないこともときには必要=


     子供などは小学校6年までは勉強よりも遊びの方が大切ではないだろうか。
     特に危ない遊びこそ子供はやりたがる。男子の場合、石をぶつけあうぐらいの遊びはすぐに思いつきます。危ないからこそ面白いし真剣になるわけです。運が悪いか運動神経が悪いか不注意だと頭に当たって血がでてしまいますが、子供の投げる石の衝撃ぐらいではたんこぶになる程度ですみます。

     習い事もなし。
     「小さいときに才能を開花させよう」と親は子がかわいいのでどうしても考えてしまうものです。小さい頃からやらなければ身につかないのが絶対音感とか器楽演奏。七田式とか速読とか英才教育、幼児教育にはわたしは多大なる関心があったのですが、妻は絶対に反対。子供を自分の道具にしてはいけないと。

     親ならば親こそ自分の才能を開花すべきでしょうかね。親になると急に年寄になった気になりますが、子供が保育園のときは、親はすごく若いお母さん、お父さんなのです。
     まだまだ自分のことを向上できる年齢です。子ではなく親が自己研鑽すべき。

     親は自分ファーストでもっとよい。
     子供を自分の夢にしては子が苦しくなるのではないか。
     子供は子供の人生を生きる。親は親の人生がある。
     親は親の夢を掴めばよいでしょう。

     子は外で泥んこになり、真っ黒になって戻ってくる。
     わたしたちの息子は4人いますが、全員、公立の保育園育ちです。
     なぜ保育園か。長い時間預かっていただけるからです。
     そして保育園はありがたいことに余計な教育はしない。
     たとえば文字などは教えない。小さいときに本など読んでいては目が悪くなるわけですから。小さいときは体をつかって友達と大いに遊ぶのが自然です。
     遊びを自分たちでクリエイトすればよいのです。

     わたしの非常に強く抱く印象ですが、いまの大人は子供を過剰に注意しすぎるのではないか。
     あれもこれもダメ。子供同士が喧嘩しそうになると親が止めてしまう。
     もったいない。
     折角、喧嘩の練習をしているのです。
     それを親が止めると子供は自分で喧嘩の収め方を学ぶことができなくなる。
     喧嘩して友達と絶交。でも仲直りする。
     その繰り返しの中で人間として成長していく。

     商業施設にプレイロットがあり、平坦で安全なマットレスが引いてあり布製のブロックなどが置いてあるような与えられた試験管のような安全な空間でクリエイトな発想は得られません。
     また、相手の親がすぐに子供がけんかする前に止めてしまうのでわたしはそういう空間にはいきませんでした。安全なところは過保護な親の巣窟になっている。屋外で登れるかわからないぐらい高いところ(例えば塀)に上ってジャンプするとか、そういうことが俊敏な子供をつくる。

     子供は親の見ていないところで体をぶつけながら喧嘩をやり合うのがもっともよいわけです。けんかはどんどんやればよい。

     うちの子たちは頭をそれぞれ3回ぐらいは怪我をして針が入っています。
     血だらけになっても平気な顔をしていました。
     かえってきて、血がすごいけど平気とか言っていました。

     怖くて心臓がバクバクするような体験を子供同士でするのはよい。
     崖とか岩だらけとか足がつかない海とか、そういうところがもっともよいわけです。運動神経がよい方が頭がよいよりも女子にモテます。
     運動神経がよくなるためには平坦なところでまったりしていてはだめで、山や海のような凸凹の環境の方でジャンプしている方が神経はよくなるわけです。


    =地元の野球やサッカーチームに子が入りたがる 親が一番大変な時期=


     小学生の3年生ぐらいになると、みな、サッカーや野球などのスポーツをやりたがります。友達に誘われるからですね。
     都内では思い切り打ったり走ったりできるのはグラウンドぐらいです。

     その際、妻は、すぐに入部を認めない。
     半年以上、子供が言い続ける場合に限り認めるという妻ルールを設定しました。子の本気度をチェックしているわけです。
     子供の「野球やりたい」という要望は単なる思い付きかもしれない。単なる思い付きに付き合うほど大人は暇ではない。親が子供のスポーツに付き合うのはめちゃくちゃ大変なのです。

     それでも結局は、うちは長男と次男は野球。三男がバレーボール。末っ子はサッカーをやりたいといったので、地域でもっとも強いチームに入れました。
     補欠ならばやめるだろうし。レギュラーなら優勝が期待できる。
     このころのわたしはもっとも体力的にはきついものがありました。野球チームのコーチはなるものではありません。朝は早く夜は遅い。土日は完全につぶれてしまいます。日焼けして真っ黒になってしまう。太陽にやられて顔面シミだらけになります。


    =余談 薄着奨励=


     学力も大事ですが、体力があってこその学力。
     そのための薄着奨励。
     三男などは、真冬に半そで半ズボンで平気でした。
     本人が好きでやっているのに、近所からは「あの家は子供を虐待している」とうわさが立ちました。
     何事も周りは適当なことをいうだけ。
     周りの意見など気にしていては何もできません。


    =方針その4 可愛い子には旅をさせる=


     わたしは飛行機に子供だけを乗せて小学生だけの旅行を彼らが小学生のときにさせました。かわいい子には旅をさせろとよくいいますね。
     空港まではつきそいましたが、CAがそれはもう献身的に面倒をみてくれます。親が子供を連れて家族旅行というものも我が家では年に2回ほどやりましたが、それは、わたしの親としての自己満足でした。
     本当は子供だけで旅行させるのがよほどよいでしょう。

     旅行先ですが、わたしは学生時代の先輩の鍋田さんに預かってもらうようにしました。
     うちの子、2週間預かってくれませんか。
     そうすると鍋田さんは空港に迎えに来てくれました。
     シュノーケルで子供たちと日本海の岩場で潜り、山に行き、屋外でバーベキューをしてくれました。
     鍋田さんは不登校児を預かって大学に進学させるという塾を経営しています。
     わたしが80年代に4年間フルタイムに近い形で働かせてもらった塾です。

     朝起きる。
     6時に冷たい水で顔を洗い、早朝マラソンをする。
     結局、長男は自宅から勤務先の病院までいまでも早朝マラソンをしています。
     かれこれ14年近く継続しています。
     早朝マラソンによって、内観が鍛えられることはあまり知られていません。
     内観とは客観的に自らの生き方を鑑みることです。
     大切なことは生活習慣なのです。
     長男は鍋田さんを頼りに高校生になると、自分の親友と勝手に鍋田さんのところに何度も遊びにいって塾を手伝ったりしました。
     親子二代でお世話になったわけです。


    =プライオリティ一位 公立保育園・公立小学・公立中学の14年間が人生の宝=


     わたしは公立中学校が大好きでしたので、子供は4人とも公立中学校に行きました。できれば指導力のない先生に当たってくれと祈っていました。
     後は悪ガキやいじめっ子がいればよいなと願っていました。

     公立中学のよさは保育園から中学まで一緒に時間を過ごす幼馴染が多数いることです。彼ら子供たちにとって、真の人生の宝物なのです。
     また、多様性がある。いろいろなご家庭がいる。
     そしてとても地域色が豊かです。地域とつながっている。
     子供たちは地元のスポーツチームに5年単位でお世話になっています。
     小学校の低学年から中学3年まで、地元出身の監督やOBコーチのお世話になったのです。監督の江戸川区の昔のやんちゃ話はとても面白いものがあります。真夏の過酷なグランドで一日2試合を行い、よいゲームをすればこちらも嬉しく、悪いゲーム(気の抜けたプレー)をすれば説教。グランドずっと走っとれ!!という時代です。

     この地元での14年間(保育園5年、小学校6年、中学校3年)の最後の仕上げが地元の公立中学なのです。本来は公立高校も地元にあるべきなのですが、こればかりは都の制度なので諦めるしかない。
     幼馴染たちは高校ではバラバラになってしまう。バラバラになっても、この14年間の絆はとても強いものです。うちの4人の子供たちはいまでも毎年、正月とか夏休みには幼馴染たちと集まっています。
     いつまでたってもこの関係は続くでしょう。

     親ができることは、この14年間の地元や幼馴染たちとの絆を深めてあげることです。


    =方針その5 自然にやりたいことが生じる思春期まで待つ=


     小学校までは子供たちも精神的には幼く、自分の判断というものに自信が持てないのです。
     しかし中学2年ぐらいになれば、初めての人生の難関となる高校受験を意識するようになる。その頃、反抗期を迎えるし、ようやく自我というものが生じてくるでしょう。
     子供の発育を待つという姿勢がある方が教育は上手くいきます。
     本人に自分を内観させるというのが無理のない教育だと思います。

     自分は将来何をしたいのか。そのことを考える時期になります。
     長男は中2のときに、野生の鷹を助ける北海道で獣医になるという夢を持ちました。
     わたしたちはその夢が自然に出てくるまで「待つ」しかないのです。
     やりたいことがないかとよく親は子に聞きたくなるものですが、やりたいことなど、それほど簡単に決められるものではないですよね。
     次男も中2のときにNASAの本を読んで宇宙関連の仕事に就きたいという夢を持ちました。ハワイの天文台にいくプロジェクトがある高校に進学して、ハワイ大学の先生たちと英語でディスカッションしてスバル天文台の方々のお世話になりました。しかし、最終的には国家官僚になって日本を変えたい。いや、やっぱり裁判官で夫婦別姓などに取り組みたいなどと夢は変わっていくものです。
     そのたびに、いいじゃないか、いいじゃないかと親は子供を肯定してあげればよいのです。

     やりたいことがないというのが自然で、大人になってから見つかるのでも全然遅くない。無理にやりたいことを見つける必要はないでしょう。

     中2とか中3になると、感受性も豊かに備わってきます。
     友達に降りかかる不幸を見過ごせないという気持ちが生じる年齢です。

     同級生の親がリストラされて困っている。同級生の親が事故で死んでしまった。感受性も豊かになるこの時期に、理不尽なことが社会では起こる。同級生のために頑張れる人間、理不尽に泣ける男になってくれと願っていました。
     それがわたしの子育ての最大の願いでした。

     ここにプライオリティのすべてを合わせているわけです。
     コロナで外食関係の親の多くが大変なことになってしまった。塾にいかせたいが無理だという話が普通にでてくる。
     塾に行きたいといえば行ってもよいと言われている自分はもしかしたら恵まれているのではないか。そういうことを自分なりに考えることができるようになります。

     大切な友の問題は、突き詰めれば、地域の問題、社会の問題としても見なせる。
     なぜ社会はそうなっているのだろうか。
     子供なりに必死に考えるようになります。
     親にできることは「待つ」ことだけです。


    =公立中学の社会的評価の低さ=


     クラスにいじめっ子がいる。
     先生が頼りない。

     このような公立中学校の問題を外部環境の問題として、学校のせいにしたり、地域のせいにしたりすることは容易い。
     クラスの問題を当事者意識もって前向きに取り組む生徒は少ない。
     その差はどこにあるのだろうか。すべては親の考え方なのです。
     成績が悪いのは先生の教え方がひどいからだ。変な担任に当たってしまって残念だ。そう親が問題を他者の問題にしてしまうのは子供には悪影響を及ぼします。
     いま目の前にある課題は、子供たちに当事者意識を植え付けるための練習なのだと、社会問題を子育てに「利用」してしまえばよい。

     要するに、地元がよくないならよくすればよいだけ。
     学校が悪いならよい学校にするように努力をすればよい。
     親も先生もそう願っている。
     自分たちで頑張ろうと努力するようになればよい。
     社会は1ミリぐらいなら動かせる。世の中は捨てたものではないぞと子供がそう思ってくれると儲けもの。その後の生きる力になる。

     生徒たちだけで解決できる力量をわたしは息子たちに求めました。
     かっこいい男とはそういう男だとわたしは彼らに伝えるようにしました。
     わたしの父も母もそういう学級のリーダーだったし、わたしも学級のリーダーだった。息子たちにも学校のリーダーになってほしいと思ったのです。
     この場合のリーダーとは、単に、学級委員というものではないです。
     クラスの精神的な柱のことです。「こいつの頼みなら仕方がないから手伝ってやろう」と思われるような人格があることです。わたしは中3のとき、不登校の同級生が、わたしを受け入れてくれるタイミングになったときに、担任の先生とクラス全員を、その子の家に連れていき、「お前が学校にこないなら、お前の家を学校にしちゃうぞ」ということをやりました。

     信頼関係ができてからしかできないことでしたが、しばらくして、その子が教室にひとり登校して前のドアから入ってきとき、クラスメート全員から拍手が鳴り響いた。その光景はいまでもよく同級生の間で話題になります。
     われわれの時代は、クラスに「誇り」を持っていた。
     荒れた中学であっても地元のプライド、公立のプライドがあったのです。
     お坊ちゃんなどに負けてなるものかというプライドがみなにあった。

     妻はわたしの考えに反対でした。
     そんなに気張らなくても、生きていてくれればよいわと。
     夫婦だからといって価値観は違います。夫婦の価値観は揃えなければならないと考える人も多いのですが、わたしたち夫婦はそれぞれの価値観を尊重し、違う価値観を受け入れるようにしています。

     お受験をしてしまったら、確かに教育的には素晴らしい環境になるでしょう。
     友達も、みな、素晴らしいお坊ちゃんたちでしょう。
     ですが、そのような素晴らしい環境が与えられてしまったら、本物の地元のリーダーになれるかどうかは疑問でした。うちの子供たちが女子だったら、お受験させたかもしれませんが。
     男子でしたし、勉強よりスポーツを彼らが自分で選んだわけです。

     公立中学はそういう意味で、修羅場もほどよくあるので、「理想的な」環境でのリーダー教育が実践できるのです。しかも地元愛が育まれる。
     地元の友達は一番大事。


    =地元のチームを猛練習で強くする=


     公立中学では地域外から優秀な選手も集めないので、弱い戦力です。
     大会で優勝するにはかなりの努力が必要です。
     うちは4人とも朝練や土日の練習がある部活とクラブチームを選んだのです。
     野球やバレーボールやサッカーで江戸川区の大会で4人とも優勝か準優勝はしています。三男は3回ぐらい優勝しているが、その優勝メンバーとはいまでもよく会っています。

     わたしは弱いチームを強くするのは好きでした。次男の野球のコーチになったとき、小学校4年生のとき0-25で負けたことがありました。このチームは全国大会に出場するほどの強豪でしたが、わたしは土日だけでなく平日の夕方も集合させてバッティング練習を行いました。次男は同級生から非難轟轟。おまえのおやじ、ふざけるな、俺たちは暇じゃないなどと悪態をついていましたが、やればやるほど、バッティングなので楽しい。白球が場外に飛んでいく感覚を味わうと本人たちも野球が好きになってしまった。

     小学校6年のとき、この強豪チームと地区大会の決勝戦を行い0-1で負けました。
     それがチーム最後の試合でした。0-25から0-1まで3年で力の差を縮めたが残念ながら勝てなかった。兄弟やご父兄が決勝戦ではすごい声援をしてくれました。
     最終回ノーアウト1-2塁で逆転のチャンスでしたが、6番が送りバンドに失敗。結局、無得点で完封されて負けた。この1失点はセンターフライの落球でした。
     ゲームセットのコールを聞いたとき、次男は泣き崩れた。チーム全員が泣いている。以前は負けてもへっちゃら。努力していないから悔しくもない。早く家に帰ってゲームしようぜ、という奴らだった。それがいま、悔し涙に暮れている。
     それを見て、お母さんたちも全員もらい泣いている。試合後にOBコーチや監督から、よいチームにしてくれてありがとうという言葉をかけられました。

     しかし、わたしはこのゲームで燃え尽きてしまいました。
     この子たちが中学でも野球を続け、やはり最後の大会で負けたとき、お母さんたちはまたも涙を流しながら拍手を送ったと伝え聞いています。
     わたしはコーチがこれほどしんどいものだとは思いませんでした。
     もう一度やれといわれてもやれない。
     もうこれ以上はできないという気持ちです。


    =公立中の内申書は自立のためのチャンス=


     公立中学はとてもよくできたシステムを持っていて、必ず宿題が出ます。
     内申書で都立高校の進学が決まる面もある。うちの子は、宿題を出さない子もいたし、しっかりと出す子もいましたが、出さない子は内申点が自然に悪くなります。逆にしっかりと宿題を出す子は内申点がよくなりました。
     親としては実際にはどちらでもよいわけです。理不尽なシステムであればあるほど、自分で考えるようになる。親としては高校受験が心配かもしれませんが、子供が進学するのであって、親が進学するわけではないのです。
     進学先は子供に任せればよく、親が一生懸命では子供の人生がスポイルされてしまいます。
     親は自分の勉強をするように。


    =基準高く生きること=


     リーダーシップを身に着けると、みなから信頼され、学級委員になったり、部活のキャプテンになったりします。

     高校や大学へは推薦で進学するのは楽ですが、子供のためには楽はさせない方がよいわけです。我が家では推薦は経済的に恵まれない家庭のご子息や片親のご子息に譲るべしというルールがあった。4人には推薦入学は認めませんでした。たとえ学級委員でオール5。部活のキャプテンでも。先生から勧められても推薦枠はお断りしました。
     推薦で1月に決まってしまえば、2月と3月に勉強しなくなるのでもったいない。

     子供だって親だって楽はしたい。そのために、生きる基準が低くなりがちです。しかし、やればできる子供へ基準を勝手に低くしたらもったいないのです。

     たとえば大学に行けば卒業を目指すことになるが、卒業するという基準は低いものです。資格試験でも入試でもすべてそうですが、卒業でも上位1割以内で卒業するならば基準は高くなります。
     大学に入ってもGPAという評価がありますが、オール優とかAでなければ講義が真の意味で理解できたことにはならないのです。できれば基準は高い方がよい。


    =教科書重視でよい=


     そういう意味ではわたしが息子たちに最初の高い基準を設けたのは公立中学の定期テストです。義務教育というのは最低の教養だ。絶対に完璧に身につけなければならない。しかもテスト範囲は非常に狭い。ほんの1か月間とかせいぜい2か月の学校の少ない授業の内容から到達度を試すだけのものです。
     わたしはそのような範囲の狭い簡単なテストでは確実に9割以上の点数を取るべきだと子供に要請しました。もちろん、勉強しろとはいいませんでしたが、「義務教育なのだから完璧にわかっていないとね」という姿勢は見せました。
     うちの子供たちは小学校卒業まではスポーツ中心でしたので、勉強に慣れていません。
     中1だとよくやってオール3ぐらいからスタートします。有難いことに、高校受験の内申書は中3の2学期のものだけを使用するのです。東京都はそういう制度なのです。
     ということは、中3の2学期に向けて学力で少しずつキャッチアップしていけばよいということです。これはずるいやり方かもしれませんが、中1ではオール3、中2でオール4、中3でオール5という感じになるような生活習慣を用意しました。

     たとえば、子供の期末テストが返ってくる。平均点よりよいテストばかり子供は見せる。
     「平均点よりよかった」「先生が出さないはずの範囲を勝手に出した」「教えてもらっていないのにテストに出た」。このようなことばかり言うのです。

     わたしはそのとき、まず、「教科書をもってきなさい」といいます。
     たとえば英語なら英語の教科書をもってくる。
     子供は教科書というものを、読んでなんとなく理解できればそれでよいと考えてしまう。
     そうではなく、合格点は90点だよ。90点とれなければ身に着いたことにはならないのだということをいって諭す。
     英語の教科書を読ませる。
     教科書を閉じる。
     そらでいわせる。
     いえない。
     範囲が狭いので、センテンスは全部暗記する。
     フレーズ、抑揚、聞いていれば、おかしなところが多数あるので、そういうものはお手本を見せる。
     ワンセンテンス読む。
     疑問文にしろ。否定文にしろ。主語を変えてみろ。
     それができないのです。できないことがわかっているからさせるわけです。
     ほら、できないだろう??
     もっとやらなきゃね。とりあえずこのページだけ暗記してみろ。
     1ページだけ暗記させる。最後のセンテンスを読む。次に最後のセンテンスとその前のセンテンスを読む。
     次に、最後のセンテンスとその前のセンテンスとそのまた前のセンテンスを読む。自然に暗記できている。それでテストを受けるとほぼできるようになっているはずです。

     反復することで、本当の理解につながっていく。自分はわかっていなかったと自覚させるのが教育です。教科書は眺めるためにあるのではなく、使うためにあるのです。だからあんなに薄い。
     教科書は薄いが書かれている内容は実際には濃いわけです。
     数学の教科書も薄いが、前提を自分で変えていろいろ違う問題を作れるようにすることで、この場合は解けなくなる。この場合にこの前提があれば解けるなどと検討するようにする。
     薄いから沢山の発見を誘発するようになっている。
     狭い範囲だから深堀することができるようになっている。

     教科書は表面的なことをやるだけでは本当につまらないものに見えるが、自分で工夫をすると途端に内容も濃くなるし、ゲームのように面白くなるわけです。その面白さを自ら獲得できる力量をつけるのが中学時代の自立の目標です。

     数学も同様。国語も社会も同様。美術の教科書も音楽も同様。
     写真や写真の下にある細かい文字まで全部、注意を払え、なにひとつ軽んじてはいけないと教科書中心の勉強をさせる。教科書を読む。

     もちろん100点などは求めない。だが、8割ではすこしぬるい。ケアレスミスもあるだろうから、9割を目標とするのはよい具合なのです。


    =内申書を理解する=


     内申書は先生たちに聞いて、9割で提出物完璧なら5段階の5。
     9割で提出部不完全なら4。
     8割で提出物が完璧でも4にしかならない。
     この違いは客観的に大きい。だが、公立中学は絶対評価でもある。
     その絶対とは提出物と定期テストの9割以上なのです。

     どれほど遊ぼうが構わないが、教科書の内容ぐらいは完璧にしろという基準を設けました。
     テストの前の1週間は部活が休み。その1週間で準備しても9割はとれない。
     2週間前から準備すれば8-9割はとれる。
     3週間前から準備すれば9割以上はとれる。

     妻はこういう作戦には反対しました。何点でもよい。
     夫婦の意見が合わなくてもよい。
     うちは中1ではみなオール3でした。中3になるとオール5になった子もいれば提出物が出せずにオール4に5がいくつか混ざった子もいました。

     基準を高くするのは誰にもできるし、それによる結果もよいのだから、わたしは定期テスト9割作戦はやるべきだと思います。

     社会人になれば自分で高い基準を自分に課すことになります。高い基準を課さないような人は社会では真の意味では信頼されない。
     一次産業のときはみなで農業をやればよかったのですが、いまの社会では専門職がひとりで幅を利かせるわけです。逆に専門性があれば生きていけるわけです。
     専門家ならば基準は自然に高くなるわけで基準の低い専門家などどこにもいないのです。

     人は誰でも平均点ぐらいでよいと思ってしまう習性があります。
     中学生ぐらいなら平均よりよいと喜んだりします。
     平均に意味はなく、理想にこそ、意味がある。
     平均ではなく理想を目指すべきで、その方が「かっこいい」!!のではないかと考えています。


    =まとめ=


     地元の友達を大切にすること。基準高く生きること。与えないこと。
     この3つが我が家の子育ての方針でした。
     そのためには、子供がほしいというものを与えない。子供部屋なし。机なし。
     椅子なし。あるのは布団だけ。おもちゃも買わない。お菓子もなし。こずかいもゼロ。そして旅行は子供だけでいかせました。

     長男は北大医学部を卒業し医者になり、同級生と結婚し、26才で、もう子供を育て始めています。大学では4年生まで野球を続けてくれて、妻と小田原や秋田の大会で応援に行きました。2番手投手でエースを支える投球をしてくれました。悪い日は四球で自滅してしまうこともありました。4人兄妹の精神的な支柱であり、弟たちの面倒をよく見てくれました。「なぜ勉強するのか」「幸せとはなにか」。兄弟を集めては兄弟でよく議論していました。その貢献をわたしは微笑ましく見ていましたが、いまは精神科医を目指す研修医として朝6時から夜遅くまで激務をこなしています。

     次男は同級生と付き合っていますが、結婚前提です。東大の文学部に進学して好きな哲学を勉強しながら4年時に司法試験に受かり弁護士か裁判官を志望しています。この春卒業予定。予備試験に3年のときに受かった時点ですでに大手弁護士事務所から内定が届きました。兄のことが大好きで兄と徹夜で語り合うことも多々ありました。司法修習生は24年3月から始まるので、それまでは彼女と海外を放浪する計画です。

     三男は中高大とバレーボールを部活で続けています。高校でも大学でも1年からレギュラーでわたしは彼の試合を見にいくことが好きです。都立大観光科学科(理系)ですが、自分で受験先を見つけてきました。この夏、航空大学校を受験する予定。パイロット志望なのです。家事をものすごく手伝ってくれるので助かっています。

     末っ子は高校2年。放任していたらやんちゃになってしまいました。都立小山台で英語と数学だけを勉強している状況。おしゃれのためにバイトに明け暮れています。制服がある学校なのに制服で行かない。遅刻は100日を超えている。しかも学費の安い国立大は受けないと言い張っている。一番おしゃれな都内の大学に行きたいという。兄3人が国公立大に行ったのを反面教師にして「国公立=ぼろい=兄さんたちは特別にダサい」という価値観を持っています。

     与えたものもあります。ゲーム機と携帯電話は与えました。
     任天堂やソニーのゲーム機はポータブルなものは小学校に入ったらという条件で4人とも同じ時期に与えました。
     携帯電話は高校に入ったらという条件で4人とも同じ時期に与えました。
     小学生になったらゲームができる。高校になったらスマホがもらえるという希望だけは与えました。
     また大学になったら運転免許は希望者にはとらせました。自分の意思で習い事やスクールに行きたいというならば行かせました。大学に入ったら好きなPCやタブレッドは彼ら自分で選んだものを与えています。
     英語塾でも司法試験の塾であってもやりたいものがあるなら金銭的な手助けはしました。
     大学は私立でも国立でもどちらでもよいとしました。なぜかといえば、国公立は受からないかもしれない。私立は複数受験ができてどこかは受かるでしょう。

     原則はいま書いた通りですが、子育てとは試行錯誤の連続です。
     上手く行かないことの方が多いものです。
     わたしたちのやり方がよかったとも悪かったとも思いません。
     企業経営でも、社会参画でも、子育てでも、高い理想があればよくて、それに対してブレることなく、邁進する方が楽だと思うのです。
     人生は、はかない。そして短い。

     その短い人生を、生き切ると満足感が高いのではないかと思います。
     そのためには、迷ったり、心配したり、探していては時間がいくらあっても足りません。
     逆に人生は迷い、探すだけで終わってしまうものともいえる。
     迷わないためには、すべてを諦めるという境地が必須です。
     ひとつかふたつだけを選び、あとは全部、諦める。
     全部を追い求めることはできない。
     その諦めが大事。

     探さないために。今を受け入れるという態度が重要。
     あれがあれば。これがあれば。そういうものを探しても、それは存在しない。
     存在していたらよいのでしょうが、そのようなものはありません。
     探すのではなく、いまの状況に大満足し、いまの状況を有難く思うこと。
     実際には恵まれているわけです。日本という国に住めるだけで。

     探すものなどない。迷うことなどない。
     やるべきことはひとつかふたつ。成し遂げるべきことはひとつかふたつ。
     わたしは欲張りだから4つぐらいはやりたいが。そう思ってもそれはできない相談なのです。


    まとめのまとめ


     子供にお金をかけない
     子供部屋不要。子供の机不要
     おこずかい不要
     ゲームやスマホはやり放題
     子供だけで旅行
     男子だったのでスポーツを選択したため、お受験はしなかった
     幼稚園ではなく公立保育園
     保育園からの14年間で幼馴染とのつながりを大切にする
     学校の諸問題を生徒だけで解決させる
     基準を高く設定する。定期テストは9割以上を基準とする
     書籍は希望しただけ買い与えた


    (NPO法人イノベーターズ・フォーラム理事 山本 潤)


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