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記事 7件
  • 佐々木俊尚の未来地図レポート vol.217

    2012-10-29 17:00  
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    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━佐々木俊尚の未来地図レポート       2012.10.29  Vol.217━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━http://www.pressa.jp/■今週号EPUBファイルは記事最下部のリンクからダウンロードできます━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━特集1「アマゾン出版」とマイクロソフト新タブレットSurfaceの興味深い共通点~~垂直統合でも水平分離でもない新しいプラットフォームの台頭━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 日本でついにアマゾンの電子書籍「キンドル」がスタートした。ネットメディアの記事などを読むと「購入するならキンドル・ペーパーホワイト」「いや、キンドル・ファイアの方が使い道が広い」などと、相変わらず製品にフォーカスした記事が多い。

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  • 佐々木俊尚の未来地図レポート vol.216

    2012-10-22 17:00  
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    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━佐々木俊尚の未来地図レポート       2012.10.22  Vol.216━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━http://www.pressa.jp/■今週号EPUBファイルは記事最下部のリンクからダウンロードできます━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━特集トマトジュースのカゴメが、消費者と強い関係を結んだたったひとつの方法~~「企業コミュニティ」というソーシャルメディアの新潮流(1)━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ これからのメディアはコミュニティである。つまり単に情報を「配信」するだけではなく、配信された情報とそれを読んだり試聴した読者・視聴者との間で、何らかの「場」が形成される。その場を運営することこそが、これからのメディアの役割になるという

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  • 佐々木俊尚の未来地図レポート vol.215

    2012-10-15 17:00  
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    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━佐々木俊尚の未来地図レポート       2012.10.15  Vol.215━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━http://www.pressa.jp/■今週号EPUBファイルは記事最下部のリンクからダウンロードできます━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━特集奈良のゆるキャラ「せんとくん」泥沼の恋愛劇は、なぜ始まったのか?~~「みんなの経済新聞」に学ぶローカルメディアの将来像━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 神戸で先日、「みん経ナイト2012 in 神戸」というイベントがあった。私もゲストとして参加したのだけど、これが関西ノリで非常におもしろい話満載だったので紹介してみたい。「みん経」というのは「みんなの経済新聞」のこと。2000年に最初にスタートし

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  • 絶望しかない過酷な現実を、映画は救わない

    2012-10-09 12:10  
    超話題になっている園子温監督の最新作『希望の国』を試写で観た。テーマは福島第一原発事故だ。  この映画を「 反原発の映画」 と見る人もいるだろう。あるいは媒体資料では「社会派エンタテインメントの傑作が誕生」などと書いてある。でも私はどちらの表現もピンと来なかった。この映画は実に終末的な暗示に満ちていて、もっとも適したことばを探すとすれば、黙示録だ。本作は、救いのない日本の黙示録である。
     設定は、東日本大震災から数年後の「長島県」。ここで再び大地震が起き、原発が破壊され、メルトダウンする。福島をモチーフにしたのが明白な設定だ。
     お話は、三組のカップルを中心にして展開していく。まず夏八木勲と大谷直子の老夫婦。原発から半径20キロの強制避難区域のすぐ外側にある家で、事故後もひっそりと暮らしている。大谷直子は認知症をわずらっていて記憶が混乱しているが、平穏な生活だ。
     二つ目のカップルは、老夫婦の息子(村上淳)と妻(神楽坂恵)。夫婦は両親に説得されて、少し遠くの町へと移住する。移住した直後、妻が妊娠していることがわかり、そして子供への心配からじょじょに放射能への恐怖をつのらせて、異様な防護服姿で買い物や病院に出かけるようになる。
     三組目は、夏八木夫婦の隣家の息子(清水優)とその彼女(梶原ひかり)。強制避難区域のすぐ内側に位置していたため家を出ることを余儀なくされる。となりの家なのに、その僅かな空間に杭が打たれてフェンスが作られ、避難区域とそうでない区域に分けられてしまったのだ。両親とともに二人は避難所で過ごす。消息がつかめない梶原ひかりの家族を探すため、二人はガレキに埋もれた海岸の道を歩く。
     どの登場人物も、東日本大震災という途方もない現実の中でこの1年間、報道やインターネット、さらには現地での体験などを通じて、私たちが見聞きしてきたのと同じリアリティを持っている。だからこの三組のカップルのお話はとてもリアルで、映画的な空想の入る余地はないように思える。
     でもそこで登場人物たちが語り出す言葉の数々、そして映画の中で描かれている象徴的な映像が、黙示録的なイメージを観ている側に押し出してくる。このイメージの奔流が強烈で、観ている間になんども私は茫然と打ちのめされてしまった。
     たとえば物語の後半、メルトダウンで強制退避命令が出て、家から出るよう夏八木勲が繰り返し町役場から説得されるシーン。首を縦に振らない夏八木勲に、苛立った若い職員は思わず声を荒げてしまう。「郷土愛ならオレだっていっぱい持ってたよ。でも動かなきゃ」。夏八木は答える。「郷土愛なんかじゃねえ。そんなキレイなもんじゃねえ」
     そうして彼は、庭に立つ大きなハナミズキの木を指して言う。「オレが妻と結婚したとき、植えた木だ。みんな生きている。生きているんだぞ、ここで」。認知症の妻はほがらかに「そうだよ」と相づちをうつ。
    「これは、かけがえのないオレとこいつと小野家の財産よ。これは動かせねえ。墓より大事だ」 「良い思い出ってか」 「そんな小さなもんじゃねえ。シルシよ、シルシ。オレたちが生きてきたっていう刻印だ。それを捨ててまでどこかへ行きたいと思えないんだ」
     帰る場所はここしかない、と夏八木勲は憤然と宣言するのだ。しかし認知症の妻大谷直子は、実はそう思っていない。妻は物語が進んでいく中で、何度も何度も夫に言う。「ねえ、帰ろうよ」「なあ、みんなで帰ろう、帰ろう」「お父さん、うちに帰ろう」
     木はいまもすくっと庭に立っている。でも同じように昔植えられた「オレのじいさんの木」や「オレのオヤジの木」は、避難区域の内側に位置していて、フェンスの向こうでもう立ち入ることさえできない。夏八木勲の家のシルシは、半分以上が放射能に汚されてしまっているのだ。
     このシーンを観ていて、私はロシアの映画監督アンドレイ・タルコフスキーの遺作『サクリファイス』を思いだした。核戦争勃発をテーマにしたたいへん寓話性の強い映画。まったく偶然だが、チェルノブイリ原発事故が起きた直後に公開されている。そしてその年の終わりのカンヌ映画祭で絶賛され、前代未聞の四賞独占を成し遂げた。タルコフスキーはこの年の暮れに54歳で亡くなっている。  とはいえ長くて暗くて、おまけにスリリングなシーンもアクションもないので、たぶんこの映画を退屈に思う人は多いだろう。まあタルコフスキーの映画って、『惑星ソラリス』とか一部を除けばそういう作品が大半だ。
    『サクリファイス』は、北欧の静かな海岸沿いにある別荘の一軒家が舞台になっている。海辺に、枯れ果てた細い松の木を植える父親アレクサンドルと、口の利けない小さな息子。父親は、「昔々、師の命を守って三年にわたって若い僧が水をやりを続けたら、とうとう枯木が甦って花を咲かせた」という奇跡の伝説を息子に語る。その伝説に従って、自分の誕生日に「生命の木」を植えているのだ。
     この生命の木は、陸前高田の「奇跡の一本松」にかたちが本当にそっくりだ。26年前の映画なのに、である。私はこの原稿を書くために『サクリファイス』のDVDを十数年ぶりぐらいに再見し、その奇妙な一致にとても驚いた。おまけに主人公のアレクサンドルは「日本かぶれ」という設定で、奇妙な和風の着物みたいなのを着ていて、JVCのオーディオセットで海童道宗祖の尺八のカセットを聴いたりしている(ちょっとこのあたりは観ていて恥ずかしい)。
     そしてこの生命の木は、そのまま『希望の国』のハナミズキにつながっているように思える。なぜならどちらの映画でも、放射能の恐怖に対置される生命の暗喩になっているからだ。
    『サクリファイス』のストーリーはその後、急反転する。テレビで首相が「核戦争が起きた」と伝え、直後に電波も電話も電気も途絶えてしまうのだ。画面はモノクロームに変わる。不安と恐怖にさいなまれる家族。アレクサンドルは「私の持てるものすべてを犠牲にささげますから、愛する人々を救ってください、家も、家族も、子供も、言葉も、すベてを捨てます」と神に誓う。力尽きてソファに倒れこみ、そのまま眠り込んでしまう。
     夢の続きかどうかわからない。旧友が自転車でやってきて、「おまえの家の召使いのマリアは魔女だ。彼女の家にいって彼女を愛せ。まだ最後の望みはある」と伝え、自転車で行けと命じる。アレクサンドルは家族に知られないように、こっそり二階の自室からハシゴを伝って外に忍び出て、深夜の道をマリアの家に急ぐ。マリアと対話するアレクサンドル。そして彼を拒絶しようとしたマリアの前で、アレクサンドルは跪いて自分のこめかみにピストルを向けて「救ってください」と言う。そうして抱き合う二人。
     そして再びシーンは切り替わり、画面はフルカラーに戻っている。目覚めると朝の光があふれていて、平静な世界が取り戻されていた。神との契約を守るため、アレクサンドルはみずからを犠牲(サクリファイス)とする儀式を始めなければならない。そして燃え上がる海辺の家......。
     この家が燃え上がるラストシーンも、『希望の国』の終わりに近いシーンにそのまま引き継がれている。これ以上書くとだんだんネタバレになってきてしまうので難しいが、『サクリファイス』と『希望の国』ではその描かれ方がまったく異なっているように見える。なぜなら『サクリファイス』における家の崩壊は、世界を救うための犠牲だったからだ。だからそこには救いがある。しかし『希望の国』には、何の救いもない。ただ絶望的な崩壊としてだけそこに表現されている。それは東日本大震災と福島第一原発事故が引き起こした厄災が、私たち日本人に何の救いもない絶望としてそこに存在しているのとまったく同じだ。リアルなこの世界では、神による救いなんて存在しないし、そこに崇高な犠牲も生まれない。ただひたすら、リアルな絶望だけが進行していく。
     いまの日本を覆う絶望とやるせなさは、あまりにもリアルすぎて、映画による救済は不可能に思える。『希望の国』のラストシーンは、まるで夢のように美しい海辺の光景を映し出し、神楽坂恵の演じる妊婦は柔らかで満ち足りた笑顔を見せ、「大丈夫よ」とささやく。でもそういう夢幻的な映像のすぐそばでは、もっと恐ろしいリアルの事態が進行していることを、映画は観客に見せつける。夢見るようなファンタジーでは、このリアルを救えないということをこのラストシーンは象徴しているように見える。
     認知症の大谷直子はくりかえし、くりかえし「帰りましょうよ」と夫に言う。それはたぶん「昔に帰りたい」っていう意味なのだと思う。でももう懐かしくておだやかで平和な日本には、誰も戻れない。そしていまの冷酷で厳しいリアルを、誰かの犠牲や神の恩寵や、さらにはファンタジーの夢でさえも、救うことはできないのだ。奇跡はないし、幻想もない。そういう時代に私たちは生きているのだ。
     これは放射能恐怖の話に限定しているのではない(私はいまの福島原発の放射線問題を逃れられない恐怖とは考えていない。念のため)。放射能はその象徴であり、引き金にすぎない。放射能問題が引き起こした日本国内の深刻な分断。そしてグローバリゼーションと階層化社会の到来、先行きのない未来......。さまざまな冷酷な現実が目の前に立ちはだかり、もう私たちはかつての「なんとなくみんな一緒だよね」的な社会には二度と戻ることはできない。
     清水優と梶原ひかりの若いカップルは、津波被災地のガレキの中を「一歩、一歩、一歩」と歩いて行く。とにかくそうやってどこかに向かって歩いて行くしかないのだ。でもどこに向かっているのかは、実のところだれにもわからないのだ。
     映画はこういうリアルを、何も救ってくれない。ただ『希望の国』はこの冷酷な空気感みたいなものを、痛いほどに眼前に見せつけてくれる。そういう冷酷さを持っている。この黙示録みたいな作品は、きっと何十年か何百年か先にまで、2011年に私たちが抱いた感覚を届けていくんじゃないかと感じた。
     本当にすごい映画。私はノックアウトされた。 ※上記は10月1日(月曜日)配信のメールマガジン「未来地図レポート」213号から、「未来地図レビュー」として掲載した記事の全文です。

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  • 佐々木俊尚の未来地図レポート vol.214

    2012-10-08 17:00  
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    テレビ局の番組制作、その最先端のあり方をBBCの人気番組に学ぶ 佐々木俊尚の未来地図レポート vol.214━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━佐々木俊尚の未来地図レポート       2012.10.8  Vol.214━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━http://www.pressa.jp/■今週号EPUBファイルは記事最下部のリンクからダウンロードできます━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━特集1テレビ局の番組制作、その最先端のあり方をBBCの人気番組に学ぶ~~テクノロジ紹介番組「クリック」のプロデューサーにインタビューした━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ BBCが放送している『Click(クリック)』という番組をご存じだろうか。日本ではあまり知られていないが、IT関連の最新情報を

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  • 佐々木俊尚の未来地図レポート vol.213

    2012-10-01 17:00  
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    ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━佐々木俊尚の未来地図レポート       2012.10.1  Vol.213━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━http://www.pressa.jp/■今週号EPUBファイルは記事最下部のリンクからダウンロードできます━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━特集1「オレはいいけど、ヤザワはどう言うかな?」発言をビジネスで読み解く~~「矢沢永吉」音楽ビジネス論(後編)━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ しばらく前に、こういうニュースがあった。■米国のプロ作家が個人作家をwannabe呼ばわり http://t.co/jZ7lEfXe 女流ミステリー作家として有名なスー・グラフトンが、最近アメリカで台頭してきているセルフパブリッシング作家に対して「作家の本質的

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  • ビッグデータが推し進めるのは監視社会じゃなく「黙殺社会」だ

    2012-10-01 16:58  
     アメリカにはクレジットスコアという「信用値」が使われている。クレジットカードの利用履歴などから与えられる偏差値のようなもので、クレジットカードを作ったり住宅ローンを組むときだけでなく、就職や住居の入居などの際にもこのクレジットスコアが信用を測る物差しとして使われている。
     しかしアメリカでは最近はもっと刺激的なスコアが登場し、徐々に普及して行っているようだ。それがこのニューヨークタイムズの記事で紹介されている「eスコア」というもの。これは消費者の潜在的な購買力を測り、消費者の価値を査定するというものだ。
     いくらクレジットスコアという文化に慣れているアメリカでも、この数値についてはほとんどのアメリカ国民には知られていないという。さすがにおおっぴらに自分の購買力を測定されてしまうということになると、強烈な反発を買うことになるだろう。
     だがこのeスコアは多くのスタートアップ企業によって測定が試みられている。膨大なビッグデータをアルゴリズムによって解析するという手法だ。そしてこれはクレジットカード信用情報でしかない前述のクレジットスコアや、あるいはダイレクトマーケティングの分野で使われているような消費者のステータスを社会経済的に分類するような手法より、ずっと先を突っ走っている。スコアに消費者個人の職業や収入、自宅の資産価値、さらには贅沢品やペットフードなどにどれぐらいカネをかけているのかといった数値までも組み込んでしまおうというものだからだ。
     銀行やクレジットカード会社、保険会社といった多くの企業が、このeスコアを活用して、ウェブ上でアプローチする消費者を選択するのに使っているという。eスコアの数値によって、プラチナカードを勧めるのか普通のカードを勧めるのか、あるいはケーブルテレビでフルプランを薦めるのか安価なプランを薦めるのかということを決めることができるわけだ。
     eスコアが普及し進化していけば、その世界では低スコアの人は自分の視界にまったく贅沢品やプラチナカードや高級なサービスなどの情報が入ってこないということになる。不可視の世界。「こんな贅沢なものを買いやがって」と怒ることもない。そもそもそういう贅沢品の情報が目に入ってこないのだから。
     これは物理空間のリアルなショッピングストリートに置き換えてみればよくわかる。たとえばあなたがeスコアの低い所得層だとしたら、丸の内から銀座あたりをウィンドウショッピングしようとしても、マクドナルドとかドンキホーテとかマツモトキヨシしか目に入ってこない。ハイファッションのブティックとか高級車のディーラーとかは本当はそこに存在するのに、目に入らない。そういう高級店があるはずの場所には、低所得層にしか見えないコンビニ菓子の広告がARによって貼り付けられている。
     ニューヨークタイムズの記事では、eスコアを提供している企業のひとつとしてシリコンバレーのeBureau社CEOのゴーディ・メイヤーにインタビューしている。
     eBureau社は毎月、2000万人ものアメリカ人を査定している。クライアントは銀行や保険会社などの企業で、可能性のある顧客の名簿をほしがっているのだ。同社にはTruSignalという子会社もあって、こちらは広告主向けに1億1000万人の消費者を毎月査定し、オンライン広告を配信すべき顧客の名簿をつくっている。
     eBureau創設者でもあるCEOのメイヤーはeスコアをスタートさせる以前、リードジェネレーションを手がけていたという。これはインターネット上のアンケートや商品購買時のユーザー登録などで、個人情報の提供に同意した人の連絡先を企業に提供するというビジネスだ。
     日本では個人情報保護法の制限があるためかあまり盛りあがっていないけれども、アメリカではこのリードジェネレーションが非常にさかんだ。ポータルサイトなどにアクセスして広告をクリックし、さらに興味があれば、同意のもとに氏名や住所、年齢、性別、メールアドレスなどの情報を企業側に提供することになる。ここで取得されたユーザーのデータ内容によって、1人あたり○○ドルというような金額設定で企業に個人情報が販売されている。
     どこかの記事で読んだが、子犬向けの新しいペットフードを販売しようとした会社がリードジェネレーションを利用したところ、子犬を飼っている飼い主の情報を100万人分も取得できたという話もあるようだ。
     ゴーディ・メイヤーはしかしリードジェネレーション業界では、収集した個人情報をまったくフィルタリングしないでまとめて企業に販売しているところが多く、このため個人情報の中には潜在的顧客以外に、単なる野次馬やニセアカウントが多量に含まれてしまっていると指摘している。そこでこのフィルタリング技術を高めればより高性能なリードジェネレーションが行えるのでは?と彼は考えて、そこからeスコアのビジネスがスタートしたのだという。
     eBureauは次のような仕組みになっているという。まずクライアントは購入済みの大量のリードジェネレーションデータを登録する。この見込み顧客のデータと同時に、すでに購入してくれている顧客のデータも必要だ。eBureauはこのデータに、顧客のプロフィールをもとにデータベースから引っ張ってきた年齢や収入、仕事、資産価値、購入履歴、居住歴といった数千ものデテールを追加する。こうしたデテールによって、システムはアルゴリズムを使って各顧客を評価できるようになる。eBureauはこのデータを名簿ひとりあたり3〜75セントで販売している。
     スコアは0から99の範囲の数字で与えられる。99なら確実に顧客になってくれそうな人、0だとクライアント企業がその人に投資する価値はゼロというわけだ。
     この記事には、非常に注目すべきポイントがある。それは何かというと、このeスコアが顧客の行動監視ではなく、どちらかといえば「足きり」に使われているケースが多い、という事実だ。
     メイヤーによると、企業によってはトップクラスの顧客名簿よりも、下位の名簿を重要視するところもあるという。たとえば通信教育の企業だと、わざわざ高価なカタログを送付したりフォローの電話を入れるといったコストを「かけるべきではない」人物の名前をほしがる、ということだ。つまりはニセのアカウントとかを足きりしたいという要請がけっこう多いのだという。
    「入学の可能性ゼロの人が25%いるとすれば、その25%の名前を知ることで無駄なコストをかける必要がなくなる」とメイヤー。彼はこうも語っている。「eBureauのクライアントはeスコアを潜在的顧客の幅を狭めるために利用しているだけで、クレジットやローン、生命保険の申請の可否の目的には使っていない」
     これは従来の「監視社会モデル」ではない。これまでの監視社会批判の多くは、勝手に自分の個人情報が利用され、自分の行動を先んじて推測したり広告をプッシュで配信してくることへの気持ち悪さだった。しかしこのeスコアでは、顧客の行動のすべてを予測して適切な情報配信を行うということまではクライアント企業の側は求めていない。
     そもそもライフログ/ビッグデータ議論でもさんざん言われているように、顧客データの解析によって顧客の今後の行動を完璧に予測するというようなことは現時点では非常に困難だ。eスコアのような方向性でも同様で、「この消費者がぜったいにわが社の顧客になってくれるかどうか」という限りない100%を求めるのは、現在のCPUパワーではかなり困難だろう。近未来SF映画によく表現されるような、完全にピンポイントでパーソナライズされた広告配信や情報提供というのは、かなり遠い先の未来の話である。
     一方で、「この消費者はぜったいにわが社の顧客にならないだろう」という足きりの判断は比較的容易だと考えられる。なぜか。身も蓋もない話だが、たとえばある自動車メーカーが1台1000万円の高級車を販売しようと考えていたとする。ここに年収4000万円の潜在的顧客Aがいるとして、この消費者Aが1000万円の高級車を買ってくれるかどうかはなかなか判断が難しい。過去にいつクルマを買い替えたのか。どんなクルマが好みなのか。生活様態はどのようになっているのか。さまざまな付随データを解析しても、それでも「かなりの確率でこの人は1000万円のこのクルマを買ってくれるでしょう」とは判断しがたい。
     年収2000万円の消費者Bや年収1200万円の消費者Cあたりになるともっと微妙だ。年収から言えばちょっと購入するとは考えがたい......しかし別の要因(たとえば妻の年収が多いとか、たいへんなクルマ好きであるとか)がからんでくれば、潜在的顧客になり得るかもしれない。
     だからこのあたりの「顧客になり得るかどうか」の判断は、アルゴリズムで最終判断されるべきではなく、有能な営業マンを投入して人的な努力によって成し遂げられるべきとするというのが企業としての結論になるだろう。とりあえずは全部見込み客として扱っておいて、あとはキレイなカタログと爽やかな営業マンの力で何とかしてみよう、ということが言えるわけだ。
     しかしもうひとりの消費者Dが年収300万円だとすれば、判断はもっと容易だ。「年収300万円の消費者が、1000万円の自動車を買う可能性はほぼゼロに近い」と容易に判断できてしまう。突然親族の遺産が転がり込んできたり、宝くじに当たったり、あるいはもの凄い脱税をしていて表面上の年収を10分の1に見せかけていたり、といった例外的なことでも無い限り、可能性はゼロだ。Dは潜在的顧客にはならない。
     だからDに豪華なカタログを送りつけたり、営業マンに電話をかけさせるのはコストの無駄でしかない。その無駄なコストを使わないための足きり材料としてeスコアを使おう、というのは非常に妥当な判断ということになる。
     これは企業に取っては妥当な判断だが、無視される消費者の側にとっては微妙だ。冷酷と言ってもいいかもしれない。ここで起きているのは、監視されることの問題ではなく、「透明な存在」にされてしまうことの問題なのである。
     『キュレーションの時代』などの著書で私は、戦後の日本社会はムラ的共同体の中で「常に見られていること」という息苦しさがあったと書いた。それに比べてムラが衰退したいまの時代は、「だれにも見られていないこと」の不安が増していると。それは神戸児童連続殺傷の酒鬼薔薇少年が90年代、「透明な存在である僕」と犯行声明文に書いたこととも重なってくる。
     ビッグデータのこの「監視すること」から「見ないこと」への動きは、この「見られない現代」という潮流となにかどこかで呼応しているようにも思える。「監視社会」ではない、新たな「黙殺社会」モデルの出現である。
    ※上記は8月27日(月曜日)配信のメールマガジン「未来地図レポート」208号から、特集記事2本のうち1本の全文です。

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