閉じる
閉じる
×
常に目標を持っている、常に挑戦する心を持っている。那須大亮は今、その時を大切にして戦っている。だから常に周囲への感謝を忘れず、常にいろいろなものを感じ取っている。だからチームのため、サポーターのため、仲間のために死力を振りしぼる。魂のディフェンダーが語るレッズでの日々──
[浦和レッズマガジン7月号掲載]
──第13節の鹿島戦では、森脇良太選手がオウンゴールしてしまった際に那須選手が『落ち着け』と声を掛けたそうですね。
「はい(笑)。オウンゴールをすると、周囲から見ると仕方がないという形でも、当の本人は少なからず動揺してしまうものなんですよね。そしてミスを払拭すべく『取り返してやる』とも思ってしまう。それは当然なんですけども、守備の選手としてはチームバランスを崩すことがどれだけ致命的なことなのかをここ2年で痛感しているわけです。だから痛みは皆で分かち合って、ひとりに責任を負わせないことが大事です。そこでモリ(森脇良太)に対してはあえて冷静になって落ち着かせたほうが良いと判断しました。マキ(槙野智章)とモリとピッチ上で3人が集まって、『今のはしょうがないから、落ち着こう』と、こう肩を抱き合いながらね(笑)」
──第10節のベガルタ仙台戦で4─4のゲームがあり、その試合後に那須選手が少し怒った口調で話していたのが印象的でした。そのような経験も踏まえていたのでしょうね。
「そうですね。ただ仙台戦に関してはそもそも試合前の準備段階がうまくいっていませんでした。あの時のチームはすでにACLのグループリーグ敗退が決定している中でオーストラリアのブリスベンへ遠征するチーム、そして僕を含めたリーグ戦に出場していた選手で構成するチームが国内調整と、いつもとは異なるシチュエーションに置かれていました。その影響がそのまま試合内容に反映されてしまったと思います。結局、オーストラリアから帰国したチームが合流して、ともに練習できた日が一日しかなく、その練習も集中し切れたものではありませんでした。試合までの準備が本当に重要であることを改めて感じたゲームでしたね。ただ、それでもゲームは引き分けに持ち込みましたから、その点はチームの成長を感じました。でも4失点というのはディフェンダーとしてはありえないことですから、猛省しなければなりません。選手は次の日の練習から皆、意識高くトレーニングを再開して、それが続く第12節のFC東京戦の結果に繋がったと思います。同じことは繰り返さない。それをチーム全体が肝に銘じたのだと思います」
──那須選手はチーム内でベテランと称される年齢ですが、ご自身はチーム内での立場をどのように認識されていますか。
「僕はこれまで移籍の経験が多く、その際に常にゼロからのスタートで、競争に晒される境遇だったので、あまりチーム内でのベテラン的立場という認識をしたことがないんです。常に新しいチームでレギュラー争いをして切磋琢磨してきたので。もちろん若い選手に何かの経験を伝える役目も担っているのだと思うのですが、自分の意識としては常にチャレンジャーなんです。チームの中心という驕りなど持てません。常に吸収、常に向上、常に成長を心に期している。そのキーワードがいつも頭の中にあるんです。『上手くなるためにはどうしたらいい?』、『強くなるためには?』と、そればかり考えている。もちろんチームが良くなるために率先してチームメイトに声掛けすることはあります。ただ、一方で自分に対しては戒めといいますか、あまりベテランという自覚はしていないんです」
──那須選手は何度かチームを移籍してきました。どのような動機があったのでしょうか。
「その都度、思いは異なるんです。横浜F・マリノスから東京ヴェルディへの移籍はセンターバックで勝負したいという気持ちがありました。ジュビロ磐田への移籍は、ヴェルディがJ2へ降格してしまったこともあり、より上のカテゴリーで勝負したいという思いがありました。柏レイソルへの移籍はジュビロへ残る選択肢もありつつ、当時の柏はJリーグチャンピオンで、30歳という節目の年にチャンピオンチームで勝負をしたい気持ちが強かったです。ゼロからスタートしてレギュラー争いをする、新たなる挑戦と捉えていましたね。そして浦和からオファーを受け、これもまた挑戦ですよね。僕の周りには常に同世代で日本代表に選出される選手がいました。例えば前田遼一や駒野友一などです。僕はそのような立場ではなかったので、そのような同世代の選手に追いつき、追い越したい気持ちが強かった。ひとつのチームで実績を残して日本代表にまでなれれば良かったのかもしれないですが、僕の場合はそれができず、常に挑戦する場が必要だった。立ち止まるのではなく前へ進む。それがこれまで様々なクラブへ移籍した動機ですね」