前回書いたように、Xの普遍性が確立されていったのは1989年春のツアーからだった。

 そもそも1989年春のツアーは、アルバム「BLUE BLOOD」の世界を全国に届けるツアーでもあった。

 だからXの普遍性は、 つまり作品と、ライブ自体つまりパフォーマンス、このふたつが絡み合いながら確立されていったことになる。

 実際のところ、アルバム「BLUE BLOOD」は、完成した時点で既に、普遍性が確立されていた。

 だから、まず「BLUE BLOOD」で普遍性を形にし、その作品を伝える春のツアーを通してライブパフォーマンスも進化していく、といった流れで普遍性は確立されていったのだった。


 では「BLUE BLOOD」の普遍性は何なのか、というと、Xというバンドが持っている美しさ、感動、スケールの大きさ、そしてエネルギーの集大成ということになるだろう。

 そう、前回、このブロマガ「足りなかったもの」と表現した『美しさ、感動、スケールの大きさ』が、ちゃんと作品として結実しているわけだ。

 それらがちゃんと作品に結実したのは、アルバムの準備に先がけて、ライブツアーを通して少しづつメンバーとあるビジョンを共有していった、大切な時間があったからだった。

 そのビジョンは、1998年の春から徐々に明確になっていった。

 つまり普遍性は1年かけてビジョンから現実になっていったのだった。


 そのビジョンを、当時僕は『Xの未来』と呼んでいた。

 今回は『Xの未来』というビジョンが、単なるイメージから現実へとなっていく過程について書いてみたい。