• このエントリーをはてなブックマークに追加
平川克美氏:経済成長だけでは幸せにはなれない
閉じる
閉じる

新しい記事を投稿しました。シェアして読者に伝えましょう

×

平川克美氏:経済成長だけでは幸せにはなれない

2016-01-13 23:00

    マル激!メールマガジン 2016年1月13日号
    (発行者:ビデオニュース・ドットコム http://www.videonews.com/
    ──────────────────────────────────────
    マル激トーク・オン・ディマンド 第770回(2016年1月9日)
    経済成長だけでは幸せにはなれない
    ゲスト:平川克美氏(立教大学大学院特任教授)
    ──────────────────────────────────────
     2016年、マル激は「前提を問い直す=why not?」を年間のテーマに据え、社会が回るための前提を継続的に再確認してみたい。
     その第一弾として新年最初の収録では、「小商いのすすめ」や「消費をやめる」などの著作を通じて、成長一辺倒の資本主義の病理を問い続けてきた平川克美氏を迎え、なぜ先進国では経済成長が真の豊かさをもたらすことができなくなっているのかを議論した。
     ここ数年、日本経済は安倍政権の下、アベノミクスを通してデフレ脱却を目指してきた。アベノミクスに対する評価は分かれるが、金融緩和による円安効果や原油安の助けもあり、その間、株価は上昇。大手企業の業績も改善を見せるなど、少なくとも数字上アベノミクスは一定の成果をあげてきたと言われる。しかし、その一方で、われわれの多くが、景気の上昇はもとより、豊かさや幸福感さえ実感できないでいるのも事実だ。
     平川氏は高度成長期から安定成長期への移行期に日本では大きな価値の転換が起きたと指摘する。「心」から「物」へと主導権が移行したのだ。高度成長期はわれわれは生きるために働いた。しかし、その報酬としての豊かさを享受したことで、われわれの働く目的が、好きなものを買ったり、余暇を楽しんだりする「消費」のためのものへと変わった。
     生活と労働が一体だった時代は、生活のモラルがそのまま労働にも持ち込まれた。真面目に働くことが、そのまま真面目に生きていることの証だった。しかし、消費中心の経済の下では、欲望の拡大再生産が必要となる。しかし、物の消費をどれだけ繰り返しても、より大きな豊かさや幸せが得られるわけではない。
     戦後一貫した追求してきた経済成長が、もはや豊かさをもたらさないとしたら、これからの日本は何を目標にして進んでいけばいいのだろうか。平川氏は、日本は経済の規模を無理やり成長させなくても、社会を上手く回して循環させていくことで安定的な豊かさを享受できるような、「定常経済」のモデルを導入すべき時期に来ていると言う。定常状態とは、経済規模自体の拡大を目標とはしないが、世代交代や資本の更新を続けながら、新陳代謝を繰り返しつつ安定的に推移していく経済のことだ。
     「物」を中心とする規模の拡大から、倫理や心を重んじる新しい経済システムへ移行するための処方箋を、ゲストの平川克美氏とともに、神保哲生と宮台真司が議論した。

    ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
    今週の論点
    ・GDPは“豊かさ”を意味しない
    ・「株式会社」は死んだ
    ・古くから予見されていた、現在の定常経済
    ・「うまく生きる」のではなく「まともに生きる」
    +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++

    ■GDPは“豊かさ”を意味しない

    神保: 2016年を考えるにあたって、マル激ではこのような言葉を考えました。

    ///////////////////////////////////////////
    前提を問い直す→Why Not?
    ///////////////////////////////////////////

    神保: これは宮台さんと議論を進めてきて思うようになったことです。つまり、いろいろと前提が間違っているのではないか。あるいは所与のものと思われているものの前提が変わっているのに、同じようなことをやろうとして失敗しているのではないか。資本主義や民主主義といった大きな話もそうですが、これまではあえて前提を問わないでもいい、条件のいい時代が続いていたけれど、実は条件が変わっているのに、変わらない前提に乗っかったままボケている、ということがあるように見えます。そして、自分なりにそれを発展させると、「Why」を問うのはすごく大事なのだけれども、「Why Not」=「そうじゃなくてもいいじゃないか」ということが重要だと思うのです。ロバート・ケネディが1968年のカンザス州立大学でのスピーチで、「Why Not」を問うたことは有名です。実際は、バーナード・ショーの戯曲からの引用だったようですが、それを少し思い出しました。今年はそのようにして、いろいろな大きな前提を問い直す年として据えてみたいと思っています。宮台さん、最初に何かありますでしょうか。

     
    この記事は有料です。記事を購読すると、続きをお読みいただけます。
    ニコニコポイントで購入

    続きを読みたい方は、ニコニコポイントで記事を購入できます。

    入会して購読

    この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。

    コメントを書く
    コメントをするにはログインして下さい。