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『タッチ』における「賢者」としての原田正平と「影(シャドウ)」としての柏葉英二郎(後編)| 碇本学
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『タッチ』における「賢者」としての原田正平と「影(シャドウ)」としての柏葉英二郎(後編)| 碇本学

2020-07-30 07:00
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    ライターの碇本学さんが、あだち充を通じて戦後日本の〈成熟〉の問題を掘り下げる連載「ユートピアの終焉――あだち充と戦後日本の青春」。代表作『タッチ』の分析の最終回・後編です。
    主人公・上杉達也の影にあたる存在であり、本作を成長物語として完結させる役割を果たした柏葉英二郎。担当編集者のバトンタッチも含め、本作が後世に何を受け継いでいったのかを総括します。

    碇本学 ユートピアの終焉──あだち充と戦後日本社会の青春
    第12回 『タッチ』における「賢者」としての原田正平と「影(シャドウ)」としての柏葉英二郎(後編)

    呪詛に自分自身を乗っ取られた柏葉英二郎というもう一人の上杉達也(承前)

    その後も柏葉英二郎は、試合中ほぼ指示を出さず、OBから送られてきた野球用品を笑いながら勝手に焼くなど、当初の立場を崩さない悪役のままだった。視力がどんどんなくなっていく中で、「くだらん夢をみてうかれてるやつらに、一生悔いを残させてやる。明青野球部が世間の笑い物になるんだ。ちゃんとこの目でみせてくれ」という柏葉英二郎のモノローグがある。
    本作は基本的にモノローグを使わない作品なので、この描き方には少し違和感がある。この辺りは彼の内面を描いておかないと、須見工戦への伏線ができないとあだちも思ったのではないだろうか。そして準々決勝の赤宮戦のあと、かつての先輩二人が彼の前に現れるものの、先輩たちは彼のことを「柏葉英一郎」と勘違いしていた。そして、柏葉英二郎が彼らに牙を向ける。

    「どうした、森田? 野球部一の力もち── 昔はよく殴ってくれたじゃねえか。遠慮はいらねえ。ハデに一発乱闘騒ぎといこうぜ。幸い、近くに新聞記者もいることだし、明日のでっかい見出しにしてくれるぜ。」
    「そ、そんなことになったら、野球部はおしまいだぞ!」
    「的外れな心配をするな。このおれがなんのためにあんなガキどもにつきあってると思ってるんだ? おまえらが人まえで明青野球部OBなどとは、恥ずかしくていえなくしてやるためさ。楽しみにまってろ。」
    「あの子たちには罪はないだろ! 精いっぱい悔いの残らぬ試合をやらせてやれよ。」
    「その言葉(セリフ)は高校時代にききたかったぜ」
    〔コミックス20巻「冷たいなァの巻」より〕

    先輩たちの登場で、柏葉英二郎の中にある復讐心がより強まった印象を受けるシーンだ。準決勝の三光戦前には、上杉達也と柏葉英二郎の対決も用意されている。
    ピッチャーで3番打者でもある達也のバッティング練習にあたって、英二郎自らがピッチャー役をつとめるシーンだが、本気で投げ続ける英二郎の球になんとか食い下がり続ける達也。あまりの球の重さに「頭に当たったら死ぬなあ」と言っていた達也はヘルメットをしていなかった。
    そしてピッチングフォームに入った瞬間、視界がなくなり、栄二郎の脳裏に達也のその言葉が思い浮かぶ。達也を潰せば自分の復讐は終わるとわかっていたが、彼はボールを投げ捨ててナインに「会場へ向かうぞ」とグラウンドをあとにした。このように、達也だけではなくナインに対して、復讐を一瞬忘れていく場面が次第に出てくるようになってくる。

    須見工との決勝戦の前の晩には、ナインを試合前に消耗させようと思ったのか、いきなり全員にノックをするからグラウンドに出ろと告げる。しかし柏葉英二郎の悪意に反して、準決勝をノーヒットノーランで終えたため、ほとんど体を動かせていない一軍メンバーを筆頭に勇んでグラウンドに出ていく。それを見て呆れかえった英二郎は、あとからやってきた達也に苦虫を噛み潰したような表情で話しだす。

    「いいかげんに教えてやったらどうだ。あのお人好しのバカナインたちに。」
    「は? なんのことでしょ。」
    「きさまらの監督を信じてると、とんでもないことになるということだ。」
    「ほんとにとんでもないことですよね、明日勝てば甲子園なんて。いやはや。」
    「ねぼけたこといってんじゃねえ! おまえらに個人的な恨みはねえが、明青野球部に籍をおいたことを不運と思ってあきらめるんだな。」
    「復讐復讐というわりには、手かげんが多いみたいですけどね。最後の線を躊躇してしまうのは、どこかにまだ野球を憎みきれない部分が──」
    「おれは、うまいものは最後にまわす性格(タチ)でな。効果的に一番世間の注目を集める決勝戦までおあずけしてただけなんだよ。」
    「次からはうまいものから食べることをお勧めしますよ。」
    〔コミックス21巻「ほめるもなにもの巻」より〕

    これが甲子園まであと1試合という野球部の監督とピッチャーの会話だとは、誰も思わない内容だ。そして、アロハシャツを来た陽気な雰囲気を醸し立つ西尾監督が退院して、孝太郎と共に二人の前に現れる。
    達也としては監督が復帰するなら、このヤクザな監督代理とはおさらばできると思ったが、柏葉英二郎に決勝戦を託すと言って今までのお礼を言って帰ろうとする。必死で止めようとする達也に西尾は、須見工の監督とは高校時代からのライバルで一度も勝ったことがないと告げる。だからこそ、柏葉監督代理のままで決勝戦を戦ってほしいと願いを託す。達也は、本当のことを言わずに孝太郎とグラウンドに出るためにその場をあとにする。外は雨が降り始めていた。西尾と柏葉だけが残される。

    「ほんとうにいいんですか、おれにまかせて。」
    「わしは高校野球が大好きだ。明青野球部を心から愛している。そして、ただそれだけの監督だ。病院のベッドで長い監督生活を冷静に振り返って、つくづくそう思ったよ。このバカ監督のおかげで、その才能を開花することなく、去っていった部員も数えきれないだろう。ほんとうに人をみぬく力などわしにはない。だから信じるだけだ。須見工に勝つために必要なのはわしではない。本物の監督だ。まかせたぞ、柏葉英二郎。」(編注:「英二郎」に傍点「、、、」)
    〔コミックス21巻「あいつといっしょにの巻」より〕

    この時点でほぼ柏葉英二郎の呪いは解けたようなものだった。しかし、それでも長年の怨念と復讐心に支配されている彼は本来の自分には戻れなかった。
    須見工との決勝戦において、試合展開が進むほどに英二郎の視力がどんどんなくなっていくのは、本来いたはずの光の方へ向かおうとする本当の英二郎を、怨念や復讐心の側がどうしても手放したくないように見えなくもない。
    試合中の達也と柏葉英二郎のベンチでの会話が、彼を光の方に進ませていく要因にもなっており、終盤にようやく指示を出し始め、本当の監督になっていくという彼の呪縛からの解放が描かれる。

    「どうした? 上杉和也は力を貸してくれないのか? 貸すわきゃねえよな。 どんなきれいごとならべたって、実際に甲子園にいくのはおまえらなんだ。もちろん、勝てればの話だがな。全国13万の高校球児の夢と栄光を手に入れるのは、──上杉達也おまえなんだぜ。」
    「……なにがいいたいんですか?」
    「(ベンチに飾ってある上杉和也の写真を見ながら)こんな写真を甲子園のベンチに飾って満足するのは、お前らの感傷だけだということだ。そんなもんで本望だの成仏しただのと、勝手に整理をつけられちゃたまらねえってよ。華やかな舞台にたった兄を、暗闇でみつめる弟の気持ちがわかるか? それもその華やかな舞台に自分の出番は金輪際あり得ないとしらされた、弟の気持ちが───」
    「あんたと和也を一緒にするな。」
    「それじゃおまえはどうだった? 弟の華やかな舞台をみながらなにを考えていた。まだ出番の可能性が残されていたおまえは── 弟が舞台から転げ落ちるのを期待したことなど、一度もなかったというのか? 上杉和也の代役を気どって打たれたんじゃ困るんだよ。上杉和也がなにを考えているか教えてやろうか? ──こいつはな、上杉達也がめった打ちされるところをみたいんだよ。おれがいなきゃ甲子園なんかいけるものかといいたいんだよ!」
    〔コミックス23巻「おまえなんだぜの巻」より〕

    「──ところで、監督ということばをしってますか? 出番がなかったなんてあり得ないなァ。あんたは写真じゃないんだから。華やかな舞台から人をひきずりおろすことばかり考えているから、自分の出番を見逃してしまうんですよ。―さてと、いってくるぜ、和也。声がかかるのをまってないで、自分から舞台にあがったらどうですか? ──ま、とりあえず、9人のバカを線にするという、つまらない役ですけどね。考えといてくださいな、──監督。」
    〔コミックス23巻「かかったかの巻」より〕

    試合は8回表明青学園が2対3で、1点のビハインド。7回も抑えたピッチャーの達也が柏葉の隣に座っていた。

    「あとアウト6つ。生爪でもはがして、血ぞめのボールを投げ続けてみせたら、少しは感動して動く気になってくれますかね。」
    「おもしろいな。試してみたらどうだ。」
    〔コミックス23巻「テレ屋さんの巻」より〕

    いきなり柏葉英二郎が達也の右手を掴んで爪を見ると血がついていた。それを見た瞬間に彼の顔が明らかに変わる。その後の描写で達也の鼻から血が出ており、のぼせて鼻血が出ていたのが爪についていたのがわかる。しかし、バッターボックスに入っていた「工藤」の名前を叫びベンチに呼んで、「二球目と四球目だ。ピッチャーめがけて思いっきり振ってこい!」とはじめて監督として監督らしい指示を出す。
    ベンチのナインもお互いに顔を見合わせ、達也も柏葉に指と鼻を指差してのぼせただけだと伝えるが、彼は表情を変えずに試合を見ていた。佐々木が分析した須見工のデータを頭にいれており、他の選手にもそれぞれ何球目を打つかを伝えていくことになる。
    新田まで回る8回裏のグラウンドに戻っていく達也に「ストライクは投げるな」「試合に勝ちたいなら新田にはストライクを投げるな」と。達也は「それは命令ですか。命令なら従います」と言うと、柏葉英二郎は「確率の問題」と告げる。そして、達也は新田に渾身のストレートを投げて勝負をするが、ホームランを打たれて逆転されてしまう。そのあとを抑えてベンチに帰ってきた達也たち。残すは9回表の攻撃だけとなり同点にならなければ敗退が決まってしまう。


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