一般の人の意見にハッとする時があります。
月白さんは、こう書いています。
「舛添都知事は社会的に殺されてしまいました。
テレビで見ているとただのイジメにしか見えませんでした。」
「何とも恐ろしい世の中になってしまったなと、
ため息しか出ません。」
人々が群集心理で一方向に暴走し始めたとき、そう感じる
ことが出来る人がいるのは救いです。
『民主主義という病い』は「主権者」と思い込んだ一人一人が、
「個人」を喪失して、群集に埋没してしまう恐ろしさですね。
もはや舛添要一は人格を否定されている。
人間として否定されている。
存在を否定されている。
家族で心中せよと群衆が言っている。
「今は師範の方々のおかげで幸運にも自分はバッシング
する側に回っていませんが、ひょっとしたらちょっとした
ボタンのかけ間違いでバッシングする側に回っていたかも
しれないと考えると恐ろしいです。」
この自分自身に対する客観性は大事ですよね。
舛添がセコいのは間違いないのだから、実例を見ると呆れて
批判したくなるんです。
わしだって「つるセコ」ぶりをからかっていました。
だがそれが群集心理になると、引いて見なければならない。
暴走し始めると警告しなければならない。
止めるのは大概、不可能ですけどね。
それでも気づく人を増やす努力はした方がいい。
「もくれんさんのライジングの記事もブログの方も大変
勉強させて頂いています。あんなに詳細にデータを集めて
書いたら相当に時間がかかったでしょうに頭が下がります。」
他人の努力に対する想像力が働かない人が増えています。
えらそうな物言いで、破たんした「私論」を述べるネット民が
増えすぎています。
自分で勉強して、自分で考えて、しかも他人に分かりやすく
伝える文章を書いてくれる者には、敬意を払わなければならない。
それが分かる人がいれば、泉美さんも報われる気がするでしょう。