あと6日、11日が「ゴー宣道場」だが、譲位と典範改正を
二段構えでやるという案が政府内で浮上しているという。
これは譲位だけで済ませて、皇太子殿下を作らない
ということになる。
典範改正を先延ばしにして、いずれ忘れさせ、葬り去る
つもりに違いない。
こうなったら、今までブログで発表してきた「ゴー宣道場」
の構成も、いったん白紙に戻す!
もっと過激な議論をしなければならない。
仲間内で同じことばっかりしゃべるというのも、ダメだ。
その場で初めての議論をやらねばならない。
外部への訴求力を高めるには、内部での予定調和を
排することだ。
男系派との討論形式にしても、「朝ナマ」のようになるだけで、
議論の結果が世論にも影響を与えない。
それどころか、司会者が議論の決着がつかないから先延ばし
にした方がいいと、首相に進言しに行くようなバカバカしい
ことになるだけだ。
そもそも議論の結果で、双方の折り合いがつく話ではないのだ。
そうなると日本会議のように、政権にロビー活動をしていた方が
勝ちになるだけである。
なにしろ、天皇陛下があれだけリスクを冒して発言されても、
政権は平然と無視するのだ。
天皇陛下を軽蔑している政権に、何を言っても無駄だ。
だが、我々が日本会議のような「運動」をやるわけには
いかない。
現場を持つ庶民は「運動」なんてやれないのだ。
「議論」の訴求力を高めるためには、お行儀のいい会話で
済ませてもダメだ。
11日の「ゴー宣道場」は、わしが議論をリードしていく。
師範たちに、次々に指名して、問題提起していく。
タブーな話もやらねばならぬし、人格攻撃もやらねば
ならない。遠慮することはない。
皇室の話だからとお行儀よくやるのは止めよう。
行儀の悪い奴らが政権に影響を与えてるじゃないか!
過激過激と言っても、そもそも「天皇」とは何か?
「伝統」とは何か?
天皇個人は器に過ぎなくて、男系血脈こそが大御心とする
イデオロギーは正しいのか?
「皇室」は続くのか?
というところまで踏み込んでいく。
そして言っておくが、国民の関心を喚起するために
わしは何よりも優先させて『ゴー宣special』を描きおろす
ことにした。
どんな内容を描くかは明かせないが、作家として戦うしか、
やるべきことはない!