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第299号 2019.1.15発行

「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、著名なる言論人の方々が出版なさった、きちんとした書籍を読みましょう!「御意見拝聴・よいしょでいこう!」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが現代社会を鋭く分析「トンデモ見聞録」や小説「わたくしのひとたち」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)

【今週のお知らせ】
※「泉美木蘭のトンデモ見聞録」…「用件は電話でなくメールで」と言う人がものすごく増えた。連絡事項ならメールでやりとりできるほうが便利な面もあるが、複雑な感情や考えのすり合わせ、些細なニュアンスなど、電話で話したほうが良さそうな内容でも、長々とメールでやりとりしなければいけない時もあり、ちょっと面倒である。人と話すことをしていないと、言葉を選ぶ頭の回転がにぶり、ボキャブラリーがどんどん貧弱になっていくように思う。話すことの中でしか使われない表現というものもあるだろう。
※「ゴーマニズム宣言」…昨年暮、DA PUMPの「U.S.A.」がレコード大賞を逃したことについて「レコード大賞、空前のペテンだ!」とブログに書いたところ、「かさこ」とかいうブロガーが「『USAこそレコ大』の批判は情弱」という反論のブログを書いてきた。YouTubeを見てない奴は「情弱(情報弱者)」だと言うのだ。言ってることが根本的に狂っている!「情弱」なんて全く無駄な言葉である!
※よしりんが読者からの質問に直接回答「Q&Aコーナー」!日本人の意思とは関係なく、いずれ「アメリカからの独立」自体は達成されるのでは?原作者として(作画は別の漫画家)作品を制作することは考えたことない?NHKで話題の「チコちゃん」をどう思う?ZOZOTOWN・前澤社長のお年玉企画はあり?NGT48・山口真帆さんに対する暴行事件への運営の対応をどう思う?SPA!の問題の記事、もし自分の娘が通う大学名が出ていても擁護する?…等々、よしりんの回答や如何に!?


【今週の目次】
1. 泉美木蘭のトンデモ見聞録・第110回「書くのも大事、読むのも大事、会話も大事」
2. ゴーマニズム宣言・第308回「〈情弱〉は死語にしろ!」
3. しゃべらせてクリ!・第256回「天高く凧上がるお正月ぶぁ~い!の巻〈後編〉」
4. Q&Aコーナー
5. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
6. 編集後記




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第110回「書くのも大事、読むのも大事、会話も大事」

 不動産屋とマンションの契約をしたら、「今後もし困りごとがあればメールで連絡して欲しい」とメールアドレスを渡された。マンションの困りごとなんて、水漏れや鍵の紛失など急ぎの要件が多いのだから、メールより電話じゃないのと思ったが、相手はメールのほうが応答しやすく都合が良いらしい。それならいいが、困りごとで不安になっている時は、人の声で安心できるところもあるから、私は電話のほうがいいのだけど。

 こんなことを言うと年寄りみたいだが、「用件は電話でなくメールで」と言う人がものすごく増えた。私自身、かなりの長時間パソコンで仕事をしているので、連絡事項ならメールでやりとりできるほうが便利だともちろん思っているが、複雑な感情や考えのすり合わせ、些細なニュアンスなど、電話で話したほうが良さそうな内容でも、長々とメールでやりとりしなければいけない時もあって、ちょっと面倒だ。メールで通信している相手に電話をかけると、「どうしました!?」とびっくりされたりもする。
 いまやそれが当たり前なのかもしれないけれど、私の感覚では、人と話すことをしていないと、言葉を選ぶ頭の回転がにぶり、ボキャブラリーがどんどん貧弱になっていくように思う。話すことの中でしか使われない表現というものもあると思うのだ。

■庶民の生活から飛び出す言葉
「世の中ものすごい超高齢化よな。うちのおばあちゃんも93歳で相当な年寄りやと思ってたけど、病院へ行ったら、同じようなお年寄りが佃煮にするほど寝とるんさ!

 母が、祖母を入院させた時のことをこう語った。
「佃煮にするほど寝とる」というのは、小魚やイナゴのように有り余って佃煮にするほど大勢の人が寝ているという意味で、感情を込めて強調したいときに出る表現だ。書き言葉というよりは、庶民の生活の中から話し言葉として《飛び出す》タイプのものだと思う。母や祖母が使うのを7~8年に1度聞く程度だが、そういやこんな表現が飛び出すことはもうほとんどないよな、と思った。
 まったく聞いたことがないという人もいると思うが、方言ではない。雰囲気的に落語から広まったように想像するが、もとは間違いなく佃煮を作る地域から出たものだろう。太宰治や坂口安吾らと共に無頼派と称された織田作之助は、この言い回しが気に入っていたようで、戯曲や小説に使っている。

 死んでもいい人間が佃煮にするくらいいるのに、こんな人が死んでしまうなんて、一体どうしたことであろうか。
(織田作之助『武田麟太郎追悼』)

 この阿呆をはじめとして、私の周囲には佃煮にするくらい阿呆が多かった。就中、法科志望の点取虫の多いのには、げっそりさせられた。
(織田作之助『髪』)

 そもそも佃煮は、漁村から広まった保存食だから、この表現が定着しやすい地域とそうでない地域があったのかもしれない。私の地元は旧漁村で潮干狩りの名所だから、祖母がよく貝の佃煮を腐るほど作っていた。バケツに何倍分もの佃煮にするほどの貝を腐るほど佃煮にするんだから、すごい。ただ、自宅で佃煮を作ったことがない家も多いだろうし、スーパーやコンビニで小さな佃煮パックしか見たことがない人になると、正確なニュアンスは想像できないだろう。
 でも面白い表現だし、佃煮は日本の特有の食べ物だからチャンスあらば使っていこうと思っている。ネトウヨをからかうのにももってこいだ。なにしろ佃煮にするほどいるからね。

■4歳下の代で消えていた言葉
「子供の時はまだこの辺りは田んぼでさあ、夏になると、よく地面にしゃがみこんで、かんぴんたん拾って遊んだよなあ」
「姉ちゃん、かんぴんたんて何?」
「え! あんた、かんぴんたん知らんの?」