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第50号 2013.8.20発行


「小林よしのりライジング」
『ゴーマニズム宣言』『おぼっちゃまくん』『東大一直線』の漫画家・小林よしのりが、Webマガジンを通して新たな表現に挑戦します。
毎週、気になった時事問題を取り上げる「ゴーマニズム宣言」、よしりんの心を揺さぶった“娯楽の数々”を紹介する「カルチャークラブ」、『おぼっちゃまくん』の一場面にセリフを入れて一コマ漫画を完成してもらう読者参加の爆笑企画「しゃべらせてクリ!」、漫画家キャリア30年以上で描いてきた膨大な作品群を一作品ごと紹介する「よしりん漫画宝庫」、珍妙な商品が盛り沢山(!?)の『おぼっちゃまくん』キャラクターグッズを紹介する「茶魔ちゃま秘宝館」、読者との「Q&Aコーナー」、作家・泉美木蘭さんが無限に想像をふくらませ、とことん自由に笑える「日本神話」の世界を語る「もくれんの『ザ・神様!』、秘書によるよしりん観察記「今週のよしりん」等々、盛り沢山でお送りします。(毎週火曜日発行)



【今週のお知らせ】

※今週の「ゴーマニズム宣言」は、話題の『風立ちぬ』(宮崎駿監督)への反応から浮かび上がる、現代の思想状況を分析。マスコミに「若者の象徴」と持て囃される若手論客たちは、果たして本当に若者を代表しているのか?創作者の「業」も理解できない者に、評論家の資格はない!!
※死と再生の世界・根之堅州国(ネノカタスクニ)へやってきたオオナムチ。肉食系女子・スセリビメとの「あはん」な出会いに、思わず痺れちゃったオオナムチの前に現われたのは、なんとあの伝説の暴れん坊・スサノオノミコト!!どうなる!?今週も「ザ・神様!」から目が離せない!!
※よしりんが、香港でサモ・ハン・キンポーと「対決」した体験から、構想が浮かんだという『格闘お遊戯』を紹介している「よしりん漫画宝庫」。格闘技宇宙一を目指す式闘志(しきとうし)と、敵の“影番”が繰り広げる奇想天外な死闘!!よしりん漫画の魅力の一つである「バトルストーリー」の先駆け的作品を見逃すな!


【今週の目次】
1. ゴーマニズム宣言・第52回「『風立ちぬ』典型的なサヨク反応」
2. しゃべらせてクリ!・第12回「真夏のぺろぺろ親子愛!の巻」
3. もくれんの「ザ・神様!」・第15回「まさか娘とアレした直後に――恐怖のオヤジ・スサノオ、現る!」
4. よしりん漫画宝庫・第49回「『格闘お遊戯』②奇想天外拳法続々登場!!」
5. Q&Aコーナー
6. 今週のよしりん・第47回「お盆:本当にあった怖い話」
7. 新刊案内&メディア情報(連載、インタビューなど)
8. 読者から寄せられた感想・ご要望など
9. 編集後記


【生放送予定】



 21日(水)21:00からニコニコ生放送

 「もくれん&よしりんの好きな映画」(よしりんに、きいてみよっ!#24)

 小林よしのりと泉美木蘭の制御不能トーク!
 

 【よしりん談】
 なんと『小林よしのりライジング』の配信1周年だということで、記念すべき通常の生放送を行うことになる。
 記念すべき普通のテーマは「もくれん&よしりんの好きな映画」だ!
 一周年を大々的に記念するフツーのテンションで、映画について、二人で熱く放言をぶちかましてみよう!

 お楽しみに!♪




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第52回「『風立ちぬ』典型的なサヨク反応」

 韓国にも宮崎駿ファンは多いらしいが、 『風立ちぬ』には「やっぱりな」という馬鹿馬鹿しい反応が続出している。
 曰く、「ゼロ戦を美化している」「右翼映画」「宮崎駿監督がついにボケた」という「戦前の日本は悪」と決め込んだ批判だ。
 日本の作家・表現者は全員「戦前の日本は悪」として描かなければ許さないというのが、韓国人の反日カルト教なのだから仕方がない。
 だが驚いたことに日本人にも、この韓国人と全く同じ感性の者がいるのだ。しかも評論家の中に。

 『風立ちぬ』の評論を宇野常寛が「ダ・ヴィンチ」9月号に書いているというから読んでみたが、「なんだこりゃ?」と脱力するしかないシロモノだった。
 宇野は主人公・堀越二郎や、二郎に自身を重ねているであろう宮崎駿について、以下のように書き連ねて行く。

 「二郎の『美しい飛行機をつくる』夢は、常に戦争の影に脅かされている
 「大人になった二郎は軍事技術者以外の何者でもなく、その『美しい飛行機』=ゼロ戦は日本の軍国主義の象徴になってしまう
 「彼の考える『美しい飛行機』は戦争のもつ破壊と殺戮の快楽と不可分だったはずだ
 「宮崎駿が考える『美しい飛行機』とは大仰で猥雑なカプローニの大輸送機ではなく、スリムでストイックなゼロ戦であり、平和な時代の旅客機ではなく暗黒の時代の殺戮兵器だったのだ

 韓国人の批判と、全く同じじゃないか!
 韓国人が言うならともかく、今どきの日本で、ゼロ戦を「暗黒の時代の殺戮兵器」としか思えない若者なんているのか!?
 といっても宇野は今年35歳の「ポスト団塊Jr世代」で、もはや中年かもしれないが。
 ゼロ戦を「暗黒の時代の殺戮兵器」とまで決めつける人間がいるとは本当に驚いた。
 まさに戦後民主主義サヨク!わしが『戦争論』(幻冬舎)で分類したサヨク以外の何ものでもない!

 わしの子供の頃には少年漫画誌に『ゼロ戦レッド』『0戦はやと』『紫電改のタカ』などが連載されていたし、グラビアには小松崎茂の迫力ある戦争画や、戦闘機・戦艦の図解等が毎号載っていて、わしは夢中になって読んでいた。
 プラモデルまで作るほどゼロ戦が好きだったし、戦時中の誇るべき日本の技術だとずっと思ってきた。
 『0戦はやと』はテレビアニメにもなり、脚本と主題歌作詞は駆け出し時代の倉本聰が手掛けている。ただ、このテレビアニメ放送については実は一悶着あったという。

 当時(1963年)はテレビアニメの創世期で、手塚治虫が個人プロダクションの「虫プロ」による自主製作で国産初の連続テレビアニメ『鉄腕アトム』を成功させたのに続けと、漫画家・吉田竜夫が「竜の子プロダクション」、うしおそうじが「ピー・プロダクション」を立ち上げ、まるで漫画の持ち込みのように自主的にアニメ番組を企画してテレビ局に売り込んでいた。
 『0戦はやと』はピー・プロがTBSに売り込み、放送が決まりかけていた。ところが「戦争マンガ放送とはケシカラン、憲法9条違反だ!」という声が挙がり、話が流れてしまった。
 この話はテレビ業界に広まり、NET(後のテレビ朝日)も日本テレビも断り、やっとのことでフジテレビでの放送が決まったというのだ。

 今となっては「戦争マンガは憲法9条違反」なんて笑い話と思っていたのだが、どうも宇野の思考パターンはこれと大差なさそうだ。
 昭和30年代の男の子は、みんな素直にゼロ戦をカッコイイと思っていた。「美しい飛行機」として捉えていた。
 「暗黒の時代の殺戮兵器」なんて思っていた子供なんて、誰ひとりいなかったのだ。


 国運を賭けた戦争を遂行している最中は、ありとあらゆる分野においてその国の最高レベルの技術が投入される。戦時中に高性能の飛行機を作れば、戦闘機になるのは当たり前のことだ。
 平和な時代なら堀越二郎も旅客機を作っただろう。人は生まれてくる時代を選ぶことはできない。自分が生きている時代の中で、与えられた条件の中で、最善を尽くす以外にないのだ。

 日本が世界に誇る新幹線の開発には、軍用機開発で培ってきた技術が余すところなく投入された。
 開発グループの中心人物だった技術者・三木忠直は、戦時中は戦闘機の設計開発に携わっており、特攻兵器の一人乗りロケット「桜花」の設計も手掛けている。
 三木は新幹線開発の際、常々部下に「格好のいい車体を作りなさい。格好の悪いのは駄目だ」と言っていた。そのとき、三木の脳裏には自分が作った爆撃機「銀河」の流線形の機体が常にあったといい、実際に初代の新幹線「0系」は「銀河」を彷彿させるフォルムをしている。

 また、超高速で走る車体の揺れを防ぐ技術を開発したのは、ゼロ戦の機体の揺れを制御する技術を確立した松平精(ただし)だった。
 堀越二郎の設計だけではゼロ戦は実用化できなかった。空気抵抗による機体の揺れを抑える技術が確立されなければ空中分解のような重大な事故が発生する。これを解決したのが松平精であり、松平は新幹線開発においてもその経験を生かし、画期的な油圧式バネを開発し、安全で乗り心地の良い車体を完成させたのである。

 新幹線は、宇野が汚らわしいもののように言う「軍事技術者以外の何者でも」ない人々が「暗黒の時代の殺戮兵器」のように美しい車体を目指し、「暗黒の時代の殺戮兵器」の技術を転用して作ったのだ。
 当然、宇野は決して新幹線には乗らないのだろう。


 宇野はさらに、映画の堀越二郎が「物語の結末で、ゼロ戦が軍国主義の象徴になった事実に直面しても」「反省もしなければ新しい行動を始めるわけでもない」と非難している。
 このような物言いを見ると、わしは藤田嗣治の戦争画を全否定した戦後の左翼文化人の感性を思い出す。

 藤田嗣治は「乳白色の肌」と呼ばれた裸婦像で有名だが、戦時中は陸軍などの要請を受け、100号、200号に及ぶ戦争画の大作を次々と手掛けた。
 藤田が「国のために戦う一兵卒と同じ心境で描いた」と述べた精密な戦争画は、今なおどんな映画にも表現できないと思えるほどの迫力にあふれた、鬼気迫る傑作である。

 ところが敗戦後、空気が一変し、日本美術会書記長・内田巌(戦後日本共産党に入党し、プロレタリア画壇を牽引した画家)らが藤田を「戦争協力者」として糾弾。
 藤田は「日本画壇は早く国際水準に到達してください」との言葉を残してフランスに渡り、フランス国籍を取得して二度と日本へ戻らなかった。
 藤田は「私が日本を捨てたのではない、日本に捨てられたのだ」と常々言っていた。
 その一方、「私はフランスに、どこまでも日本人として完成すべく努力したい。私は世界に日本人として生きたいと願う。それはまた、世界人として日本に生きることにもなるだろうと思う」と語り、フランスに帰化しても生涯日本人であることを意識し、日本に対する愛情を持ち続けていた。