高森・切通両氏の動画「時事楽論」の
「『AKB48論』から『大東亜論』へ」が本当に凄くて感動した。
褒めてくれるのは気恥ずかしいし、仲間内の本だからという
偏見も持たれると思っていたが、この二人の評論は本当に勉強になった。
「女の群像劇」も「男の群像劇」も、わしの描き方が
評論から感性に移行してるし、いわば左半球から右半球に
移行した本になってるから、わし自身が主観的で、
無意識で描く作品になっている。
どちらも絵の力が大きくなってきた。
だから、わし自身の無意識を言語化する評論は、とてもありがたい。
切通氏が言うように、『AKB48論』がメンバーにインタビューせずに、
「一期一会」を微細に描く手法にしたというのも、その通りだし、
それは握手会でのメンバーとファンとの「一期一会」の感動とも繋がる。
『AKB48論』の中の「人に優しくされたら同じことを自分が出来るか?」
というメッセージも、人間と人間の結びつきの貴重さを問うてるし、
それは『大東亜論』の血肉の通った人間と人間の
紐帯と衝突を描く意識と通底している。
ネット間での匿名の紐帯や衝突には何の意義もない。
生身の人間の「一期一会」こそが貴重なのだ。
熾烈な競争社会でサバイバルする美しい少女たちの
「本気・マジ」を見るヲタたちが、果たしてその
「本気・マジ」に影響されているかどうかが怪しいという皮肉も、
言いにくいことだが、『AKB48論』には描いてしまった。
同じ「本気・マジ」の生き方を、『大東亜論』でも描いている。
高森・切通両氏には、わし自身の無意識を指摘される驚きがある。
高森氏の言う、来島恒喜のテロこそは実は
「近現代のテロの頂点」だというのは、まったくその通りだ。
だからこそこの本は、左翼リベラル陣営も話題にしないし
アメリカの「テロとの戦争」に全面同意した
自称保守陣営も話題にしない。
一つ間違えば、テロ賛美論にも繋がりかねない危険な書は、
右にも左にも理解できない状況に、今はなっている。
切通氏の「啓蒙主義の限界という考え方の胡散臭さ」も
まったくその通りだと思う。
そして高森氏が頭山の「大西郷遺訓」を引いて、
「少数の意義」を説いているのがさすがだし、
今後の展開の予見も見事と言うしかない。
今の時点では『大東亜論』について、
ここまで読める人はいないと思っていた。
ぜひこの動画を視聴してほしい。