ズンドコ・トラブル興行研究会!! プロレス格闘技のウラに精通する書き手たちがマット界を騒がせたズンドコな事件を振り返ります! 今回はプロレスブログ「多重ロマンチック」の漁師JJさん。今回のテーマは「闘魂三銃士興行」!




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ズンドコ。プロレス界でそう呼ばれる興行開催までの道のりは幾多もある。しかしそんな燃焼材もすべては華やかな本番のため。

しかし中には盛り上がるだけ盛り上げたのち、最終的に開催されないという大オチをつけた大会もある。それが2004年の闘魂三銃士興行だ。

闘魂三銃士とは1984年に新日本プロレスに同期入門した武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也、3人の呼び名で、全日本プロレスの四天王と対をなす言わずと知れたプロレス界の看板スター。当時の三銃士模様といえば、蝶野のみ新日本所属。武藤は全日本。橋本はZERO-ONEと蝶野以外は自分の城を持ってる立ち位置だった。

きっかけは5月9日、TFMホールで行われたトークイベント「三銃士サミット」。闘魂三銃士デビュー20周年記念イベントとして行われたこのイベントは新日本プロレスのプロモーターの一つである新日本プロモーションが主催。

勘違いされやすいが、新日本プロモーションは新日本プロレスと資本的なつながりはなく、かつて元新日本取締役、アントニオ猪木のマネージャーだった坂口泰司代表が指揮棒を振る新日本プロレスの地方大会プロモートを業務とする企業だ。こちらの坂口さん、名前は似ているが元プロレスラーにして世界の荒鷲、新日本相談役・坂口征二と血縁関係にはなく、例えるならマサ斎藤とヒロ斎藤の関係だ(なんか間違ってる気もするが、だいたい合ってる気もする)。

出演者は午後12時半集合のイベントに、武藤敬司のみ定時到着。蝶野は1時間遅れ。破壊王は2時間遅れで到着とイベント前かららしさ爆発。


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