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マクガイヤーチャンネル 第69号 【危ない人映画と『ディストラクション・ベイビーズ』】
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マクガイヤーチャンネル 第69号 【危ない人映画と『ディストラクション・ベイビーズ』】

2016-05-30 07:00
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    マクガイヤーチャンネル 第69号 2016/5/30
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    おはようございます。マクガイヤーです。

    前回の放送「最近のマクガイヤー 2016年5月号」は如何だったでしょうか?

    アンケートでしっかり次回の内容が決まって、ちょっと安心しております。あとは準備するだけや!


    ○6/10(金)20時~

    ニコ生マクガイヤーゼミ「腸管免疫と腸内フローラ」

    最近、テレビや雑誌でめっちゃ話題な腸内フローラ。

    を腸管免疫と共にマクガイヤー流に解説する久しぶりの科学回です。

    ウンコが出なくて悩んでる人は必見ですよ!


    ○6/30(木)20時~

    「最近のマクガイヤー 2016年6月号」

    いつも通り、最近面白かった映画や漫画について、まったりとひとり喋りでお送りします。

    詳細未定。


    ○7月前半(日程未定)20時~

    「ピクサー続編映画の光と闇(仮題)」

    7/16よりピクサー期待の新作映画『ファインディング・ドリー』が公開されます。

    本作は『ファインディング・ニモ』の13年ぶりの続編です。

    ピクサーが作る映画とその続編には、傑作もあれば、駄作もありました。

    そこで、ピクサー過去のシリーズ作品を振り返りつつ、「ピクサーの続編とはなにか?」について考えたいと思います。



    番組オリジナルグッズも引き続き販売中です。

    マクガイヤーチャンネル物販部 : https://clubt.jp/shop/S0000051529.html


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    次回ニコ生ゼミのイラストを用いたマクガイヤー仮面Tシャツ

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    マクガイヤー・ウォーズTシャツもできましたよ!もできましたよ!

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    引き続き、思わずエナジードリンクが呑みたくなるヒロポンマグカップの他に


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    いつもイラストを描いて頂いているアモイさん入魂の一品、キヨポンマグカップ


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    童貞ニッポンとシビル・ウォーTシャツ


    ……等々も絶賛発売中!




    さて、今回のブロマガですが、前回のニコ生で話題になった最近の暴力と『ディストラクション・ベイビーズ』について、補足というか話し足りなかったことを書かせて下さい。

    『ディストラクション・ベイビーズ』を観た後、キャストに惹かれて劇場に来たと思しき若い女性が「全然分かんなかったー」と呟いていたことを思い出したもので。



    先日、シンガーソングライターの冨田真由さんが、ファンを自称する男に刺され、重体となる痛ましい事件が起きました。

    前回のニコ生にて、そのことについてどう思うかというコメントをしてくれた人がいたのですが、

    「暴力はいけないよねー」

    「嫌がらせする時点でもうファンじゃないよねー」

    「相手に気づかれる時点でストーカーとしては二流だよねー」

    くらいのことしか言えなかったわけです。

    すいません。

    この事件、当初は冨田真由さんが地下アイドルと報道されておりましたが、アイドルにも地下アイドルにもシンガーソングライターにも特段の興味の無い自分は、他人事として感じておりました。


    しかしですね、その後、冨田さんが『仮面ライダー フォーゼ』第一話に出演していたと聞くに及び、なんだか他人事とは思えなくなってきました。

    http://www.moegame.com/sfx/archives/201605231008.html

    『フォーゼ』第一話は、今をときめく福士蒼汰演じる如月弦太郎が転校してくるシーンから始まります。

    そこで、冨田真由さん演じる女子高生がイケメンっぽい雰囲気を漂わせる男子高校生、歌星賢吾にラブレターを渡し、告白するさまに遭遇します。ですが、賢吾くんはクールな男なので「時間の無駄だ」とばかりにラブレターを川に棄ててしまいます。

    昔ながらの不良の格好をした熱い漢である弦太郎は「棄てるやつがあるか! 相手の思いはきちんと受け止めろ。それが礼儀ってもんだ!」と川に入り、ラブレターを拾い上げるも、当の女子高生も賢吾くんも既にいなくなっている……という、主要キャラクターの説明と、後に「仮面ライダー部」なるチームを組むことになる関係性の発端を描くという、中島かずきの職人性が存分に発揮された名シーンでした。


    冨田真由さんを刺した男は、プレゼントとして渡した高級時計を郵送で返却され、激怒したことが犯行のきっかけとなったということですが、先の弦太郎の言葉を思い出してしまうわけです。


    一旦はプレゼントを受け取って、冨田さんは思いをきちんと受け止めたのだから、犯人はその意味を考えるべきだった、とか。

    あるいは、ファンからプレゼントを受け取るのも仕事のうちで、きっちり受け取らなかったから、こういう事件が起こってしまったのか、とか。


    いずれにせよ、自分の思いが通じないことを理由に暴力を振るう犯人が一番悪いわけですが、こういう事件が起こると、どうしても自分は被害者よりも犯人の方に感情移入してしまうのです。

    自分は女性ではないし、シンガーソングライターでもないし、ましてや地下アイドルでもないし、一方で、男性であり、アーティスト側の人間というよりはただのファンであり、その昔ストーキングみたいなこともしていたので、当然といえば当然ですね。



    殺人鬼や殺人を犯す人間を扱った映画や文学は、こういう時のためにあるといって良いでしょう。


    近現代の文学が取り扱う対象や主題として「マージナルな存在」というものがあります。市民革命とか産業革命とかナントカ革命とかいったものが何度も起こり、中世から近代そして現代と時代が進んでいくに連れて、分厚い中間層というものが生まれました。貴族でも農奴でもなく、資本化でも貧乏人でもなく、主に白人系で、マジョリティである「善良な市民」と呼ばれる人たちのことです。

    マジョリティの一人を主人公とし、マジョリティの視点で何者でもなかった子供が市民社会を通じて「善良な市民」である大人になる教養小説が生まれる一方、それに対するカウンターのような文学も生まれました。娼婦や混血民や黒人奴隷やその他の被差別民といった境界線上の人々――「マージナルな存在」を登場させたり、マージナルな視点で語る小説や評論のことです。時代が進むと、「マージナルな存在」は未来人や宇宙人や超人として描かれるようにもなりました。我々が映画館でよく目にするスーパーヒーローものの幾つかは、これに当て嵌まるといって良いでしょう。『X-MEN』などは分かりやすい例ですね。

    そして、殺人鬼や殺人を犯す人間を扱った映画や文学は、その代表例の一つです。


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    映画史の初期において、最も有名な犯罪映画はフリッツ・ラング『ドクトル・マブゼ』ですが、最も初期の殺人鬼映画は同じラングの『M』でしょう。1931年にドイツで発表された本作には、幼い少女ばかりを狙った連続殺人鬼が登場します。前半は殺人事件が観客の緊張感や不安を煽るスリラー映画として進みつつも、、後半では暴徒と化した民衆が犯人をリンチしようと追い詰めるさまが描かれます。今まで加害者だと思っていた犯人が、一転して被害者として描かれ、本当に怖いのは殺人鬼の暴力ではなく民衆――「善良な市民」の暴力であり、彼を生んだ社会に一定の責任があるのではないか、という展開になるのです。


    『M』は、映画公開前年である1930年に逮捕された近代における連続殺人鬼の原点的存在とされるペーター・キュルテンをモデルとしています。ラングは明確なモデルとなったことを否定していますし、キュルテンが老若男女構わず殺したのに対して『M』の犯人は少女のみを対象としていますし、キュルテンが逮捕されるきっかけも偶然からです。

    しかし、プロデューサー的な視点からすれば、映画が大金をかけて製作されて公開されたのは、ペーター・キュルテン事件で世間が盛り上がっていたからでしょう。宮崎勤や少年Aや加藤智大が逮捕された翌年に、彼らが起こした事件を想起させる映画が公開された――というような状況を想像してもらえれば分かりやすいと思います。

    ちなみに手塚治虫もキュルテンを題材にした『ペーター・キュルテンの記録』という短編作品を描いていますが、逮捕のくだりは完全な創作となっています。


    いずれにせよ、後に「善良な市民」が選挙でヒットラーを選んだというか、ナチスドイツ政権が誕生するのを許したことを考えると、『M』は実に予言的な映画です(当時ナチスの支持率は僅か3割であり、ナチ党の権力掌握は党の半武装組織である突撃隊の暴力と、それを許した社会情勢によるところが大きかったといわれています)。


    つまり、『M』は実際に起こった殺人事件をモデルやモチーフとしつつ、それを生んだ社会や「善良な市民」を告発する映画の原型であるといって良いでしょう。

    後にユダヤ人であるという理由からアメリカに亡命したラングは『激怒』という似たような映画を監督していますし、『狩人の夜』『地獄の逃避行』『パーフェクト・ワールド』、日本でいえば『裸の十九才』『青春の殺人者』『十九歳の地図』『悪人』といった映画は、すべて『M』の影響下にあります。

    特に、それまでタブーとされていた暴力やセックスを真正面から扱い、社会やマジョリティに対する批判や反抗や反逆をテーマとするアメリカン・ニューシネマとその影響下にある映画は、この影響が強いというか、相性が良いと言っていいでしょう。閉塞した社会や世界の唯一の出口に思えて殺人を犯すも、それは地獄めぐりの始まで、社会矛盾や「善良な市民」を糾弾する物語に観客も付き合わされる……みたいな映画のことですね。



    この視点で『ディストラクション・ベイビーズ』を観ると、観客の理解や感情移入を拒絶しているようにみえる本作に、確固たる意思が存在していることが分かります。



    以下ネタバレ

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