観客に媚びると(スターウォーズ9への本音)
あけましておめでとうございます。
お元気ですか?山田玲司です。
今年最初のメルマガで、本当は「ご機嫌100%」でご挨拶したかったのですが、新年早々イランとアメリカの件で世界情勢が恐ろしく緊迫しておりまして、暗澹たる気分でこれを書いてます。
正月の僕と言えば、大好きなスターウォーズを年明け早々にみんなと語れる事に喜びを感じながら放送の準備をしてました。
スターウォーズシリーズは「圧倒的な巨大組織」が出てきて人々の「自由」を奪います。
支配された者達は、モノクロの戦闘服を着せられ、名前も奪われナンバーで呼ばれます。
そんな「全体主義の暗黒世界」から「自由な世界」を取り戻す「少数派」の物語です。
「圧倒的な巨大組織」と言えば今シリーズの製作をしているディズニーが重なるし、それと戦う脱走兵のフィンはどうしても監督のJJとライアンが重なります。
GAFAなどの巨大企業と「富裕層に飼われた政府」に支配されている「今の人達」もフィン達に重なります。
スターウォーズ新3部作の主人公は「頼れる親もなく、お金もなく、行動するしか選択肢のない若者達」でした。
これは監督の立場にも重なるし、観ている普通の人達にも重なります。
JJやらライアン監督はすでに結果を出した有名監督なので、フィン達のように後がない一般庶民ではない、と言う人もいるでしょう。
でもフリーランスの僕には、彼らも同じ「保証のない不安な立場」である事がよくわかります。
あの世界的監督の黒澤明ですら予算が下りず、映画を撮れない「失業監督」になるのが「フリーランス」の世界だからです。
一方で僕は「大手の出版社」と長く仕事をしていたので、「大手だからこそできる事」と、「大手だからこそできない事」を知っています。
そしてどんな妥協や修正を受けても最終的には自分の仕事として世の中に出され、その責任を一生背負う事になる事も体験済です。
スターウォーズ新三部作を観ていて感じたのは、果てしない「ダメ出し」と「納得の行かない変更」の連続と戦ってきた多くのクリエイターの試行錯誤でした。
失敗して、泣きながら走る、汗まみれの(新作)主人公達のジタバタする様は、そのまま「現場のクリエイターの戦い」に見えたのです。
それは大手出版社で戦ってきた僕自身の姿でもあります。
結果的に出来上がった映画「スターウォーズ新3部作」は、ツギハギだらけで、いびつで、整合性の欠けるものでしたが、その1シーン1シーンにクリエイターたちがその時の自分の全てをぶつけていて、物凄いパワーで溢れていました。
スターウォーズという「枠」の中で限界まで攻めた絵造りをしていたし、エンターテインメントとしての完成度は素晴らしいものでした。
【何を伝えたのか】
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