ハックルベリーに会いに行く
蔦文也の人生を語る上で、恩師である徳島商業野球部監督、稲原幸雄の存在は抜きにできない。稲原はどのような人物だったのか?
それは一言で言うなら「調子が良い人間」だ。稲原は実に調子の良い人間だった。さらに言うと、今だったら発達障害と言われていたかもしれない。ADHDと診断されていただろう。多動症なのだ。じっとしていられないのである。
稲原を巡る興味深いエピソードがいくつかある。例えば彼は33歳のときに栄養過多(偏食と酒の飲み過ぎ)で若くして糖尿病にかかっている。しかしそこから節制して、なんと98歳まで生きたのだ。
これが何を意味するか? 要は「極端」ということである。若い頃は極端に不節制し、糖尿病になってからは極端に節制した。何をやるにもこの調子なのである。歯止めがきかないからとことんまでやる。しかし一旦行き詰まると、驚くほどのスピードで方向転換できる。
この方向転換の早さに、周りの者