一昨日ニューヨークから帰って来て、今日、新宿の事務所に、ブエノスアイレスからディエゴ・スキッシが来て、対談を終えて帰って行った。これで、アントニオ・ローレイロ、ヴァルダン・オヴセピアン、アクセル・トスカ、ディエゴ・スキッシと対談したが、とにかくみんな良い奴である事は言うまでもなく、別にこれは自慢でも謙遜でも、遠回しの厭味でもないのだが、古くはキップ(ハンラハン。因にキップとはマンハッタンのバーで久しぶりに飲んだ)辺りから全部そうなのだが、私の音楽を過不足無く理解してくれて、好きだと言ってくれる。好きだと言われるのは日本でも珍しい事ではないが、問題は「過不足無く」「理解してくれる」という事で、私は私の音楽について、何せ作った本人なのだからして、そこそこは過不足無く理解しているつもりだ。しかし、日本の批評家であれミュージシャンであれ、スムースに過不足無く理解している人物は、基本的には、とするが、殆どいないと感じている。誌面にこそ反映されていないが、ヴァルダンは私との対談のテーブルに着くなり、私を指差して「考えてる事、ほとんど一緒だよね?」と言ってから「アイスコーヒー」と言った。

 

 これは、しつこいようだが、日本人が馬鹿もしくは感受性が貧困もしくは音楽的教養に欠け、私の音楽を理解しない、じゃによってクソであって、こんな国は文化的に低いのだ。等と私が思っている、という意味では全くない。私は寿司屋の娘と天婦羅職人の間に生まれた鬼の子であり、私ほど自国を愛し、自分のフッドから出ないご近所ミュージシャンはいないだろう。例えばアトランダムに、DC/PRGにはOで始まる名前のメンバーが3人居るが、大儀見、大村、小田、共に、年間で何本ライブとツアーやってんだろう。という、移動性のインターナショナリストである。

 

 前回の最後に書いたが、何かが狂ったまま安定している私にとって、アウェイがホームであり、無理解こそが理解であり、そしてそのホームは外国であり、外国が日本なのだ。なので外国に住んでいると思っている。「音楽は言葉の壁を越える」と、民は実に気楽に言う、実際はそう簡単に音楽が言葉の壁を越える事は無い。というか、音楽は言葉の壁という堅牢なモノリスに半身を預けている。嘘だと思うなら、好きな洋楽の歌詞を仔細に約してみるといい、自分が何も知らなかった事を知覚すると同時に、感受性の拡張も自覚する筈である。それほど言葉の束縛は強い。

 

 しかし私は、言葉が通じない人々にばかり音楽が通じる人間に育ってしまった。キップは「キクチ、お前のカフカのコンセプトはこれで破られたな。アメリカに乾杯だ」と言い、一緒に来ていた、イエール大学でセルバンテスを研究し、有名な論文を残しているロビー・アミーンは「お前のような奴をオレは、気楽で好色なドンキホーテと呼んでいる。お前はサンチョパンサとドンキホーテがゲイである様にしか考えられないだろ?お前にはいつも良い女が群がっているからな」と言った。アントニオは「アミーゴ、リズムの可能性はハーモニーの可能性と離れられない。あなたはそれを伝え続けている。先生は誰なんだ?」と言った。アクセルは「あなたの曲を演奏するだけで、自分のリズム感が鍛わる。やっていない音階の練習をやっているようだ」と言った。アニメNYのプレスは「サンダーボルトはベイビードライヴァーの先駆だ。あなたの音楽に対するアイデアと技巧と愛のバランスは完璧だ」と言った。ディエゴは「一回自分をタンゴだと決めないと何も混ぜられない。あなたが自分を敢えてジャズミュージシャンとしている理由はよくわかるよ」と言い、「退行」のバンドネオンソロを聴かせたら、数秒で、うっひょー!光栄だ!褒められている気分だよ。と笑った(「退行」のバンドネオンソロは、ディエゴのソロの打点だけトレースし、楽曲のコード進行に合わせた物である)。彼等は私の顔もバイオグラフも何も知らない、CDを数枚聴いただけなのである。もし英語とスペイン語とフランス語に堪能に成ったら、恐らく私は発狂するだろう。