こうして何だかんだしながらお忍びで(良いねーお忍び。これに愛人とか連れてゆくのだろう自民党員は笑。それに税金使っちゃったりするんでしょう。そりゃあ一部の人間が目指すよね政治家って。早苗ちゃんなんか大体おないなんですよ。しとつかふたっつ上なだけよ。あのさあ早苗ちゃんさあ、オレ政策とかわかんない、、、っていうか、「政策」ってそもそもこの世にないと思ってるんだけど笑、まあそれはともかくだ。ひとこと君、、、、まあいいや笑)金沢に行って、雨と風の勢いでリードケースがみるみるバラバラになったりするのを見てから演奏して発熱したりして、帰ってきて即で色々やって、今年の前半のハイライトも残すところ1つになったのであった。もう後半のハイライトが、地方の国道でヤンキー号に囲まれたぐらいにハイライトでピカピカにパッシングされている訳だが、まあ単に区切りの話だ。区切りは大切だ。「バス / ガス爆発」では噛みまくる口が、区切り線を2文字分動かして「バスガス / 爆発」にすれば、あらあら不思議、全く噛まないのであーる!
とまあ、昭和早口言葉が、平成早口言葉を産まなかったせいで、ひょっとして早口言葉は令和の世に至り、回文ぐらいの地位に落とされるかも知れぬ。そんな心配をよそに、「前半の、最後の大仕事」。それは電影と少年CQさんへの楽曲提供なのであった。
アーバンギャルドさんはついにという感じで「普通の恋」をカヴァーして下さる訳だし、実にありがたい話である。オファーさえ頂ければ椎名林檎さんだってあいみょんさんだって山本譲二さんだって新しい学校さんだってミセスグリーン、ごめんなさいアップルさん?だっけ?、、、ジャイアントさん、、、、でわないですよねごめんなさいごめんなさい。曲は聴いてますよ!! すごく良いじゃないですか!!ねえ?!! そりゃあ個人的には新しい学校とぷにぷに電気だけどさ、それはそれでしょ笑!!
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あの映画監督に対する菊地さんの(顔合わせの場でのやりとりも含めた)評言は以前にも読んだことがあったのですが、 “大いに濡らしていたと思う” 件については初めて知りました(笑)。俗に言うSとMのどちらがどちらにサーヴィスしているのか系の与太話を通り越して、「音楽に対し侮辱的でしかいられない映画監督が自身に対して拒絶的な音楽家の態度を通して快感を得る」という図式は、フロイド的にも納得はできますが凄いことですね。そりゃあ自家中毒になるのかも。
「自作の仕事を通して現場をイヤにすることで快感を得る(?)」ことの反復がやめられなくて、音楽の扱いさえもがその一部として取り込まれてるだけなのだとしたら、確かに一筋縄ではいかないグロテスクがあります。出演者たちにもPTSDの痕跡が及んでいるのでしょうか(少なくともあの監督の映画に出て得をしたと思える出演者はひとりもいませんが、とくに役所広司)。
私は菊地成孔さんのテキストを通して「ポップ侮辱にも様々なグレードがある」という事実を学ばせていただいたつもりなのですが、今回の記事は「ポップ侮辱」をやっちゃった者の臨床と/自分がやらかさないための方策が同時に述べられているように思いました。SNS的な“まず敵意の有無、悪意の有無を過敏にチェックし、安全だと思わないと何もしない” 心性の裏では、「自分が好きで夢中になっているものにはどのような思い入れでも述べるし、それが結果として侮辱になっていても気付けない」心性が同時に育っているのかもしれませんね。
菊池さんこんにちは
MARCELO BURLONのTシャツの上に羽織ってるジャケットはUNITED TOKYOでしたっけ?(全然違ったらすみません)
二十くらいの頃 当時ブログで紹介されてたのを見て、あのブルーが綺麗だな~と思いすぐ探しに行ったら、同素材の短パンしかもうなくてそれでも買った記憶があります笑
とても良い生地でした!
セカンド・スパンクハッピー・レトロスペクティヴですっかり電少のファン(ルアンちゃんLOVE)となったので新曲楽しみです。
日記を読んだ僕の友人から、ものんくるのライブ(キクチカメラで菊地さんが名古屋遠征した日)で「EVE NO LUCKY DAYS」を聴いたと密告がありました!笑
>>1
のちに中島監督は、蜷川幸雄にでも感化されたか、ものすごく現場の空気が悪くなることが有名化して、自分でも「胃が痛くなるような現場でないと映画撮った気がしない」とかなんとか言ってました笑。
これは、作品が、作品よりも大きなフィールドである「SM」に飲まれ切ってしまう現象で、SMはSMクラブで行われる(それを自宅にバウンスしても良いですが笑)アレ以外は、全部アナロジーなので、ある意味僕は、常にSMに飲まれないように闘っている。とも言えます笑。僕がしなくても、相手が求めてくることも多々ありますので笑。中島には加担してしまいました笑。
「SMに飲まれようと、名作ならいいじゃん」という正論は、もちろんすぐに立ち上がります。例えば僕がオールタイムベストに挙げている「エクソシスト」では、実際に悪魔憑きにハマっておかしくなったフリードキンが、現場に猟銃を持ってディレクターズルームに蟄居し、たまに発砲したりしていたので、スタッフがTPSDで訴訟したりしていますが笑、これはSMというよりホラーですよね笑。
僕は、自分にあんな才能があるとは決して思いませんが、ヒッチコックと現場がほぼ同じだと思っています。ヒッチコックは常にギャグいってみんなを笑わせたり、お茶の時間を楽しんだりして、現場で怒鳴る監督に対して「現場のドラマは100点、作品のふドラマは20点のやつがすることだ」という名言を残しています。
ヒッチコックはとてつもなくフロイドですし、何せフェティシストでした。ほんのちょっと挿入される、自分へのサーヴィスとしてのフェティッシュの為に、あの偉大な作品を取り続けていたとも言えます。バックヤードでも、まあ、イタズラが過ぎたというか笑。しかし、そのイタズラは概ねサディスト的でしたが、僕は抽象でも具象でもSMは要覧ですね。現代人は、昭和と比べるとかなりSM駆動だと思います。あのマゾヒストの帝王、松本人志が「どM、どS」という言葉を作った時に、パンドラの箱が開いたと思いますね笑。
>>2
そうですそうです。一番良かった頃のユナイテッドトーキョー・オムですね。あれは厚手というか、固く作った記事で、スーツスタイルではなかったですよね確か。僕はボトムスの方を持ってません。
>>3
だからあんとき(僕行ったから笑)とレコ発だけよ笑。
>>4
ご返信ありがとうございます。"常にSMに飲まれないように闘っている" という表現から、かつて菊地さんが大西順子さんのアルバムをプロデュースするにあたっての倫理として、「絶対に萌えずに納品すること」を挙げていらしたことを思い出しました(あわせて『イン・ベッド・ウィズ・マドンナ』の監督の発言も引用しておられたと思いますが)。
「絶対に萌えずに納品すること」は、 #MeToo がちゃんと届かせてくれるかと思っていたものの掠りもせず終わってしまった感のある、性差を問わない相互的なリスペクトを実現・維持するために必須の道徳であり、真のフェミニズムであると思います。自分も同性や異性のアーティストに対してだらしなく萌えそうになってしまった時には菊地さんの倫理観を思い出します。
菊地さんはSとM以外にも、導師[guru]と師弟、父と子、祖父と子、夫と妻、などなど(他にも思いついたのですがちょっと書くに憚られました笑)の本来無関係な図式を負わされたうえでの演舞を求められることが多いかと愚行しますが、欲望を言い訳としてその演舞に乗らず(お書きの通り、ヒッチコックのように乗った上で巧く舞える人もいたのでしょうが)、熱が冷めたあとの対人的予後がよくなるよう調整する能力が菊地さんには備わっているように思われ、それは(先述した)真のフェミニズムにも関わる要素かと思います。記事内でふれられている5文字の音楽グループの人たちがそのコンプレックスから本当に解放されたのかはわかりませんけども(笑)。
日記前半の早苗ちゃんのくだりの、「ひとこと君、、、、」の続きが気になります!
>>9
笑