誰だって、子供の頃からの記憶からずっとずっと辿れば、1度は、1日は、1時間は、一瞬かもしれないが、岡惚れされたことがあるはずだ。一番最初に結論を書くが、自分に岡惚れしてる相手を、反射的に気味悪がったり、怖がったり、嫌がったりしてしまう事は自然な事だから、それは仕方がない。それを責めはしない。岡惚れが拗れればストーキングまで辿り着くし。

 

 ただ、逆にだ。自分に悪意や敵意があるのに、付き合っていくうちに実は惚れられていたのだとわかることがあるように(言うまでもないがこれはツンデレの話をしているのではない。はっきり何度でもいうが、現代は、複雑である人間心理に関して、理解が日に日に記号化して薄っぺらく、短時間判断になっている時代だ。やがて人は「好きか嫌いか=敵か味方か」しか感情がなくなる)、そして、そういうものを「岡憎み」とか「岡呪い」とか粋な呼び名は言わないけれども、「うわあ、これ、岡惚れだなあ」と思って、何か困ってしまった。その経験の思い出を大切にして、その相手を、最低でも「可愛い」かったな。と思うようにすべきだ。

 

 「岡惚れ」とはラジオデイズを聴いて貰えればわかるが(復旧が遅くてスンマセン。来週、復帰第一弾「AI音楽の現在(それは数日で遠い過去に)」をアップします)、よく知りもしない相手に、恋情を持たれることである。

 

 一般的には江戸言葉と仏教言葉から由来が説明される(いわゆる、ギリ今でも使用できる「粋言」は、ほとんどこのバイウエイなのだけれども)。お馴染み遊郭(公営売春)のスラングだが、「岡」は、「外(ほか)」の訛りで、公営の地区(吉原とか)を「本場所」と呼ぶのに対し、非公営の地区(深川とか)を「岡場所」と呼んだ。