3月のライオン 11 (ジェッツコミックス)

 夜中にLINEで話していて出た話をしようと思います。

 ひとにとって正しい生き方とはどんなものか、ということ。

 まあ、ぼくは長年ひきこもりやっているような男なので大上段にかまえて人生を語る資格はまったくないわけですが、それでも思うことがあります。

 それは、ひとの正しい生き方とは、しだいに自分が解放されて自由になっていくような生き方を指すのだということ。

 もしだんだん不自由になっていくとしたら、それはどこかで間違えているのです。

 つまり、生きつづけることでより幸せになっていくようなスタイルが正しいのだと思う。

 人生が進めば進むほどに不幸に不自由になっていく生き方は、どこかに問題がある。

 もちろん、人生はそううまくいくとは限りません。生きていれば色々なアクシデントがありえるでしょう。

 しかし、少なくとも精神的にはゆっくり楽になっていくことが望ましい。

 生きつづければ生きつづけるほどにしんどくなっていくのだとすれば、何か問題を抱えていると考えるべきです。

 その生き方をひとことで「成長」と呼んでもかまいませんが、必ずしも能力が向上し人格が陶冶される、といったことを指しているわけではありません。

 ダメなままでもいいのです。

 ただ、自分を縛る色々なものから解き放たれていくことが大切だと思う。歳を取れば取るほど縛られていくようでは困る。

 正しく生きていれば、ひとはゆっくり解放されるものです。

 これは『3月のライオン』あたりを読んでいると強く思うことですね。

 この物語の主人公である桐山零は、ほぼ最悪の状況で登場し、しだいに幸福と自由を手に入れていきます。

 かれはまさに正しい生き方をしていると思うのですよ。

 それは「光の差すほうへ向かう」生き方。

 かれの場合、物語が始まった当初では幸せにたどり着く道筋はまったく見えなかったわけですが、それでもひたすらあがくことによって前へ進んでいく。

 これが「正しい努力」というものです。

 いま光のなかにあるか闇のなかに留まっているかということではなく、光の差すほうへ向かっていることが大切なのだということ。

 正しい努力をくり返して生きていけば、人生はだんだん楽になって来るはず。

 ひとは外的環境をコントロールできませんから、何かひどいアクシデントが起こって状況が過酷になるということはありえます。

 しかし、