前回のハンターの書評で、僕は、主人公ゴンのボマーとノブナガ(幻影旅団)に対する問いかけに注目しました。ボマーたちは、2年間一緒にグリードアイランドを攻略しようとしてきた仲間を(当初の予定とはいえ)100人単位で冷酷に皆殺しにしました。この辺は、富樫さんの残酷さは容赦がない。ほとんど倫理規制飛び越えている描写ばかり。凄いですよね、笑いながら、平気で2年一緒の飯を食った人々を皆殺しにできるんですよ。・・・・・・ところが、です。このボマー(3人組)があることで追い詰められて、リスキーダイスというグリードアイランドの世界(死んだら本当に死んじゃうリアルなRPG)でのアイテムで、凄い幸運が訪れるけど、何十回に一回に、その不運がすべて自分に来て死んじゃうかもしれないサイコロがあるんですが、、、これを仲間のうち二人が、どうしても振らなきゃいけない状況になるんです。・・・・そのとき、リーダー格のゲンスルーは、だまってサイコロを理由もなく振るんです。ゲンスルー「ダイスよこせ」ボマー二人「!? おい 何するんだゲン!?」ゲンスルー「これは いつも言っているだろ ヤバイ橋を渡る時は3人一緒だ」それは、この3人の仲間のためならば、いつでも命を賭ける、という無言の信頼です。・・・・・なんて男らしいんだ!!、ゲンスルーって、僕はうなりましたよ。カッコいいもん。でも、ここで読者は悩むんですよ・・・・・・
これほどの男義、これほどの深い信頼を他人に預けられる本物の男が、、、、人間が、、、なぜ、その他の人々をまるでゴミのように捨てるように平気で皆殺しにできるのだろう。わかりますか?ゲンスルーにとっては、残りの友人二人のみが人間として認識されていて、その他の人々は「人間」として認識されていないんですよ。それも、凄まじく見事に、分裂して。普通はもう少し曖昧なんですが、幻影旅団もそうですが、完璧に分裂したモノが同居しています。この仲間のために命を賭けられるや優しさ・信頼と同時に、人間と認識しない相手に対しては、虫けら同然に殺戮できるのが、人間というものの凄みなんです。http://ameblo.jp/petronius/theme-10004604603.html
弱いなら弱いままで。
復讐の甘く苦い味。『HUNTER×HUNTER』が描く世界の残酷な真実を見る。(2688文字)
今週号の『少年ジャンプ』で『HUNTER×HUNTER』の番外編「クラピカ追憶編」が終わりました。あいかわらず素晴らしいクオリティで、最後の一ページで登場人物の大半を地獄へ突き落として締める構成もさすが。『幽☆遊☆白書』の終盤で到達した世界の闇を描き出す手法は、ここに来て衰えるどころかいっそう凄みを増しています。
今回のエピソードではなぜクラピカひとりが幻影旅団によるクルタ族の虐殺から逃れられたのかが描かれたわけですが、この物語は現在、途中で止まっているクラピカの復讐譚の序章でもあります。これからの展開で描かれるだろうクラピカの物語に期待は高まるばかり。
だれかが「物語には二種類しかない。宝探しと復讐譚だ」という意味のことをいっていたけれど(村上龍かな?)、その言葉の是非はともかく、復讐譚がきわめてメジャーな物語類型であることは間違いありません。
第32巻に収録されるだろうクラピカの現在の姿を見ると、かれが復讐をあきらめてしまうとは考えられない。それどころか、そのクラピカの姿は「クラピカは変わってしまった」「かれはどこか遠いところへ行ってしまった」と思わせるに足るものです。
あの強く優しく少年(少女?)はもうどこにもいないのでしょう。そこにいるのは、ひとりの無明の闇に堕ちたハンターであるように見えます。もちろん、じっさいに物語が綴られるまで真実はわかりませんが……。
『HUNTER×HUNTER』の、幻影旅団を初めとする「悪」の人物たちの倫理観については、ペトロニウスさん(@Gaius_Petronius)の解説がやはり素晴らしい。
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コメント
コメントを書くこんばんは、初めてコメントさせていただきます。memetaa2と申します。
いつもこちらのブログを読ませていただいています。
今回の記事を読んで、とある作品で「守るべき仲間」と「それ以外」を分けるような
セリフを思い出しました。それは「聖痕のクェイサー」の主人公・サーシャです。
以下にその主人公とサブキャラのやりとりを記します。
サーシャ「命令がなくとも己で判断する。俺の守りたいと思った人間を、全力で守るだけだ」
サブ「おーやおや。言うようになったねぇ。でもそれは人の命に優先順位を付けようってことにも聞こえるけどねぇ?」
サーシャ「俺は人間だ。もし、どの命も等しいというやつがいるなら、そいつは神か、あるいは誰も愛していないということだ。我が身が神ならざるというのなら、人間として、愛に殉じて生きるまでだ!」
(以上コピペ終わり)
この主人公は悪ではないのですが、それでもすべての人は守らないと言っている。
人は善であろうと悪であろうと、自分が守りたい・大事だと思える人の範囲には
きっと限界があるのでしょうね(クェイサーくらい知ってるよ、と思われていたとしたらすみません・・・)。