カラー版 ナルニア国物語 全7巻セット

 異世界ファンタジーが花ざかりだ。たしかに、一時期のブームは何だったのか、商業作品としてはあまり見かけなくなってしまったが、小説投稿サイト「小説家になろう」ではほとんど異世界召喚/転生ものしか存在しないといっていい状況である。

 この手の小説はその特性から「ハイ・ファンタジー」と呼ばれることもある。一方、日常と生活の空間を舞台にした小説は「ロー・ファンタジー」。この区別は絶対的なものではないが、便利なのでいまでも使用されている。

 さて、主にどことも知れないはるかな異世界を舞台とするハイ・ファンタジーなのだが、そもそも「異世界」というアイディアはいつ頃から生まれたのだろう?

 これは昔から疑問に思っていたことだ。というのも、ファンタジーの古典と呼ばれる作品を読んでいると、あまり異世界は出てこないような気がするのである。

 たとえばロバート・E・ハワードやクラーク・アシュトン・スミスのヒロイック・ファンタジーを読むと、その舞台は太古だったり、超未来だったり、火星だったりするわけで、「異世界」の出番は少ないように思える。

 ハワードのコナンシリーズの舞台は一万何千年か前の世界なのだ。まあ、特別にその手の作品にくわしいわけではないので、その時代にも完全な異世界を舞台とした作品があるかもしれない。

 うん、いま思い出したけれど、ロード・ダンセイニの『ペガーナの神々』は一応は異世界が舞台ですね。

 しかし、とにかくいまより異世界ものが少なかったことはたしかで、つまり異世界というアイディアそのものがいまほどメジャーでなかったのだと思われる。

 太古のアトランティス大陸とか、超未来の退廃の大陸ポセイドニアとかのほうが、純然たる異世界よりも人気のある舞台だったのだろう。なぜだろう。非常に単純な話で、まだ過去や未来に夢を見ることができる時代だったのだと思われる。

 ハワードやスミスがパルプ雑誌にヒロイック・ファンタジーを書きまくったのは、前世紀初頭のことだ。その頃はまだ時間的に現実と地続きの世界に剣と魔法の時代があるという設定が読者を納得させられたのだろう。

 ただし、その頃すでに空間的に地続きの世界で素朴な冒険物語を書くことはできなかったわけだ。つまり、空間的には世界は征服されつくしていて、あとは時間に夢を託すよりなかったということ。

 そしてやがて時間的な過去未来にも冒険の舞台を求めることはできなくなり、どうしようもなく異世界が要求されることになる。そのターニングポイントはどこにあったのか。

 きちんと調べたわけではないので正確なところはわからないが、1950年発表の『ナルニア国ものがたり』あたりなのかなあ、という気がする。

 1954年発表の『指輪物語』は、一応は同じ地球のべつの時代の物語という設定だったはずなので(だよね?)、完全無欠の異世界ものとはいいがたい。ただ、『指輪』がのちの異世界ものに巨大な影響を与えたことは間違いないが。

 で、1961年の『エルリック・サーガ』まで行くと、これはもう完全に現代的な異世界ファンタジーである。

 そのあとの『エレコーゼ・サーガ』に至っては異世界に召喚されて英雄となる主人公が出て来る。完全になろう小説の原型ができあがっているといっていい。