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そこにさらに膨大な量の動画、漫画、ライトノベル、ネット小説、テレビゲーム、ソーシャルゲーム、同人誌などが加わって、巨大なオタクコンテンツ文化圏を形作っている。
その規模はどれくらいに及ぶだろう? ちょっと想像がつかない。とにかく一個人が網羅的に把握しきれるレベルをはるかに超えていることは確実だ。
つまり、ぼくたちはいまや一生をかけても遊びきれないほどの玩具に恵まれた子供なのだ。贅沢な話。
ひとつひとつのジャンルは内部にサブジャンルを抱え、そのサブジャンルはまた膨大な作品で構成されている。だれも全体を見通せる者はいない。ひとつのジャンルに精通することすら簡単ではない。そういう時代がやって来た。
もちろん、かつても広い視野を持つマニアと呼ばれるまでになることは簡単ではなかっただろうが、いまではそれはその頃の何倍もむずかしい。ある限定されたジャンルにだけくわしくなることが精々だろう。よしあしの問題ではなく、現実にできることはそのくらいなのだ。
こうなるとひと口にオタクコンテンツとはいっても、相互に何の交流もないジャンルがたくさん出て来る。
たとえばボーカロイド及びボカロ小説にくわしいひとがいるとしよう。彼女はライトノベルには何の興味も抱いていないかもしれない。
興味がないひとが見れば同じように見えるだろうボカロ小説とラノベは、実はまったく違う構造と読者を持つ異世界だったりするわけだ。ふしぎな話ではあるが、それが現実。
こういう時代においては、必然、ぼくたちの作品消費の仕方も多様化する。より選択の幅が広がったといってもいい。
無数のジャンルの「上澄み」をすくうという楽しみ方もありえるだろう。たとえばアニメと、ライトノベルと、ソーシャルゲームの最も優れた成果だけを選んで消費するというスタイル。
どうしてもひとの評判を確認してから作品にふれることになるから初動は遅れるが、無駄なくそれぞれのジャンルの最良の部分だけを楽しむことができる。ぼくなどはわりとこれに近い。
あるいは、ひとつのジャンルだけに耽溺して、そのジャンルの事情だけを追いかけるというやり方もある。たとえばライトノベルだけを追いかけて、その周辺の作品は無視するとか。アニメだけを見て、そのまわりのメディアはあきらめるといった方法だ。
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