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いま、『3月のライオン』の連載が非常にタイムリーな話題を扱ってくれています。
以下、ネタバレあり。
さて、今週号の『ライオン』は主人公である桐山零くんのこのような独白で始まります。
人生はいつも「立ち向かう」か「座り込む」かの二択だ何もしないでいても救かるなら 僕だって そうした――でも そんな訳無い事くらい 小学生にだって解っただから 自分が居てもいい場所を 必死に探した自分の脚で立たねばと思った一人でも生きていけるように誰も傷つけずに すむように
ここで桐山くんはダメ人間の川本父と対峙しながらこう考えているわけです。
一見して、非常にきびしい内容であることがわかります。
つまり、人生における「立ち向かう」と「座り込む」の二択で、自分はいつも「立ち向かう」ことを選んで来た、それは自立してひとを傷つけないようにするためだった、ということだと思います。
ここにはあきらかにその都度の選択肢で常に「座り込む」ことを選んで来た(ように見える)川本父に対する批判が見て取れます。
ある意味で零くんはここで自分自身のシャドウと向き合っているといえる。
川本父はもしかしたらそうだったかもしれないもうひとりの自分の姿なのです。
しかし、それでもなお、零くんと川本父は決定的に違う。
それはつまり人生の志の差なのだということは前回で語られました。
零くんには長期的な視点があり、川本父には短期的なそれしかないのだ、と。
これはじっさい、連載をここまで追いかけてきた読者にとっては説得力ある話です。
なんといっても、読者は零くんがこれまでズタボロになりながら努力する姿をさんざん見て来ているわけですから。
そのかれがいう「自分の脚で立たねば」という言葉からは非常に強い印象を受けます。
しかし、同時にこれは「そういうふうにできない」人間を切り捨てる話にもなりかねないわけです。
ネットでこういうことを意見にして書くとものすごく叩かれますよね。世の中にはそうできない人間もいるんだ、お前は弱者を切り捨てるのか、と。
つまり、非常に微妙な問題を孕んだエピソードがここにあるということ。
ぼくの意見をいわせてもらうなら、
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コメント
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海燕さんらしい切り口で良い記事だと思います。すくなくとも僕はこういうの読むために会員やってるわけですが。
海燕(著者)
ありがとうございます。需要は後から付いてくる、といいなあといつも思います。