『減速して生きる ダウンシフターズ』という本を読む。
この記事は過去記事の為、今入会しても読めません。ニコニコポイントでご購入下さい。
真・女神転生のlaw、chaosの思想を思い出しました。自分達の思想の正しさを主張して戦いが起きるのは、『思想の末に成果を求めるとき』なのかな、と思います。『喫煙ルームを作りたい』vs『社内全面禁煙にしたい』だとか、『原発稼働再開』vs『原発排除』だとか。ゲーム真・女神転生では『神の千年王国を作る』vs『悪魔が支配する混沌世界を作る』であったようにです。
相手の主張の正しさを受け入れて、自分の主張が弱くなることに都合の悪さを感じるのは、思想の末の成果達成が脅かされるからなのではないでしょうか?
そうだとしたら、単に自分の行動は自分の利益を守るためのものであるに過ぎないと考えておくべきですよね。それを無条件の神聖な正しさのように思い込んでしまうと、何かがおかしくなってくるのかなあ、と。
人が正義に酔うのは、甘造さんの意見の他には、そうすることで「自己承認欲求」を満たすためというのがあると思います。
例え自分が仕事や勉強ができなくても、正義を主張することで「自分はいいことをしてるんだ」という自信が得られる。
そして極論に走るのは、それが深く考えなくて楽だからでしょう。
でも、このような行動をとる人は、つまらない毎日をおくっているのかもしれません。他に面白いことがあれば、こんなことをしてる暇はないですからね。
言葉だけなら、どんな遠大な理想も簡単に主張できますからね……。ネットで言葉をもてあそぶことに依存しないように気を付けたいところです。って、どう見ても既にそうなっているぼくがいっても説得力がないかも。
本は読んでいませんが、本来はダウンシフトやシンプルライフというのは自分を生きやすくする自己救済的方法論だと思うのです。
仏教的な不苦不楽に通じるものがあるのかな。
ただ、この自己救済的な方法を行う為に自分の中で行う価値観のシフトを社会へ押し付け始めるとカルト化した宗教の匂いがしてきて胡散臭くなるのでしょう。
出家して社会と断絶して自己救済するべきところを
世界の救済に目的が変化してしまう失敗は新興形系仏教でよくあるパターンか。
海燕さんは物事をいろんな方面から見ていらっしゃるので、だいじょうぶじゃないでしょうか。私自身も、ネットに書きこんだ後に「この内容は考え方が一方的ではないか?」と不安になることがあります。