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作家は面白い物語を生み出すため非情に徹しなければならない。
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作家は面白い物語を生み出すため非情に徹しなければならない。

2015-09-27 01:56
    3月のライオン 11 (ジェッツコミックス)

     前々回の記事「なぜ作家は衰えるのか。」の続きです。

     あの記事は、結局のところ、作家は歳とともに「窮屈さ」に耐えられなくなっていくから衰えるのだという話でしたが、それではその「窮屈さ」の正体とは何なのか話したいと思います。

     作家を縛る「窮屈さ」。それは結局、エモーション(感情)に対するロジック(論理)の束縛だとぼくは思います。

     つまり、作家は自分の内なるエモーションに従って作品を書こうとするけれど、良い作品を書くためには精緻なロジックに従う必要がある。

     そこで湧き上がるエモーションを管理しつづける作業は窮屈だといえます。

     その窮屈さがしだいに耐えられなくなっていくというのが「作家衰退」の真相なのではないかと。

     もちろん、エモーションそのものが枯れ果ててしまうこともありますが、そういう人は大抵が作家を辞めてしまうので「衰えた」という印象は与えない。

     やはり問題はエモーションの暴走をどう止めるか、というところにある。

     ここでむずかしいのは、作家本人にとってはエモーションが暴走している状態のほうが楽しいということです。

     あるいはロジックという窮屈な枷のなかで書いているより、面白いものを書けているという実感を持てるかもしれない。

     しかし、ぼくが岡目八目で見る限り、やはりエモーションを優先させすぎた作品はダメですね。

     なんというかこうキャラ愛あふれる同人誌みたいなものになりがちです。

     そう――ロジックによって管理しなければならないエモーションの第一が「愛情」なんですね。

     キャラクターに対する、あるいは物語に対する愛情を的確にコントロールできなければ、面白い物語(「読者にとって」面白い物語)は作れない。

     このあいだ、Twitterで話していて偶然、椎名高志『ゴーストスイーパー美神極楽大作戦‼』の「ルシオラ事件」の話になりました。

     いまとなっては「ルシオラ事件」について知っている方のほうが少ないかもしれませんが、ようはこの漫画の脇役のひとりであるルシオラというキャラクターが人気が出すぎてしまい、また作者が愛着を抱きすぎて物語が破綻しかけるところまで行ってしまったという「事件」です。

     最終的には一応、ルシオラは物語から退場して終わるのですが、かなり苦し紛れともいえる結末に多くの読者は不満を抱きました。

     これなどは物語空間に横溢するエモーションを冷徹なロジックによって管理し切れなかった典型的な一例だと思います。

     ルシオラなー。可愛いんだけれどなー。

     でも、そのおそらく作者にとっても可愛い、愛しいキャラクターを、作劇のための「駒」として割り切る視点がなければ面白い物語は書けないのです。

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