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リア充オタクもマイルドヤンキーも勝手に定義を作り広めて儲けようとする連中の仕業によるものだよね。マイルドヤンキーの定義に当てはまるのなんて昔から大量にいたのに最近現れたかのように言われる。あれの定義はヤンキーでもなんでもない都会に憧れも志も持たない低所得者。それを無理矢理広めようとするからネットでは批判が見られた。
「おたく」の反対語としての「リア充」という言葉が生まれたのは、西暦二〇〇〇年を過ぎてからですね。その前の一九九〇年代には、まだ、「リア充」という言葉はありませんでした。
私の記憶している限りでは、一九九〇年代以前の「おたく」の中にも、おしゃれな人はいましたし、普通にリアルの人間と恋愛している人もいました。結婚して子供もできて、普通に家庭生活を営みながら、「おたく」活動を続けている人も、おおぜい知っています。
私の感覚では、「『おたく』である人が、ファッションに興味を持ったり、恋愛したり、結婚したりということとは、縁が薄いに決まっている」という考えのほうが、違和感があります。
「全か無か」のように、何でも二つにすぱっと割り切れるものではないですよね。何だか、無用な線引きをして、対立をあおっているだけの気がします。
この話、いろいろな問題が交錯していてちょっと切り分けをしないといけないと思うのですが、まず、ぼくはいわゆるオタク文化へのカジュアル層の流入は事実としてあると思っています。
ぼくが中高生の頃ははっきりオタクと呼べるのはクラスに2,3人いるかいないかというところでしたし、それもあまりオープンにできる雰囲気ではありませんでした。
そういう意味では10代、20代の大半がニコ動ユーザーという現在とは隔世の感があるのはたしかかと。
で、その影響によってオタクが全体的に小ぎれいになってきているということもたぶん事実だと思います。
問題はそれを端的に「オタクがリア充化した」と見るかどうかということで、おそらく背景にある条件そのものが変わって来ているということも大きいと思うんですよ。
というのも、これは異論があるところかもしれませんが、ここ10年くらいで若者全体のファッションセンスが底上げされる形で向上していると思うんですよね。
街を歩いていると、「めちゃくちゃおしゃれ」みたいな人は少ないとしても、そんなにおかしな格好をしている人も見かけなくなった。
これは『新・オタク経済』のなかでもふれられていることですが、その背景にはユニクロを初めとするファストファッションの質の向上があると思うのです。
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