今月ももう終わりですね。
弱いなら弱いままで。
ハーレムラブコメのパラドキシカルな構造・基礎編。
今月ももう終わりですね。
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作者は俺妹1巻を書いたときの自分に対して、誠実に答えたのかもしれませんね。
なぜハーレムは一人を選ばなくてはならないのか、という点に、長いこと頭を悩ませていました。それが今回の記事で、すっきりしました。
つまり、主人公に「器量」さえあれば、ハーレムエンドでいいわけですね。たとえばアリスソフトのゲームに「ランス」がありますが、あれがまさにそういったタイプでした。納得。
すると次の論点は、「なぜライトノベルの主人公は器量が低いのか」という点だと思います。
ライトノベルというジャンルは、その成立過程から、「疑似体験装置」としての役割があったわけで、主人公の器量はおのずと低めに設定されます。いわば「等身大」の呪い。そのせいで、一人を選ばなくてはならない必然が生じるわけですね。
たとえば小説家になろうなどでは、覇王の器量を持つ主人公を出すことができます。そういうメディアでは、一人を選ばないハーレム小説も可能なわけですね。
なるほどー。なるほどー。
海燕(著者)
「等身大の呪い」という表現は面白いですね。たしかにライトノベルの多くがその「呪い」をひきずっているだろうと思います。あと、主人公の年齢設定が低めだからなかなか複数ヒロインを抱え込むだけの甲斐性があるキャラクターにはしづらいというのもありますね。
その一方で「女の子は全部主人公を好きであってほしい」といった要請も大きいから、ラブコメをやるとどうしてもハーレムになる。でも、等身大の主人公ではそのハーレムを維持できないから結末で苦しむことになる。ハーレムラノベがしばしば結末で賛否が分かれるのは、そういう構造なのかな、と。
面白いですね。

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