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 九十九(つくも)の見ている前で、久鬼が静かになっていった。
 騒いでいた顎(あぎと)たちの声がおさまってゆき、猫が喉を鳴らすような、低い唸り声のような、甘えるような、そういう声を発するようになった。
 獣毛が抜け落ちてゆく。
 久鬼の全身から生えていたものが、ゆっくりと、身体の中に消えてゆく。
 消えぬものも、あったが、それはまた別のものになってゆく。
 それらが、背から生えた、一本ずつの青黒い腕となってゆく。
 幾つかあった顔が、久鬼の顔の周囲に集まってゆく。
 どこかで、見たことがある――
 九十九はそう思った。
 顔が、幾つかある仏像。
 腕が何本もある尊神。
 獣のような、牙を生やした神。
 不動明王?
 大威徳明王、ヤマーンタカ?
 久鬼は、そのような姿となった。
 巫炎(ふえん)の翼が、ばさりと振られた。
 久鬼の翼が、ばさりと動く。
 ふたりの身体が、ふわりと草の上に浮きあがった。
 ゆっくりと、ふたりの身体が、抱きあうようにして浮きあがってゆく。
 上へ。
 風の中へ。
 月光の中へ。
「久鬼……」
 すでに、ふたりの身体は、周囲の梢よりも高くなっていた。
 ふたりの向こうに、月があった。
 ふたりは、もう、風の中にいる。
 ふたりは、もう、月光の中にいる。
 ふたりの身体が、移動してゆく。
 自らの意志でそうしているのか、風に流されているのか。
 その時、背後に人の気配があった。
「ここか――」
 声がした。
 振り返ると、草を分けて、宇名月典善(うなづきてんぜん)がこちらへ向かって歩いてくるところであった。
 その後ろに、菊地(きくち)がいて、さらに銃を持った男たちが続いていた。
 すでに、宇名月典善の眼は、草の上の肉塊のようなものを眼にしている。
「どうした。何があった!?」
 問うた典善の視線が、上に向けられた。
「あそこだ!」
 天に浮いた巫炎と久鬼の身体が、風に流されるようにして、梢の向こうへ消えてゆくところであった。
「追うぞ――」
 典善が、すぐに疾り出した。
 話を交す間もない。
「事情は、後で聞く――」
 背中越しに、典善が言った。
 一瞬、九十九と菊地の眼が合っていた。
 が、言葉は交さない。
 菊地はすぐに、典善の後を追って、銃を持った男たちと共に、森の中へ消えた。
 気がついてみれば、つい今までそこにいたはずの、ツオギェルの姿もまた消えていた。

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画/ケースワベ



初出 「一冊の本 2013年11月号」朝日新聞出版発行

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