アメリカのインディプロレスの“現在”を伝える連載! アメリカインディープロレス専門通販「フリーバーズ」(https://store.shopping.yahoo.co.jp/freebirds)を営む中山貴博氏が知られざるエピソードを紹介していきます! 今回のテーマは父親の名前はブライアン・ピルマン……あの背中を追ってです


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テレビの中で、女性物のドレスを着て試合をしているレスラーを見て、3歳の男の子は怒り、「ボクのお父さんは、ドレスなんか着ないよぉ!!」と泣き叫んだ。
それから間もなくして、その男の子のお父さんは、35歳の若さで亡くなった。

父親の名前は、ブライアン・ピルマン。“ルース・キャノン(制御不能の大砲)”の異名を取り、その破天荒なキャラクターで、WWE(WWF)やWCW、ECWで活躍したものの、WWE在籍時の1997年10月5日、特番「Badd Blood」開催の当日、ホテルの部屋で短い人生を終えた。死因は心臓マヒだった。

テレビを見て泣いていた男の子、ブライアン・ザッカリー・ピルマンは現在25歳。あれから22年の時を経て、父親の背中を追うように“ブライアン・ピルマン・ジュニア” の名前で1年前にプロレスデビューを果たした。
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父親が亡くなったあと、母親はドラッグに溺れた。頼りたくても頼れない、そんな母親から離れ、13歳の時ときに家出した。親友や親戚のおじさんやおばさんにお世話になった。

正直なところ、彼には父親の家庭での記憶がほとんどないそうだ。まだ幼かったこともあり、覚えているのは“テレビの中の人” としてのおぼろげな姿だけだった。
それでも、父ピルマンが、プロレスに入る前に、NFL(アメリカン・フットボール)で活躍した選手だったと知れば、高校時代はアメフト部に入った。
また、父がカナダ・カルガリーのハート一家の地下道場“ハート・ダンジョン”で修行をしたのを知るや、同じようにカルガリーにあるダンジョン出身のランス・ストームが経営するプロレススクールに入門し、プロレスを学んだりもした。(続きは会員ページへ)


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