平成元年4月、私は生まれ育った新潟から、大学に進学するために東京に出てきた。その数週間後、学校の近くにある東京ドームで、新日本プロレスが初のドーム大会を開催した。昭和のプロレスとは何か違う新しいプロレスが始まるんだなと、ただ漠然と思う大学1年生の私だった。
その後、新日本と全日本しかなかったプロレスに、FMWをはじめとするインディー団体が続々とできていった。幼少期からプロレス好きだった私は、せっかく東京に出てきたのだからと、大好きだった全日の武道館大会、FMWの川崎球場大会、全女好きの友人と一緒に後楽園ホール、横浜文体や川崎市体育館など、行けるかぎり足を運んだ。
大学を卒業し、就職すると、仕事で忙しくなったこともあり、以前よりプロレスを見る機会が少なくなってしまった。その後、家業を継ぐために実家に戻ると、さらにプロレスとの距離ができてしまった。
しかし、実家に帰って3年、新婚旅行でアメリカに行ったときだった。ホテルのテレビでたまたまWWE(当時WWF)を見て、あまりの面白さに、忘れていた遠い記憶、全日のアメリカ遠征や世界のプロレスなど、子供の頃好きだったアメリカンプロレスの記憶が蘇ってきた。帰国後、すぐにスカパーを契約し、以降アメリカンプロレスに取り憑かれ、より深く入り込んでいった私は今ではそれを生業にしている。
30年のあいだで、アメリカではWCWがなくなり、ECWも消え、その結果インディー団体が増えた。
日本ではまもなく「令和」という新しい時代が始まり、「平成」が幕を閉じる。今回は、終わってしまう「平成」の30年間を振り返り、独断と偏見で、私が衝撃を受けた米インディーデスマッチ、ハードコアマッチの中から、“平成アメリカンデスマッチベストバウト5”を選んでみた。
1. アクセル・ロットン対イアン・ロットン(タイペイ・デスマッチ)ECW 1995年7月1日
ECWのハードコアプロレスは、日本のFMWやW★INGやIWAジャパンなどから影響を受けており、今のアメリカデスマッチの礎とも言える。そのECWが行なったデスマッチの中でも、私が衝撃を受けた、残忍で、暴力度が高い試合形式と言えるのが、この「タイペイ・デスマッチ」だった。
拳にバンテージを巻き、そこにガラスの破片を貼り付けて殴り合うという、見るからに荒々しく、血生臭いデスマッチ。パンチという原始的な技に、ガラスという痛さが想像できる凶器がプラスされることによって、その恐ろしさが伝わってきた試合だった。
ちなみに、この拳にガラスを付けるスタイルは、1989年(日本では1990年)に公開されたアメリカ映画、ジャン=クロード・ヴァン・ダム主演の「キックボクサー」からヒントを得ている。映画の舞台がタイなのに、なぜタイペイなのかと気になるところだが、諸説ある中で「タイだと語呂が悪いので、タイペイにした」というものが、最もらしい説だった。余談になるのだが、先日開催された裏レッスルマニアでもGCWが大会名に使用した「Josh Barnett’s Bloodsport」のBloodsport(ブラッドスポート)も、1988年に公開されたジャン=クロード・ヴァン・ダムの映画から付けたものなので、そう考えると、デスマッチ界隈では、ジャン=クロード・ヴァン・ダムの映画からヒントを得がちなのかもしれない。
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コメント
コメントを書くDropkickメルマガ29人の読者の皆さん、こんにちは! Dropkickエグゼクティブオーガナイザーのジャン斉藤です(エグゼクティブオーガナイザーの意味はコチラを参照→https://gackt.com/contents/239407)
以前から何度かお願いしていますが、記事内容と無関係なコメントの書き込みはご遠慮ください。たとえば「日本はアメリカと比べて〜」というコメントを最近よく見受けますが、ボクは日本人で日本の読者に向けて発信してるのでカンベンしてつかあさい。それでは今後ともDropkickメルマガと、エグゼクティブオーガナイザーのジャン斉藤をよろしくお願いいたします。
目を閉じるとそれぞれの名シーンが浮かんできて、「平成のアメリカ」に想いを馳せています。
何気にタカ中山さんの経歴も知れて良かったです。
平成のアメリカて!なんか違和感がありますね!
セクシー・エディ対アーセナルの何が凄いってアーセナルが単なるそこら辺の兄ちゃんなとこ(笑)
中山さんが選ぶ非デスマッチのベスト5もお願いします。
ニック・モンドのその後が知れて嬉しい!レスラー以外で考えたら、そりゃスタントマンは天職だろうなぁ。面白かったです!