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【チャーリー徹底解剖】RIZIN海外事業部・柏木信吾12000字インタビュー
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【チャーリー徹底解剖】RIZIN海外事業部・柏木信吾12000字インタビュー

2019-10-08 09:15
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RIZIN海外事業部・柏木信吾12000字インタビュー! 
各プロモーションの選手争奪戦が激化する中、外国人ファイターを招聘する立場に担い、そのMMA知識を活かしてオフィシャルサイトでの試合見どころ解説やRIZIN榊原信行CEOや選手の通訳として寄り添う。世界規模で発展を遂げるMMAと日本の格闘技界を繋げる重要な役割の柏木氏に迫りました!



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――
RIZINを動かしている!……という噂の柏木さんにお話を伺いに来ました!

柏木 いやいや、「RIZINを動かしている」なんてとんでもないですよ(笑)。

――
柏木さんの肩書は「海外事業部」ということで外国人選手招聘のイメージが強いんですね。

柏木
 海外事業部ということで外国人ファイターも呼んでくるんですけど、海外のライブ配信や英語を使ったやりとり全般になりますね。

――そもそも柏木さんはどういったかたちでこの業界に入られたんですか?

柏木
 最初は変な偶然だったんですよね。ボクは帰国子女で10歳までアメリカのシカゴに住んでいたんですけど、子供の頃からずっとアイスホッケーをやっていて。そのあと父の仕事の関係で一度は日本に戻るんですけど、また20代前半にフラッとアメリカに行くんです。

――
それはお仕事でですか?

柏木
 いや、最初は遊びですね。2003年ぐらいにはカリフォルニアのほうにいて、そこでもアイスホッケーを続けていて。そうしたらチームメイトにたまたまKIng of the Cage(以下、KOTC)の社長がいたんです。しばらくはチームメイトとして一緒に遠征に行ったりとかしていたんですけど、ある日突然「ウチのマッチメーカーが金を持ち逃げしたんだ。そいつをクビにして、枠が空いてるからやらないか?」と。

――
けっこう突拍子もない相談ですね(笑)。

柏木
 そのチームに入った初日に「おまえ日本人か?日本人なら格闘技は好きだろ?」と。初日なので彼の素性がわからなかったんですけどね。

――
その頃ってPRIDEやK-1が全盛の頃でしたし、日本が世界一の格闘技大国でしたね。

柏木
 ボクは格闘技は好きだったんですよ。そうしたら「大山峻護を知っているか?」と。ボクは彼のPRIDEデビュー戦をチケットを買って会場に観に行ったぐらいの人間でしたし、大山選手はKOTCからの逆輸入ファイターという扱いをされていたので「PRIDEに出ていた大山峻護だろ?」と話をしたら「俺がそのKOTCの社長だよ」と。

――
そんなオファーをもらうということは、アイスホッケーを通じて信頼関係が構築できてということですね。

柏木
 彼と知り合ってからオファーをもらうまで1年ぐらいあって。アイスホッケーのチームメイトとして一緒に遠征したりする間柄だったんですけど。もしかしたら、その間にいろいろと適正をチェックしていたのかもしれないですね。

――
そのオファーにはすぐにOKしたんですか?

柏木
 ちょっと悩みました。たしかに格闘技は好きでしたけど、好きなものを仕事にするって、いいこともと悪いこともあるじゃないですか。とくに自分はファン目線でスタートしているから、業界に入ってしまったら「え、こんなんだったの!?」とギャップがあるかもなあ、と。でも、こんな話はめったにないだろうということで最終的にはOKしましたね。

――
マッチメーカーといっても団体によって仕事の幅が違いますが、KOTCではどんな業務を担当していたんですか?

柏木
 まずは見習いというか付き人みたいな感じで、クビになる直前のマッチメーカーとずっと一緒に行動していました。

――
あ、そのマッチメーカーは、まだ在籍してましたか(笑)。

柏木
 はい。そもそもKOTCってフランチャイズ的なビジネス展開をしていて、全米のカジノ、そして各地のプロモーターと提携して開催しているんですよ。だから各地にいろんなマッチメーカー兼プロモーターがいる。ボクもいろんな場所に連れて行ってもらいながら学んでいきました。じつは初めて地方遠征に行かされた大会には、小路晃選手が出ていたりしたんですよ。

――
PRIDE好きとしては、うれしい展開ですね。

柏木
 そうなんです。ネバダ州のリノという街で、小路晃選手がケイシー・ウスコーラという選手と戦ったんですけど、ボクはかなり浮かれてましたね(笑)。

――
そういうイベントも体験しながら仕事を覚えていって。

柏木
 ただ、結局自分が付いてたマッチメーカーも「将来的にコイツが自分の仕事を取るんだな……」というのを薄々勘付いていたので、何も教えてはくれないんですよ。とりあえず一緒に行動はするけど、ジムの関係者だったり人脈含めて情報はくれなかったんです。だから最初は会場のゴミ拾いやイス並べとか雑用をやるしかなくて。本当に仕事はイチから自分で覚えていきました。で、自分もマッチメークをやるようになるんですけど……これは言ってもいいのか微妙な話なんですけど。

――
大丈夫です! 言っちゃいましょう!(笑)。

柏木
 まあ、自分がマッチメークで関わってた当時って、アメリカではMMAは違法だったんですよね。カリフォルニア州で合法になったのは2006年からで、ボクが始めたのは2005年から。法をどうすり抜けるかというと、KOTCはインディアンカジノと組んでいたんです。つまり、インディアン居留地はアメリカの国土じゃないので治外法権なんですよ。

――
あー、すっかり忘れてましたけど、当時のMMAってそういう扱いでしたねぇ。

柏木
 そういう事情もあって当時は全部現金商売だったんです。

――
つまり、一般の銀行は通さないと。

柏木
 ボクはチケットを売れば売るほど、現金が入ってくるというか。本当に20試合以上を組んで、選手1人に何枚かを売らせて、その現金を全部回収するというかたちでした。

――
とても2000年代の話とは思えないですね。

柏木
 自分が頑張れば頑張るだけバックがあったので、20代前半のクソガキだったボクには凄くモチベーションの上がる仕事でしたね。

――
向こうの興行でも選手の手売りが基本なんですね。

柏木
 小さいところは、ほぼそうですよ。自分の最初のミッションはチケットを売ること。マッチメークというと聞こえはいいですが、よりチケットを売る選手をいかに勝たせるかという仕事でした。なので、変な話、チケットが売れればファイターじゃなくてもいいんですよ。本当にレベルの低い話をしているんですけど(苦笑)。基本は警察官や現場工事の作業員とか交友関係が広い職業だとチケットを売るんですよね。

――
反対に、いくら強くても引きこもり大学生みたいなファイターは使いづらい(笑)。

柏木
 本当にそうです。新しい地方に行くときは、必ず最初に顔を出すのはストリップクラブとバーなんです。そういうお店のマスターは、ある程度その街の状況を把握しているので「みんなの給料日は何曜日だから、この日は金遣いが荒くなるぞ」「この街ではアイツが有名でチケットを売るぞ」という情報収拾から始めるわけです。

――
世間が思うマッチメーカーって選手の将来性や、戦い方をチェックしていると思われがちですけど、まずは出場者にどんな交友関係があるのか、そういったところから見なきゃいけない。

柏木
 自分はそこからでした。そこではかなり目利きが必要だったんですよ。要は、チケットを300枚売るヤツに勝ってもらわないといけなかったですから。なぜかというと、そういうヤツが勝つと、次の大会では400枚ぐらい売るんです。

――
選手も手売りのモチベーションもアップするし、試合が評判になればさらに売れますね。

柏木
 でも、負けると250枚、2連敗すると100枚……けっこうわかりやすい世界なんです(笑)。ボクらにとっては、選手が出てくれることによって興行が成り立つわけなので、彼らのレベルに合わせた相手とのマッチメークが必要になってくるんですよね。

――
チケットを売るファイターをいかに光り輝かせるかってことですね。

柏木
 そういう選手が、いかにカッコよく勝つかですよね。まあ、目利きといってもあまり誇らしくはないんですけど(苦笑)。でも、そうやって利益を生めるマッチメーカーになったら、今度はボスが「○月○日にこのカジノの契約を取ったから」と任せられるようになって。そこから自分ひとりでカジノと交渉するポジションになりまして。

――ちょっとした興行を任せられるんですね。

柏木
 そこで座席配分だったり、チケットの単価を決めたり、マーケティング戦略なんかを全部任せられるという感じでした。

――
そのポジションになると、いままでと違う部分も出てくるんですか?

柏木
 たとえば、ボクらはカジノから何千万かをもらって、その中で予算を決めてやっていくんですけど、KOTCもPPVはやっていたので、カジノとの交渉時にPPVに見合うようなカードを提案するんですよ。

――
そうやってカジノから興行料を引き出すわけですね。

柏木
 KOTCっていまだにローカル団体と言われてますけど、ここ20年まったく上がりもしないし、下がりもしない。ずっと安定していて、どちらかというと徐々に右肩上がりで実績を伸ばしているんですよね。去年も80大会もやっている。あんまり大きな賭けをしないというか、社長のモットーが「自分の金を絶対に使わない」でしたから(笑)。

――
優秀な金持ちってそういう人が多いですよね(笑)。

柏木
 他人に金を出させて、自分はアイデアを売る。1大会で100万円しか上がりが出なくても、それを100回やればいい……という考え方ですよね。そういう中で、自分は最終的には西海岸全部を任されるようになって。カリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州、ネバダ州、アリゾナ州、ニューメキシコ州。年14大会くらいやってました。

――
そんなに! 毎月何かしら動いている感じですね。

柏木
 基本は車移動で、2年間で32万キロぐらい走りましたね。

――
たとえば、カジノからムチャなリクエストされることはあるんですか?

柏木
 うーん、カジノからのムチャぶりはないですね。どちらかというと、ボクらのほうがムチャクチャなリクエストをしてました。「もっとお金を払ってよ~!」とか(苦笑)。

――
そういう強気の交渉ができるのも、カジノ側にもメリットがあるからですよね?

柏木
 カジノのメリットとしては、ボクらが興行を打つことによって、カジノにお金を落とす客層を一晩で1000~2000人ぐらい集められるという点ですね。ボクがそのカジノに「この週末は何もイベントやショーが入っていないですよね。ボクらがケージファイトをやれば少なくとも1000人は来ます」とプレゼンするんです。「この1000人のうち半分がビールを1杯飲んだらいくらになりますか? 帰りがけにその何割かが10ドルを賭けたらカジノの売上はいくらになりますか?」という話をするわけです。

――
カジノにとってショーのジャンルはなんでもいいけど、柏木さんの場合は格闘技を売り込んでいたという。

柏木
 地方の寂れたカジノなんかは、それでも充分ボクらにお金出す価値があると計算してやってくれましたし、もうちょっと大きなカジノになれば、ある程度名前のある選手が出てくると、自分たちのハイローラーを呼べるんですよ。自分たちのカジノでたくさんお金を使ってくれる人に対して招待券を出して「こんなイベントがあるから遊びに来てね」と。イベントをダシにカジノで遊んでもらおうってことですよね。

――
UFCの以前の親会社もカジノでしたし、アメリカの興行はカジノと切っても切り離せないんですね。

柏木
 いまではMMAの興行は完全に合法になって、それこそステイプルズ・センターやアナハイムのホンダセンターなんかで開催できるようになったので、ビジネスモデルとしてはだいぶ変わってきてますけど。

――
そこから柏木さんはどうして日本に戻ってきたんですか?
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https://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1828791

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