Dropkickでしか読めないインディ列伝!! 今回は川畑輝鎮のロングインタビューです!(聞き手/小野仁)
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――今年でリング生活30周年の節目を迎えた川畑さんに、ご自身の歩んできた道のりを振り返りつつ、長いキャリアの中で出会った選手たちとの交流について語っていただきたいと思います。
――はい。1991年2月にSWS入門、その年の9月にデビューですから、おっしゃるとおり今年で丸29年、つまり30年目になります。
川畑 あ、そういうことか。それじゃよろしくお願いします(笑)。
――専修大学時代に学生相撲115キロ以下級3位などの実績を挙げて、SWSの第2回新人公募には書類審査のみで合格だったそうですね。
川畑 (ザ・グレート・)カブキさんが経歴を見て強く推してくれたんだって、あとから聞かされて。カブキさんには恩義を感じてます。いまでもカブキさんが九州にゲストで呼ばれてきたときとか、たまに会うとホッとするね。あの頃を思い出して初心に帰るというのか。
――入門は25歳と遅めでしたよね。
川畑 大学を卒業して建設関係の仕事に就いたんだけど、プロレスの夢が諦めきれなくて、勤めを辞めて身体を作り直して。(SWSには)部屋別制度っていう従来のプロレス団体にないものがあったから、面白そうだな、新しいことにチャレンジしてみようって。百合ヶ丘(川崎市麻生区)に新道場兼合宿所ができるまでは大倉山(横浜市港北区)の一軒家に畠中(浩旭)さん、山中(鉄也)さん、平井(伸和)さん、同期の安良岡(裕二)、中原(敏之)、レフェリーの増山(祥雄)たちと住んでたんだけど、みんな年下で先輩たちからも「オッサン」とか「オヤジ」だのって呼ばれて(苦笑)。
――川畑さんにとって師匠に当たるのは、1月に亡くなった桜田一男さん(ケンドー・ナガサキ)ですよね。
川畑 そうですね。新弟子の頃、桜田さんが道場で受け身やスパーリングとか、よく面倒を見てくれたんで。カブキさんもですけど。鶴見(五郎)さんや新倉(史祐)さんもよく道場に来てたね。谷津(嘉章)さん、ジョージ(高野)さん、天龍(源一郎)さん、冬木(弘道)さん……みんな来てたね。
――ジョージさんの弟の俊二(高野拳磁)さんとは?
川畑 たまに「これでタバコ買ってこい!」って言われて小遣いもらったりとかあったよ。飲みにも連れてってもらったしね。
――新弟子時代から先輩たちに飲みに連れ出される機会は多かったんですか?
川畑 巡業に行くと上の人たちからお酒の席に呼ばれることもあって。まぁ、飲まされたね(笑)。酒の稽古は誰が一番つけてくれたかなぁ……(阿修羅・)原さんはよく自分ら新弟子にも声かけてくれたね。
――酒番長としてプロレス界に数々の伝説を残す川畑さんとしては、先輩に飲まされてもへっちゃらだったんじゃないですか?
川畑 いや、そんなことはないよ(笑)。いろいろ言われているのは、のちのちの話であって。その当時は、あの~……先輩たちに言われるまま飲んでた感じで。
川畑 ま、そういうことかな(笑)。とにかくSWSには天龍さんはじめ、谷津さん、キング・ハクさん、ジョージさんと俊二さんの兄弟って凄いメンバーが揃ってたんだけどね、入門から1年ちょっとでWARとNOWに分かれることになってしまって……。
――内部が揉めているというのは伝わってきましたか?
川畑 上のほうで何かが起こってるなっていうのは、それなりにね。でも俺たちは新人だったから決まったことに従うだけで。自分はレボリューション所属だったんだけどNOW(道場・檄&パライストラ派)に行くことになって。
――当時の若手選手は、ほとんどが天龍さんのWARへ行きましたよね。
川畑 そうだね。寮のメンバーでNOWに行ったのは俺と亡くなった直井(敏光=当時練習生)だけだから。畠中さんは寮に住んでいなくて。
――周囲から「なんだ、あっちへ行くのか」みたいな圧は感じましたか?
川畑 なんとなくギスギスしたものがなくはなかったけど、別にイザコザが起きることもなくて。同期の安良岡や中原とは何もわだかまりはなく、先輩たちからも何か言われるかな?と思ったけど直接には言われなかったね。でさ、プエルトリコでデビューした畠中さんは別にして、SWSに新弟子で入った人間でいまもリングに上がってるのは、みんなから「オヤジ」だの「オッサン」だの言われてた最年長の俺だけだっていう。
――そうなりましたよね。NOWを選んだのには、どのようないきさつがあったんですか?
川畑 まぁ、いきさつといっても、桜田さんに「こっちへ来ないか?」って誘われたからで。
――そもそも川畑さんたちSWS2期生は一律にレボリューション所属だったんですよね。
川畑 そうだね。それは最初から決められていて。で、自分は3年前から鹿児島の天文館で「ひまわり」ってスナックを開いてるんだけど、「なぜレボリューション所属だったのにNOWへ行ったのか?」って、それだけを聞きにわざわざ三重県から店に来てくれたプロレスファンのお客さんがいてね。ありがたいんだけど、そう聞かれてもさ、桜田さんに誘われたからっていうシンプルな理由しかなくて(笑)。
――それだけ桜田さんの存在が川畑さんにとって大きかったということでしょうか。
川畑 桜田さんは道場で北原(光騎)さんや折原(昌夫)さん、俺たち新弟子と混じって一緒に練習してたからね。そういう姿勢が尊敬できたし、人柄も好きだったから。よくメシ食いに誘ってもらったしね。(桜田さんは)お酒はたま~にたしなむ程度で、あんまり飲まないんだけど。
――あっ、そうだったんですか!? 意外ですね。
川畑 普段は飲まなかったね。血圧が高かったから飲まないようにしていた感じだね。そもそも普段、車を運転して動いていたからさ。
――桜田さんは怒らせたら本当に怖かったと言われますが、その反面、普段は穏やかで後輩に高圧的な態度を取るような人ではなかったとも聞きます。
川畑 わりと優しいというか、やることやってれば理不尽に怒る人じゃなかった。いい加減やっている相手にはスパーリングでガッチリやってたけど。
――その強さを、身をもって感じたことも……。
川畑 まぁ、やることやってないからって理由じゃなしに、ただ普通にスパーリングでヒイヒイ言わされてたけど。イテテテテテ、イタタタタタって何秒かごとに。タフだったし、かいな力も強かったし。あの人が「カモーン!」って言って、眉毛がピクって上がるときの迫力といったら、これが昭和のプロレスラーだっていう凄みがあったね。
――ちなみに、並み居る先輩たちの中で、川畑さんがお手本にした選手となると?
川畑 う~ん、お手本ねぇ? 誰かと言うよりも、打たれ強いタフなレスラーにはなりたかったね。
――新人時代、ディック・ザ・ブルーザーを目標に挙げていましたけど、ブルーザーの直撃世代ではない
ですよね。
川畑 (ブルーザーの全盛期は)まだ子供だったから。ただ、イメージとして、ああいうブルーザーみたいな身体ひとつで納得させるのがプロレスラーだって。
――その理想とするイメージに桜田さんは近かったのではないでしょうか?
川畑 そうだね。イス持たせたら止めることができなかったし。ガンガン容赦なくいってたからね。
――NOWはプレ旗揚げだけで高野兄弟が離脱する苦しいスタートを余儀なくされましたが、社長に就任した桜田さんを中心にまとまっていた感じですか?
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コメント
コメントを書く読んでいて気持ちの良いインタビュー!畠中選手のインタビューはまだされてませんよね?畠中選手のインタビュー読みたいです。
今のプロレス界ではあまり見かけなくなった大型ファイター。もうひと花咲かせてほしいですね。
それと、NOWという団体は職人気質の良いレスラーが揃った団体でした。なかなかこの団体を追いかけている記事を見ないので、ぜひNOWの歴史も追いかけてほしいです
そろそろ、志賀さんのインタビューが読みたいです!