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修斗世界ライト級王者川名雄生12000字インタビュー。RIZINデビュー戦は武田光司に判定負けを喫したが最後まで武田を苦しめた。ツイッターや公開練習などで独特の存在感を示す川名の素顔とは? 川名が店長を務めるラムしゃぶ店にうかがった。


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――
今日は川名選手が店長を務める藤沢の『北海しゃぶしゃぶ 湘南藤沢店』にやってきました! このお店はもう長いんですか?

川名 今年の5月で3年が経過しました。じつは、オープンしたのが2017年で、環太平洋タイトルマッチがあった年なんですよ。

――
大事な年になったんですね。それ以前に飲食店での勤務経験はあったんでしょうか?

川名
 経験はまったく(笑)。

――
えっ!(笑)。

川名
 バイトでもやったことなかったです。この店は、ボクが所属する『Y&K MMA ACADEMY』の山城裕之代表が経営していて、代表はもともと外食産業出身の方なんですよ。その方がいきなり「もうハコを用意しといたから」と。

――
いきなりでも店長の仕事は務められるんですか?

川名
 正直、最初は戸惑うことも多かったです。ウチはしゃぶしゃぶの店なので、お肉をスライスしたり接客したりするんですけど、一応いまではボクも全般的にやっている感じですね。

――
料理といえば、最近は「北岡悟丼vsまりな丼」がネットを騒がせていましたが、専門家からはどう見えるんでしょう?(笑)。

川名
 そうですねえ、個人的には「丼」といえば、やはり米の上にしっかりおかずが乗っているというのが「丼」じゃないか、と。

――
なるほど(笑)。

川名 ただ、それは個人的見解だったので、あらためて「丼」の定義を調べたんですよ。そしたら、やはりボクの見立てどおりで。そうなると、あのYouTuberの方の料理には米がないので、結論としては「丼」ではなくサラダボウルだということになりますね。

――
「サラダボウル」だとネーミングにインパクトがないですね(笑)。

川名
 まあ言いやすいですよね、「ナントカ丼」のほうが。あのサラダボウルとは別に茶碗でご飯を用意したとしても、それはただの定食だろうと(笑)。ボクの見解としては、こういう感じです。

――
解説ありがとうございます(笑)。今回は、なぜ川名選手がそうした飲食のプロになったのか、そしてプロ格闘家になったのかの経緯もおうかがいしたいと思います。川名選手はもともとは柔道をやっていたんですよね?

川名
 中学と高校の6年間は柔道をやってました。でも、普通に和気あいあいとした部活動でしたし、自分が高3のときは部員が自分1人とかだったんですよね。そのときに、ちょうど高校の同級生に山田哲也がいまして。

――
山田哲也選手というと、“闘う高校生”としてZSTでは早くから活躍していましたね。

川名
 彼が家の近くのジムに通っていて、運動できる場所がほしかった自分は、彼に「ジム紹介してよ」と。そこで同じジム(当時「しんわトータルコンバット」)に通い始めたという感じです。もともと山田哲也が高1から格闘家として活動し始めたのは知っていたんですけど。

――では、高校卒業後もそのままジムに?

川名
 ジムには高3の4月から通い始めたんですけど、その年の6月頃にはもう「総合格闘技をやる」と決めていたんです。

――
決断が早い!

川名
 それからZSTの系列イベントのSWAT!に出て、たまにZSTの本戦にも出ていたんですけど、平(信一)選手と戦ったのがZSTに出た最後かな?

――
山田選手とのつながりがあるから、ZST系に参戦していたんですね。

川名
 そもそもジム自体がZST系の選手が多かったんです。高校を卒業してからはジムを経営している会社にそのままお世話になりました。

――
それが介護を中心とする「しんわグループ」で。

川名
 そうです。説明すると当時のジムは「しんわグループ」が経営してて、代表は山城さんなんですが、ジムの名前が『Y&K MMA ACADEMY』に名前が変わってから、ジム経営も山城代表になりました。そして2017年にY&Kコミュニティーズのお店として『北海しゃぶしゃぶ 湘南藤沢店』がオープンしました。

――山城代表とは公私ともにお付き合いが長いんですね。

川名 もしそのジムに通ってなかったら、いまごろ何やっていたのか……。ただ、普通のサラリーマンにはなりたくないなあと思っていたんですよ。それにしては進路とか考えてなかったんですけどね(苦笑)。

――
仕事もしながら格闘技ができる環境を手に入れて。

川名
 それが両立できる職場だということで、親からもOKをもらいました。ただ、最初に就いた仕事はコンビニの店員だったんですけども(笑)。

――「しんわグループ」はコンビニも経営しているんですか?

川名
 そうなんです。なので、社会人の最初の半年ぐらいはコンビニで働いていました。そのあとは介護系で、訪問入浴の仕事でしたね。

――
でも、介護の仕事とは若いうちからなかなか大変ですね。

川名
 でも、もう身体が慣れちゃってるので大変という感覚がなかったです。仕事が終わって夕飯を食べたらすぐにジムで練習する一日でしたし。

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――そのあいだにもZSTに継続参戦しつつ、途中からは修斗に参戦するようになって。

川名
 当時、ZSTではなかなか勝てなかったんですよ。ZSTって判定決着がなくて、勝敗はKO・一本勝ちするか、そうでなければ全部引き分けだったので。

――
川名選手としては、どちらにしても勝敗の結果がほしかったというか。

川名
 そうです。だから「なんか格闘技、面白くないなあ……」と思っていた時期がありましたね。「判定があったら俺が勝ってるのに、また引き分けか……」と。そんな時期に、代表から「ZSTじゃなくて、もう1回アマチュアからやっていこう」と。当時、アマチュアの最高峰というと全日本アマチュア修斗ということだったので。

――
それはZST系のジムとしては大丈夫だったんですか?

川名
 まあ、ウチのジムはけっこう自由なので。むしろ代表のほうから「修斗に行こう」と言ってくださったんで。もともと代表は修斗系のジムに通っていたこともあって、自分のジムから修斗の選手を出したいという思いがあったみたいです。

――
アマチュア修斗に出るにあたって、ZSTでの経験も有利に働きそうですよね。

川名
 ほかのアマチュア選手とは戦ってきたレベルも違うし、経験値もあるしとは思っていました。アマチュア修斗に行くにあたって、代表とは「絶対に今年でプロになるぞ」と。2~3年もアマチュアを続けてたらモチベーションがもたないから、と。でも、ウチは修斗の選手がまったくいなかったんで、そういうポッと出のジムの選手がプロになるには、確実に全日本アマチュア修斗の決勝まではいかないとダメだという見立てだったんですよ。「アマ修のレベルってどのくらいなんだろう」ということで、DVDとか買いあさりました。それ観て、アマチュアでもレベルが高いなあと思いましたね。

――
2012年とかってまだPRIDEやK-1の余韻が残っているから、格闘技を目指そうという人が少なくない時期ですもんね。そこを勝ち抜くのはけっこう大変そうですけど。

川名
 そこから小谷直之さんがいるロデオスタイルに出稽古に行ったりして、あそこはけっこう選手が多いんでたくさん練習させていただきました。アマチュアの地方予選に出るんですけど、大阪、北海道、北信越などいろいろ大会がある中、出られる大会全部に出て、とにかく優勝するぞ! ということで。一発目の大阪大会で優勝できたので、結局出たのは大阪大会だけです。

――
つまり、優勝できるまで全部出るつもりだったということですね。

川名
 もし大阪がダメだったら、新潟の北信越、それがダメだったら東海、それがダメだったら北海道までいくぞ、と。それでもダメだったら関東予選しかないんですけど、関東は全日本より厳しいというか(苦笑)。

――
もう選手層が厚すぎて。

川名
 でも大阪で優勝できたんで、とりあえず全日本には出られるぞということで、「あとは全日本で決勝まで行くだけだ」と。その全日本で準優勝だったので、一応プロにはなれました。もうZSTではすでに10戦ぐらい戦っていたので。まあでも、やっとプロとして胸を張れる状態になれたという気持ちはありました。

――
一方、そこから段々と国内メジャーイベントが消滅していくわけですが……。

川名
 その頃はUFCを目指す選手が多かったですよねえ。ONEやROAD FCもあったんですけど、UFCを含め自分の中ではあんまり現実的ではなかったです。当時はもう修斗でいっぱいいっぱいというか、まず「修斗で新人王を獲るぞ」というレベルだったので。でも、それを獲ったらすぐにクラスAの選手と当てられましたけど。「いきなりこのレベルの人を当てられるの?」と(苦笑)。

――
でも、そのわりには戦績がキレイですね。

川名
 修斗だと松本(光史)と戦う環太平洋のタイトルマッチまでは勝ち続けてました。だから、いきなり上の選手と当てられても、それなりの対応ができていたんでしょうね。

――それができたのは、やっぱり練習だったんですか?

川名
 練習量と、あとはイメトレですね。仕事中も対戦相手の映像を観て、ずっと頭の中でイメージ力をつけてましたから。

――
武井壮さんとかも、よく「イメージすることが重要だ」とおっしゃっていますけど。

川名 自分自身は試合のときに「これ、イメージどおりだ!」というのはけっこうありますよ。というか、すべてイメージで終わらせたいというか。何通りものケースを考えて、何がきてもすぐに判断できるようにイメージして動きを身体に染み込ませるというか。やっぱりこっちは普通の仕事をやりつつなので、ほかの選手より練習時間が少ないじゃないですか。そういう中でどう効率よく練習するかというのはずっと考えているので。

――
よく考えたら、プロになってからもずっと働いているわけですもんね。たとえは、スティぺ・ミオシッチなんかいまだに消防士ですし、浜崎朱加選手も仕事を続けながら練習もしているじゃないですか。それって、兼業にも何かしらのメリットがあるから続けているということですよね?

川名 メリットでいうと、やっぱり日々の生活には困らないですからね。

――
やっぱりそこは大きいですか。

川名
 ファイトマネーに頼らずとも、そこに基盤がありますから。あとは、意外と正社員のほうがスケジュールを組みやすかったりします。バイトをやりながらの人もいますけど、試合前になかなか休みが取れないことがあると思うんで。正社員だとあらかじめ予定を組んで動けますから。

――
それは会社との信頼関係を構築できているからこそですよね。

川名
 あとは「サプリメントを買いたいけどお金がないぞ」とか困ることはないですし。自分の身体づくりもそうですけど、単純に試合に行くのにも交通費がかかるじゃないですか。それに、ファイトマネーは後払いですから。

――
そのファイトマネーも、めちゃくちゃ高いわけでもないし。

川名
 そういう意味では、修斗だとランカーあたりが一番キツイんじゃないですかね?

――
ああ、それは凄く納得の指摘です。

川名
 ファイトマネーはそんなにないけど、練習量を増やさないと勝てないし。「チャンピオンになるまでもうちょっとだ」と言いつつも「じゃああと何戦やればいいんだ?」みたいな。

――
逆に、ど新人のファイターは「まだ自分はお金もらわなくていいや」ぐらいの感覚ですもんね。

川名
 新人の頃はまだお金を期待していなかったですね。

――
川名選手自身は、たとえば修斗のランカー時代、どういうスケジュールで練習していたんですか?

川名
 自分の場合は、ヨソでいろんな刺激を受けたほうが向いているという感じだったので、ほぼ出稽古でした。一番しっかり出稽古に行っていたときは、まず月曜日はロータスに。

――
場所は世田谷の千歳烏山ですよね!? この湘南藤沢近辺から行くんですか?

川名
 片道1時間半ぐらいですか? で、火曜日はシューティングジム横浜でやっていたマモル塾。いまはパンクラスイズム横浜さんでやっていますけども。それが終わったあとに夕方ぐらいから門前仲町にある安藤晃司さんのネバークィットさんに。

――
それも遠い!

川名 で、水曜日はパンクラスイズム横浜さんのプロ練、木曜日は長南亮さんのトライブまで行きますかね。

――
えええ! 練馬まで!? 移動は車ですか?

川名
 いや電車です。だから、片道2時間ぐらいかかりますよ。練習時間より移動時間のほうが長いです(苦笑)。コロナ前、フルで出稽古していたときはそんな感じですかね。いまはコロナになって、奥さんと子供も守らないといけないので、出稽古はパンクラスイズム横浜さんだけにしてますけど。

――
ちなみに、ご結婚はいつ?

川名
 ちょうど結婚する年にお店の店長になったんで、もう3年ぐらいですか。子供はもう2歳になります。

――
格闘家って結婚するタイミングも難しいですよねえ。

川名
 まあ、アルバイトだと奥さんが心配だったでしょうね。ボクの場合もケガとかの心配はあるんでしょうけど、ちゃんとした固定収入がありつつ、試合はボーナスみたいな感じなので。

――
川名家はお小遣い制ですか?

川名
 はい。臨時収入のファイトマネーは「これぐらいのお金もらったよ」というと、「じゃあこれは何々に使うから」と言う感じで、余ったお金を「はいどうぞ」と渡されます。ただ、交渉の余地はありますよ(笑)。

――
その戦いが一番シビアそう!(笑)。

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