THE MATCH東京ドーム大会で山崎秀晃戦が決定した原口健飛インタビューです!
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――原口選手は昔はやんちゃだったというか、ケンカが強かったんじゃないかなっていう印象がすごく強いんですけど。
原口 いや、生まれてからケンカしたことないっすねぇ。
――あ、そうなんですか。
原口 はい。人を殴ったことないですね(笑)。昔っからヤンキーから逃げてたタイプなんで。コンビニに行っても、そういう連中の姿を見た瞬間、違うコンビニ行ったりとか。
――それは意外ですねぇ。
原口 それはよく言われます。見た目がこんなんなんで(苦笑)。
――オラオラ系ではないと。
原口 まったく。中学校まで学級委員長とかやってましたもん。人から求められるような仕事ばっかしてたんで。昔からずっとそうでしたね、
――もともと格闘技自体も自分からやりたくてやったわけじゃないそうですね。
原口 そうですね。無理やりお母さんに連れていかれて、そこから始まったって感じですね。
――最初からやる気はなかったけど、取り組むようになってから、だんだん好きになった感じなんですね。
原口 まあ、そうですね。好きになったというか。試合に勝つたんびに嬉しさがあるんで。練習とか格闘技自体はそんな大好きと思ったことないですけど。それでも、やっぱり勝ったときの嬉しさとかはやっぱ他では味わえへんから。それがいままで続いてるって感じですね。
原口 好きといえば好きですけど……試合は嫌いなんですけど。
――試合前は相当、緊張されるんですもんね。
原口 そうなんですよね。まあ、緊張することはたぶん、いいことやと思うんですけどね。こう強くなって、期待されて、負けたらいろんなこと言われるかもしれへん、っていう恐怖があるじゃないですか。やっぱりそれが怖いっていうのは……戦うことは怖くないけど、負けたあとのいろんな声とか。
――プロとしての評価が問われるプレッシャーですね。
原口 勝ったけど、内容はダメとかわかるじゃないですか。そういうのはやっぱり怖いですよね。
――原口選手ってきっちり勝ち切るイメージですけど、そんな否定的な声が飛んでくるんですか?
原口 いやあ、まあまあ、あるのはありますね。でも、少ないほうやとは思いますけどね。ないこともないです。あるのはあるけど、そんなにアンチはいないんで。アンチされるようなこともしてないし(笑)。
原口 やっぱりボクはアンチよりもやっぱ団体ですよね。RISE。ボクはRISEを背負ってるつもりでいるんで。もし勝っても普通の勝ちじゃアカンし、もちろん勝てばいいっていう問題じゃなくなってきてるんで。RISEがなんて言われるかなという恐怖はありますよね。まあ、いい意味ですけどね、ここまで期待されてるんで。
――ヤバイじゃないですか!
原口 しかも伝統空手なんで寸止めなんですけど、おかまいなしで。まあ、親も公認で、カメラでそれを撮りながら。
――そういうもんだと思ってたってことなんですかね。
原口 めちゃくちゃ強い道場で全国1位が何人もいるようなところだったので。だから先生のやることを信じていたのかも知れないですね。もう負けが許されないチームやったんで。
――そういうところで一体感があったんですね。
原口 組み手でガンガンやる練習もあるし、スクワット3時間とか、四股立ち3時間とか。円になって肩を組みながら3時間ぐらい四股を踏み続けるっていう。
――まるでプロレスラーの練習ですよ!
原口 精神的にキツイこと、めちゃくちゃあったっすね。いまはね、あってよかったなと思うけど。
――よくやめませんでしたね
原口 まあ、やめるかやめれんかった。もうお母さんが絶対にやめないっていう。
――でも、その道場は離れたんですよね。
原口 小学校2年の終わりぐらいにやめましたね。そのときに東京で全国大会があって、そこで優勝して。そのあと東京観光しに行ったことが気に食わんかったらしくて。
――そんな理由で!
原口 さすがに親もちょっとヤバイなって気づいて、それでやめたんです。まあでもキツイ練習ばっかだったけど、実際に強くなったし、いまは感謝してます。
――別の空手のところに移って、さらに実力を伸ばしていったんですね。ボクがびっくりしたのは空手の大会で無差別で優勝したやつで……
原口 第32回POINT&K.O.全日本空手道選手権大会ですね。
――相手はみんな100キロ前後の選手だったんですよね。
原口 はい、そうですね。フルコンタクト空手で1日に4回、試合したんかな。1回戦は外国人の187センチ120キロぐらいの選手やったすね。
――187センチ120キロの外国人! 原口選手は何キロだったんですか?
原口 ボクは55キロです。
――ハハハハハハ! 怖くなかったですか?
原口 怖かったですよ(笑)。当たった瞬間ホンマに死んだと思いました。
――そんな怖い大会になんで出ようと思ったんですか?
原口 もともと中学校までそこの大会で優勝してきて、特別推薦で出ないかって言われたんですよ。ホントは予選もあるんですけど、いままで繋げてきた実績で特例で。お金もいらんしって言われて。
――体格差が顕著な試合になると思ってたんですか?
原口 無差別だからある程度はしてましたけど、まさか1回戦がその大会の最重量の相手で(笑)。2回戦が190センチ105キロ、準決勝戦が110キロ、決勝戦が80キロだったのかな。
――どれもこれもヤバすぎますね(笑)。
原口 30年の歴史の中でボクが1番最軽量だったらしいですね。
――それで優勝しちゃうってどういう戦いぶりだったんですか?
原口 ポイント制なので、じゃっかん伝統空手に近い感じなんですけど。出入りの早さで翻弄して、相手をイライラさせる感じですね。
――優勝したときの達成感は。すごかったんじゃないですか。
原口 いやあ、ホンマにすごかったですねぇ。だから、体重差とかあんまり怖くないですよね。多少でも全然大丈夫かなって思っちゃうんですね。
――そういう大会に推薦されるぐらい空手では実績がすごかったっていうことなんですね。
原口 そうっすね。空手ではほとんど負けたことなかったですね。
――いまはキックでトップとして立ってますけど、その前にボクシングに行かれました。将来をどう考えていたんですか?
原口 やっぱりボクはもうたぶん、普通に働くことは無理やなって思ってたんすよ。スポーツでお金稼ぎたいなあと思ってて、空手では正直、名誉しか手に入られんから。まあお金稼げるもんって考えたときに、そんときは昔のK-1がなかったから。それやったらボクシング。そこでファイトマネーを稼ごうかなと思ってやったって感じですね。
――それはいつぐらいにそういう青写真を描いてたんですか?
原口 高校入学するときにボクシングを始めてたので、中学卒業したぐらいにはそう思ってましたね。
――ボクシングで食っていくみたいな。
原口 その気持ちはありましたね。ただまあボクシングはうまいこといかんなかったけど。
――ボクシングはあんまり合わなかったって感じなんですか?
原口 そうっすね。センスはあるって言われた。たしかにセンスは自分でもあったなと思ったんですよ。
――蹴りがあってこその原口健飛だみたいな。
原口 そうですね。空手でも基本的にずっと蹴ってたんで。ただ、お金を稼ぐだけためにやったんで。べつにボクシングは好きでもなかったから。
原口 やっぱり戦ってお金稼ぐ方法はもうそれしかなかったから、安易な考えでいきましたけど。
――早めに見切りをつけてよかったってことですね
原口 そうですね。キックでここまでこれたから言えると思うんすけど。間違いではなかったな。ボクシングをやめるときはね、父親にもめちゃめちゃ反対されたし。空手やってるときにボクシング行くっていったときも反対されたし。ボクシング行っても、またイチからやし。結局ボクシングは合わへんとか言ってやめるって言い出して。
――ボクシングやりたい。でも、合わないからボクシングやめるって自分の考えを優先したんですね。
原口 そうですね。ボクはやるって決めたことはやるんで、それがいいか悪いかは正直わからないですけど。それで空手を挟んでキックをやるということですね
――キックは那須川天心選手の存在がきっかけになったんですね。
原口 はい。ボクは天心くんの同級生やし、ちょっとボクシングやってるときに、たしかRISEのタイトルを獲ったんすよね。すげえ奴おるなって思ってたんですよ。そのときは気にしなかったけど、16歳から18歳のあいだで天心くんはめちゃくちゃ上がっていって。しかも同じ空手っていうこともあって「俺もいけんちゃうかな」っていう感じで。嫉妬はなかったけど、こいつが行ったんやったら俺も行けんちゃうかっていう、ちょっとナメた感じで(笑)。それでボクシングをやめようかなって思ったんですよね。
――那須川天心の存在が刺激になったってことですねそうですね。
原口 そうですね。同級生やし、空手家やし、俺もやれんちゃうかなっていう感じで行きましたね。めちゃくちゃ機会になりましたね、天心くんは。
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