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巌流島にMMAファイターは必要か? 巌流島でもMMAファイターが強いのか? それが問題だ!
今週のお題…………「3・25巌流島! 私はこう見た!」文◎谷川貞治(『巌流島』事務局)3・25巌流島の反響、皆さん、ありがとうございます。前回、私自身、この場をお借りして反省点を書かさせていただきましたが、まだまだ語らなければならない点はたくさんあります。それほど語るべきことが多いのが巌流島の面白いところ。今でもツィッター等で、本当に多くのご意見をいただいています。特に試合についての総括は必要ですよね。前半戦は本当に一撃必殺の打撃戦、あっという間にKOになってしまった物足りなさを差し引いても、衝撃の連続でまさに神イベントだったと思います。ここで語るべきポイントは、「結局、MMAをやっている人間が強い」とか、「差別化するためにもMMAに出る選手は出さないほうがいい」という論調があることです。ターザン山本さんなんかもそう言っていますよね? でも、私とか山田英司さんのような格闘技側から見ると、全然その見方は間違っています。例えば、3・25巌流島でいえば、ビターリvsジダに多くの注目が集まり、実際に「ベストバウト!」にあげる人も多かった。しかし、そもそもこのカードは、RIZINでも、DEEPでも同じ試合を組んだとしても他のMMAの試合の中に埋もれてしまって、巌流島でのカードほど注目を集めなかったでしょう。また、ビターリvsジダは、確かに真剣で斬り合うような緊張感溢れる試合でしたが、それも当たり前ですがMMAの試合になったら、全然展開は違ってきます。彼らは打撃主体の選手ですが、ロープや金網、コーナーポストがあればどちらか必ず追い詰められますし、そうなるとクリンチ状態から寝技に移行します。寝技も時間制限がなかったり、関節技が有効だったら、試合展開は長く組み合い→寝技の攻防になるでしょう。そんな寝技での優劣の差が出れば、次に立った時の作戦の立て方も変わってきます。つまり、当たり前のことですが、ルールが変われば、当然試合展開も、勝者も変わってくるのです。だから、同じMMA経験者でも、巌流島だからこそ生きる選手もいれば、巌流島だからこそ生きない選手も出てきます。そういうことを測定→検証するだけでもMMA選手の出場も新鮮かつ面白くなるのです。もしかしたら、賞味期限切れと言われている曙やボブ・サップも、巌流島ルールなら面白くなるかもしれません。おそらく、MMAよりのファン、MMAよりの記者にとっては巌流島はMMAに見えるのでしょう。しかし、山田英司さんが言っていたように「総合格闘技に見えても、実戦(武術)的な立ち技格闘技が勝ちやすい、武術家の闘いが生きるのが巌流島」という意見が一番正しいでしょう。長くやっていけば、MMAよりのライターやファンにもそれが分かってくるはずです。僕自身はMMAのファイターが巌流島で活躍するのは、単純に「プロのファイター」だからだと思っています。そこにMMAとか、キックはあまり関係ない。プロのファイターは、アマチュアの武術家に比べて、まずフィジカルが強い。いつも試合で勝つための練習をしているから、筋力や身体能力がアマチュアの選手に比べて全然凄いのです。しかも、試合経験が多いので、場慣れしている。格闘技の試合にとって経験値は何より大切ですから、達人が「緊張して血圧が上がった」とか「場の空気に呑まれてしまって、自分の技が出せなかった」ということはまずない。そのくらい経験値の差は大きいのです。さらに言えば、プロとしての心構え。やはり今回メインを張った田村潔司のように、プロとしてお客さんを喜ばせるんだ、いい試合を見せるんだ、勝って名を上げるんだという選手と、腕試しのつもりで参加してくるアマチュア選手ではモチベーションが違う。今回、その意味でルールを把握していなく、勝負論についても「セネガル相撲じゃないから」ということで、どこかバイト感覚を感じたアフリカ選手とは大きな差がありました。要するにMMAだとか、武術家だからというのではなく、プロファイターの持つフィジカルの強さ、経験値の違い、ファイターとしてのモチベーションの差でMMA選手が強く見えてしまうのです。そこは巌流島を見る上で、とても重要です。MMA=格闘技の固定観念を取っ払ってこそ、格闘技の未来が見えてくると思うのです。それにしても私の中でも断然MVPは田村潔司です。46歳でありながら、巌流島という新しいルールに挑戦し、今回も対戦相手が変わりながら文句も言わず、さらにバリバリに強いクラブマガの選手を相手に気持ちで対抗。そもそもクラブマガという未知の格闘技に対し、「これが面白いんじゃないか」と選んだのも田村選手でした。試合は惨敗して顔面を骨折。当日は病院に直行したんですが、だからこそ2日後のニコ生に生出演し自らの試合を解説。さらにRIZIN関係者でさえ「今回の田村はないな」と諦めていたのに、4・17RIZIN名古屋大会への出陣。2月のミャンマー初のプロレス大会でのメインイベント出場から、3月巌流島のクラブマガ戦、4月RIZINタッグマッチ戦と、この一連の自己プロデュース力は見事としか言いようがありません。本当に現役バリバリの選手より、見事な自己プロデュースし、今最も旬な選手になっていると思っています。ちょっと、4月のRIZINまで気になってきました。タムちゃん、お見事です![お知らせ]
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武術家に3・25巌流島はどう映ったか?
今週のお題…………「3・25巌流島! 私はこう見た!」
文◎野田派二天一流東京支部長・響尤会長 勝田兼充まず論じさせていただきたいのは、『巌流島の掲げる武道という概念』についてです。今のままでは巌流島の掲げる『これからは武道だ』というコピーに実現性が薄いように思います。なぜなら実際に蓋を開けてみれば、いろんな畑の競技者を巌流島ルールという『武術からのアプローチで新たに制定したオリジナル・ルール』で闘わせている、不完全な格闘技大会というふうにしか観て取れないからです。いつの時代も人間に影響を与えるのはルールですが、現状では巌流島という競技ルールは、競技者を武道家たらしめる影響力のある競技システムにまで至っていないということです。でもご安心いただきたいのは、未だかつて、武道に馴染みのない一見(いちげん)様をルールに従うだけで武道家たらしめる競技など存在しませんでした。剣道然り、柔道然り、唐手然り。ではそのような都合のいいルールをどのように創成したらいいのでしょうか?それにはまず、『大会におけるコンセプト』をもっと明確にする必要があります。これはあくまでも当流東京支部としての見解ですが、外国人の修行希望者が日本武道に望んでいる要素は、ずばり『詫び寂びの妙味と武士の情け』です。上記コンセプトをふまえ、武士道を実現させるための巌流島ルール及び運用について勝手ながら以下のように思案いたしました。1 装備に関して・怪我防止のため、薄めのゴムを使用した地下足袋を装着する。・闘技場の段差を現行の高さで維持するなら、後頭部保護用のヘッドギアを義務付ける。2ルールに関して・グラウンド状態でのパウンドを廃止する。・グラウンド状態で掴んでもよいのは、道着の襟と袖、ならびに腕のみとする。・片方がグラウンド状態の時、スタンド状態の選手が闘技場内で残心ポーズ(武士の情け)を取ってから2秒以内にスタンド状態にならないと、グラウンド状態の選手は一本負けになる。(2秒あれば、戦場ではグラウンド状態の相手の体勢に関わらず頭を踏みつけて殺せるから)・転落、同体のときにも同様とする。・ゆえに基本的には闘技場外に出た(転落した)だけではポイントが得られない。これら改定により、以下の利点が想定され、独自の妙味が生じます。・選手は投げられたり、グラウンド状態に陥るリスクを避けるために、必要以上に接近しなくなる。・倒された場合に相手に残心ポーズ(武士の情け)を取らせまいと、相手の道着にしがみつく。その効果として、しがみつかれた側には衣類を用いての関節技を極めるチャンスが生まれる。・衣類を使っての関節技をかけられたくなければ、グラウンド状態になったときに相手にしがみつかず、また投げ技に対しては有効な受け身を取ることで、即座に復位する(立つ)ようになる。・時間稼ぎがなくなり、観客に技法を見せる場が増え、より「決闘」らしくなる。3 設備に関して今大会における闘技場の不備を挙げます。・堀への段差が深いため、今後それを利用して反則にならない傷害行為を行う選手が出るおそれを感じ取れた。具体的にいうと闘技場から堀の下に相手の後頭部を打ち付けるなど。・堀の中でドライアイスを焚いているため、堀の下での傷害行為をしても審判からは確認しにくい仕様となっていること。またドライアイスのせいで滑る可能性がある。・SRS席の最前部及び解説席においては、炭酸ガスで目が痛くなるとの苦情。・堀の下に敷いてあるマットが角部では明らかに薄かったことにより、安心して観賞できない。・堀の下にセットしてあるブルーライトが眩しすぎて辛い。・そもそもあれだけ段差を深くするなら、安全性を確保するためにはもっと堀の幅を広くしないといけないと思うが、客席の関係で苦しいか....よって設備の変更案として、・堀の深さを浅くするか、または堀を廃止する代わりに簡易型の土俵用ゴムブロックを闘技場の今まで堀としていた部分に配置し、一番外側には安全対策用ロープなどで囲う。そしてロープの外側には厳重にマットを敷く。・安全の確保のため、堀に設置してあったブルーライトは廃止し、競技中のドライアイス演出を中断し、結露を除去する。以上が3月25日の巌流島の検証・提案でした。次に、『これからは武道だ』を論じられる前に、軽く『モノノフ』という意味や、『武士道』その他の概念についてまとめさせて頂きました。武士道=武士の哲学平法=武士の護身術+哲学兵法=戦術+哲学武道=武術を通して武士(モノノフ)から物部(モノノフ)へと還る道※物部(モノノフ)とは、新たなるものを生み出し、生み出した物を上手に扱い、その影響に責任を持って他の者に伝えて富をもたらす者のこと。以上によりわかることは、武道修行者が体現せしめる究極は、単なる『ツワモノ』になることではなく、世々に大いなる影響をもたらす物事を生み出す役目にあることがわかります。そのような観点で五輪書を改めて読むと、始祖宮本武蔵師の意図がようやく観えて来ます。また、剣道には『前後際断』という教えがあります。真理を悟ったものは、真に精神を統一し、過去も未来もなく、前と後の際(きわ)で切断するので無念が最上の仏法である、とするものです。前の心を捨てず、また今の心を後に残すことは悪、と説くのです。「今なすべきことを無心になすことが大切」と精神的価値観を説きました。『ブームを仕掛ける時代は終わった!再現性を積み重ねる時代が来た』さて、現代に真の『モノノフ』が居たとするなら、巌流島の仕合で次のように考えるでしょう。「単なる勝ちをおさめるよりも、対戦者同士で後世に残る名試合を真剣に繰り広げ、双方ともに人気者になることに死力を尽くそう。そうする事で同じ対戦者同士の試合をもっと観たいと思われることこそ真の勝利だろう」と。つまり狙うべきは目先のファイトマネーではなく、観衆に『再現性』を渇望させ、将来の徳を得るところに重きを置くはずです。再現性とは言っても当たり前ですが、八百長ではない内容にする必要があります。そのためには勿論、運営関係者に闘いの手の内を明かさない、というのは頂けません。武道とは学ぶことによって精神変革や精神育成を促すシステムなのです。武道を通して競技が成長するにはどうしたら良いのかと云いますと、武道精神を体現した試合を魅せることにより、マンネリではない無数の組み合わせの『再現性』を主目的とすれば良いのです。ここで言う『再現性』とは、仕合を観戦した人が、競技者にあこがれを持ったり、真似をして同じ競技を学んでみたくなったりすることであります。そこからエンターテインメント性を促す仕掛けへと入ってゆける、と考えます。この過程を通じて「武蔵」や「巖流」を超えるカリスマを発掘することが成功へとつながると確信いたします。何故ならカリスマ性の原動力は、継続する社会を約束する『再現性』だからです。それでは長くなりましたが、宮本武蔵先生による言葉で締めさせて頂きます。宮本武蔵『独行道』(全二十一箇条)より「武士道論」に該当する部分一、 我が事において後悔をせず一、 善悪に他をねたむ心なし一、 自他ともにうらみかこつ心なし一、 道においては死をいとわず思う一、 身を捨てても名利はすてず一、常に兵法の道をはなれず宮本武蔵『五輪書』風の巻より他流の道をしらずしては、わが一流の道、たしかにわきまえがたし他の流々、芸事とおなじく、身すぎのためにして、色をかざり、花をさかせ、うり物にこしらへたるによって実の道(真の兵法)にあらず我が一流において、太刀の奥義も入口もなし、構えに極意なし、ただ心をもって、その徳を身につけることが、我が兵法の肝心なりプロジェクト「巌流島」が、未だ舟島に残る巖流小次郎の無念を晴らして、武蔵の待つ彼我への成仏へと導き、以て新時代の護符とならんことを。[お知らせ]
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巌流島からの帰還! 柳龍拳の前歯を折った男、巌流島を語る!
今週のお題…………「3・25巌流島! 私はこう見た!」
文◎岩倉豪(小川柔術・ファイター)まず最初に、巌流島関係者、瀬戸選手と瀬戸選手のセコンドにお詫びをしなければなりません。試合後の挨拶をしに行った際に、敗者であるにもかかわらず、ついつい「関節技があれば勝てる」などと言い、失言で怒らせてしまいました。騒ぎを起こし、失礼な発言をしたことを深くお詫び致します。2016年3月25日、飯田橋駅の「うしごめばし」を渡りながら少し寒さが残る中、初桜を横目に、東京ドームシティーホールで行われる巌流島で闘うために足を進めた。=二ッポン格闘技・巌流島、道着を着た新たなる打撃相撲=
対戦後の今だから話すが、自分岩倉はトラブルでギックリ腰になり3週間まともに練習していなく、足腰に問題を抱えたまま、弱点をさらすわけにいかず、前日の記者会見で螳螂拳・瀬戸選手を「優秀な打撃選手であるが、経歴詐称」と罵倒し揺さぶりました。怪我をして戦場にいく時点で自分の負け。だがそんな体でも巌流島のルールの盲点を突いた柔術の秘策は、1回なら使える。「巌流島、勝率20%」それにかけて闘うしかない。前日の記者会見で言葉巧みに暴れ、ネット記事を見ると「螳螂拳・経歴詐称」と話題になっていましたが、これは自分がわざと揺さぶるために騒ぎをおこしたことですが、世間一般の格闘技記者の武術に対する認識の浅さもはかりとれました。元来中国拳法とは「功夫」という二文字に表記される通り「練習・鍛錬・訓練の蓄積」の意味であり、世間で言われている神秘の拳法ではなく、螳螂拳もまた合理性の集大成の武術のひとつです。元をただせば螳螂拳の開祖・王郎も「セミを捕まえるカマキリの動作」から技術を編み出し、秦の時代の中国拳法・北派18門派の集大成の一つとなりました。それが時代を追って螳螂拳の使い手によって様々な工夫が凝らしはじめ、硬派として梅花・七星・秘門、軟派として六合と、使い手によってそれぞれの置かれた状況で独自に発展していったのです。そして巌流島のルールで闘う瀬戸選手は、「空手・キックボクシング・総合格闘技・螳螂拳」を取り入れた現代格闘技・瀬戸螳螂拳という打撃強者と、自分は理解して闘うことにしていました。合戦のフィールドは雲海広がる八卦の形をした土俵『巌流島』。前の2試合が早く決着がつき、自分の試合の順番が来る。自分のセコンドとして駆け付けた総合格闘技団体Gladiator代表・櫻井裕一郎から「会場の雰囲気に飲まれるな!」と指示を受けての入場。試合開始、瀬戸選手が中央で手を合わせて始まる。キックボクシングの作法に開始時は「奇襲をかけようか?」「スポーツマンシップを取ろうか?」悩んだが、武道の精神を取り拳を合わせ挨拶をしました。開始早々に一度、瀬戸選手を組み制し、マウントポジションにってパウンドを落としましたが、瀬戸選手が背をむけバックマウントになった瞬間、首を絞めれると思いました。なぜ戦場・実戦を謳う巌流島が、相手に背を向け首を取られるバックマウントのポジションなのに、寝技15秒すぎればブレイクとするのか疑問に感じました。マウントポジション・バックマウントから逃げられないのに、15秒でブレイクするなら、そこに武道性はないと思います。寝技膠着、または相手を拘束できないなら15秒でブレイクはあり得ますが、相手に打撃でとどめを刺せる状態で殴り続けているのにブレイクさせられるのは実戦としてはおかしいと思います。このルールでは武道性と言うより、どこかのアウトローがやっている素人の喧嘩系格闘技と遜色ない。巌流島が武道を掲げるなら、マウント・バックマウントポジションで相手を組み伏せてパンチを打ち続けている限り、ラウンド終了までブレイクすべきではないと思いました。自分は寝技の時間が限られているなら、15秒経つ前に引きずり起こし道着をもって殴り、そして寝技に引きずり込もうとしましたが、痛めた腰では瀬戸選手を再び寝技に引き込む余力はなく、場外に投げられるが、雲海の演出の為に場外の足場の深さとマットの位置が確認できず目測を誤り不用意な受け身、左足の付け根を亜脱臼してしまいました。巌流島は演出も自分の敵なのかと認識させられた瞬間でした。急きょ立ち上がり関節をはめるが、そこには闘うために踏ん張れる足腰はない。そこからは瀬戸選手の猛攻に耐え切れずマットに横たわり、殴られ続け、試合を止められKO負け。瀬戸選手の見事な勝利。足を痛めてセコンドに抱えながらマットを後にしました。現在は左足の亜脱臼は良くなっていますが、左拳の骨折で螳螂拳の構えのように石膏で固められ、まさに瀬戸螳螂拳の呪いのようです。=瀬戸螳螂拳に岩倉が負ける=闘い終えた者として、巌流島ルールについて先にあげた問題以外に考察させていただくと、まず同体問題について。1ラウンド3回の転落・同体は、落ちた時に相撲のように先に手がついたほうがマイナスポイントにしたほうが良いと思います。そのためにはリングの外の雲海はなしのほうが判定しやすいですし、田村選手のように照明で怪我をすることもなくなるのではないかと思います。また「転落」の定義は、3分3ラウンドの間に3回落ちたら負けにしないと、1ラウンド3回なら別に選手が落ちることを気にしなくてもよい展開になり、実際に打撃を捨て、柔道、レスリング、相撲で闘わない限り、転落負けは難しいと思います。選手も転落について考えず、転落に対する危機感がファイターから薄れ、相撲の特色が巌流島ルールから消えてしまうのではないでしょうか。オープンフィンガーで道着の襟が非常につかみにくく、道着を使った技を生かしきれないとも思いました。現行のオープンフィンガーを使うなら、道着の襟をブラジリアン柔術着並みに厚くしなければ、分厚いTシャツを着て闘っていると同じなので武道の技が使いにくく、立ちで首を絞めることは不可能だと思いました。武道家にとって道着は武器です。また、巌流島はコンセプトに相撲の要素を取り入れています。1560年の桶狭間の合戦の勝利を祝って、織田信長が現在の土俵の形をした奉納相撲を熱田神宮で行いました。これが現在の相撲の始まりです。では当時の合戦でサムライが使った戦場の相撲は、現代の総合格闘技のように打撃・投げ技・極め技となんでもあり、土俵の枠もなく、場外もありませんでした。槍、大刀がなくなり相手と同体で組み倒れた時に、小太刀を持っていた場合は相手の手を拘束(関節を抑え身動き取れないようにする)するため、袈裟固めで抑え込み、相手の首を切る形をとりました。柔道の「抑え込み一本」はこの発想の名残りで、寝技で相手の首を取るまでの時間だと言われています。武器を持たないで同体で倒れた時は、相手の手を関節を極めて腕を折り、小太刀を抜かせぬようにして、相手の小太刀を奪い相手を刺し殺します。相手が小太刀を持たない場合は腕を折り、首を絞めるのが実戦だと言われています。自分が沖縄の北谷(普天間基地の前にあります)にある天下一道場でアフガニスタンの帰還兵にブラジリアン柔術を指導した時のことです。相手が寝ていたり、座っている相手の手を極める関節技を重点に教えてくれと帰還兵に言われ、「なぜか?」と尋ねると、「敵の兵隊の拘束に向かうときは、ピストル及びナイフを手にもって反撃してくることを一番気を付けなければならないからだ」と言うのです。もし手に不審な動きがあれば、「手を関節技で決め拘束するのが現代の戦場だ」と彼は言っていました。現代の戦場で倒れた相手の手の動きを確認しないで、柔術の試合のように首をいきなり締めに行ったりすれば、ピストルで撃たれたり、ナイフで刺されて死亡するケースが多々あるそうです。この話を聞いて、実戦はそうなのかと感心しました。アメリカの警察もピストルを犯人に向け、いつでも撃てる構えをとりながら「膝を地面について手を上に見せろ」とピストルをもって反撃するかどいうかを確認してから、犯人拘束に向かいます。この点からも、現代の実戦でグラウンドの関節技は必須だと思います。巌流島はいかに実戦をルールに生かすや?江戸時代の武道家は戦国時代が終わり、天下泰平の世になったことで、武道を鎧甲冑武道から、着物を着て闘う素肌武道に変え、かけ試しという試合に変えて武道を競技化していきました。巌流島が公開検証を続けるなら、MMAとどう差別するかではなく、「日本の道着文化」と「武道」と世界で行われている「実戦」を主軸に構築するかが肝要かと自分は思います。差別ではなく実戦を構築し直し競技化する。それこそが巌流島にふさわしい姿だと考える次第です。巌流島ルール公開検証ファイターの一つの提案として、ルール変更を実際に行い、検証する必要があるのではないかとあえて進言致します。巌流島の更なる発展と進化を望み、今回はこれで筆をおきたいと思います。[お知らせ]
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