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記事 17件
  • 武士道アングルとアステカ文明の起源水上都市テノチティトラン

    2016-04-14 12:15  
    今週のお題…………『大武道2を見て思うこと』
    文◎田中正志(『週刊ファイト』編集長)

     
     『大武道! Vol.2』が好評発売中だ。例によってイラスト表紙が目を惹く。「カッコよく死のう!」というテーマが大書され、仮面ライダー姿の藤岡弘、鎧兜を着けた前田日明が”変身”している。巻頭記事は、インタビュー収録の翌日に亡くなられた骨法創始師範・堀辺正史先生への追悼から。武道を軸とする雑誌なので「死生観」は興味のつきないテーマであろう。本体1300円+税、きちっとしたものを読ませる雑誌として推薦しておきたい。
     70歳の藤岡弘が45年の歳月を経て原点回帰した新作映画『仮面ライダー1号』が公開中というのは、なぜか筆者、この『大武道! Vol.2』を読むまで存在すら知らなかった。まぁ今の時代、雑誌を読みながら気になったネタがあれば、すぐに検索して現在ロードショー公開中なのだと納得したが、パソコン画面を
  • ドライアイスの海は奈落の底なのか!? 田村潔司の悔し涙が巌流島の肝

    2016-03-31 12:00  
    今週のお題…………『徹底検証「3・25巌流島!  私はこう見た!」』
    文◎田中正志(『週刊ファイト』編集長)…………木曜日担当

     
     絢爛豪華イベントであった。正面入場ゲートの鳥居といい「和」テイストが極彩色な巌流島、既存のプロ格闘技興行とは明らかに異なる世界観は第三回大会をもってショーとしても確立された。勝手に世界標準とかになっているUFCとも明らかに違う円形の闘技場、落ちたらドライアイスの幻想的な海が待っている。K-1とも別物であり、キック試合のようにレフェリーがクリンチだと仕切り直す場面も少ない。1ラウンドに3度突き落とされたら負けというルールは、ある種の実戦の理屈にも合っており、比較的多かった「なんども”同体”との裁定はどうなのか」とか、お客さんが隣の客と論評しながら楽しんでいた。自然にそういう議論が起こって大成功なのである。
     
     巌流島はまだまだ一般客には浸透していない。TD
  • なぜWWEやUFCがアメリカでメジャーになったのか? テレビの構造の違いとは?

    2016-03-16 12:00  
    今週のお題…………「格闘技とテレビ」
    文◎田中正志(『週刊ファイト』編集長)…………水曜日担当

     
     スペクテイター・スポーツというのは多くの皆様に見ていただいてナンボなのだから、サーカス巡業から派生したプロレス発展の経緯を紐解いても、テレビの普及が大きく寄与どころか、一緒に成長していったと記すのが正しい歴史認識であろう。実際、我が国に絞っても鶏が先か卵が先かではないが、力道山が悪役外人を空手チョップでなぎ倒す映像が、街頭テレビに何万人という群衆を集めたとか、やがてそれが一般家庭に浸透していった事実はまず確認する必要がある。時代変わってガチンコ格闘技が継続するプロ興行として独り立ちを始めた1993年以降に絞っても、当時はインターネットが一般にはなかったことを思い出せば、2016年の状況というのは多チャンネル時代という環境定義のみならず、またさらに、複雑になっていると分析せざるを得ない。な
  • 市場変化だけではない、誰が専門マスコミを衰退させたか?

    2016-03-09 12:00  
    今週のお題…………「格闘技と専門マスコミ」
    文◎田中正志(『週刊ファイト』編集長)…………水曜日担当

     今週のテーマをいただいて、ちょうど金曜3月4日に新・新生K-1の代々木大会があり、日曜6日にチャンネルを変えていたら、フジテレビ系CS放送で1997年のK-1グランプリ大阪ドーム開幕戦をやっていた。-65kg日本代表決定トーナメント、やはり世界選抜トーナメントよりも日本人選手の潰しあいの方が感情移入するというか面白い。優勝した山崎秀晃、奥さん美人だなぁとか激闘を堪能させてもらったが、そのあとに全盛期のK-1大会アーカイブ番組が放送。当然結果とか全部覚えている回だが、また完全に見入ってしまったのだ。
     なんせ1997年は、名古屋ドーム含めてK-1が3大ドームツアーを推進、栄華の頂点にあった。ピーター・アーツがチャクリキから独立、離婚もあったという時期だがやはり顔が若い。地元凱旋の佐竹雅昭
  • 田村潔司、スペクタル鎧戦、岩倉豪! 私が注目する3・25巌流島!

    2016-03-02 12:00  
    今週のお題…………「3・25巌流島! 私はここに注目する!」
    文◎田中正志(『週刊ファイト』編集長)…………水曜日担当


     "赤いパンツの頑固者"田村潔司が2月13日、ミャンマーはヤンゴンでの「初のプロレス大会」でZERO1の長身ジェームス・ライディーンとメインイベントを務めた。これがUWF回転体運動の象徴・田村にとってプロレス試合としては8年半ぶりのリング復帰戦だった。電子書籍ジャーナル「週刊ファイト」紅闘志也記者が取材しているラウェイの会場、プロレスのリングが届かなかった騒動が日テレ番組『バンキシャ』にも紹介されていたが、あらためて円形の土俵だけでよい巌流島ルールは、日本発のオリジナル格闘技として特に東南アジア進出の可能性を秘めていると感じた。中国の武林大会は、もともと巌流島とよく似たルールで先行している。あと、セネガル相撲がわかりやすい例で、東南アジアだと四角いリングでも金網でもな
  • なぜWWEは成功したか? 年商750億円の巨大ビジネスの秘密を解く!

    2016-02-24 12:00  
    今週のお題…………「なぜ○○○○は成功したのか?」(○○○○の部分は執筆者にお任せしてます)
    文◎田中正志(『週刊ファイト』編集長)…………水曜日担当

    写真:WWE現エースのジョン・シナ

     アメリカン・プロレス(通称アメプロ)の本質は専門誌紙の編集方針もあって、多くのプロレスファンには長らく誤解され、ファンの好き嫌いが極端に分かれるという傾向にあった。日米のマット界を比較して、わが国が何をすべきかを検証してみたい。
     先日、WWE2015年の年商が$658,776,800、1ドル115円計算だと約758億円と発表された。為替が動いている時期なのでドルベースで昨年度$542,620,000計上も、$30,072,000の損失も公表していた企業としては、増収増益の決算報告である。中邑真輔の栄転に絡んで新日本プロレスに配慮してなんらかの提携なりを発表する仁義すら必要なく、引き抜きは今後も続く
  • 格闘技素人の榊原代表だからこそ、高田vsヒクソン等の世間を驚かすカードが組めた!

    2016-02-17 12:00  
    今週のお題…………「なぜPRIDEは成功したのか?」
    文◎田中正志(『週刊ファイト』編集長)…………水曜日担当


     時流に乗る嗅覚こそがプロモーターの条件というなら、組織形態は変われどKRS(格闘技レボリューション・スピリッツ)時代の最初から組織にいた東海テレビ出身の榊原信行代表は凄いとしか評しようがない。1997年10月11日の『PRIDE ONE』、東京ドーム会場を埋めた9割以上のプロレスファンの願いも空しく、最強・髙田延彦が無敗=ヒクソン・グレイシーに完封される。しかし、世間一般が総合格闘技のことを話題にするようになった功績は計り知れない。
     
     実際のシュート革命は1993年からだが、専門家やマニアが騒いだところで一般ファンに届くにはタイムラグがある。K-1にも言えたことだが、PRIDEには何度も神風が吹いたし、タイミングが絶妙だったことになろう。また、ファン出身から記者になった
  • パンクラスとUFCの出現で、時代は「活字プロレス」から「シュート活字」へ

    2016-02-10 12:00  
    今週のお題…………「なぜグレイシー柔術は衝撃を与えたのか?」 文◎田中正志(『週刊ファイト』編集長)…………水曜日担当


    なぜグレイシー柔術は黒船だったのか~答えは簡単、ガチンコだったからだ。1993年シュート革命元年、K-1、パンクラス、UFCが期せずして同年に始動を始めたことが歴史の宿命、必然の流れだったとあと出しジャンケンの総括が認められることになるが、当時はとにかく様々な意味で驚きだったことを書き残す必要があろう。
     筆者は当時、ニューヨーク在住。この連載内でも少し触れたが、米国のプロレスは1984年からローカルテリトリー時代を卒業してWWEが全国制覇を成し遂げたが、おかげで月一回開催だったMSGでの定期戦興行が消滅、また団体が「公式マガジン」を自前で編集・発行するようになって、リングサイド撮影から締め出されてしまった。昼間のお仕事が忙しいことが理由にせよ、バイト待遇で記者仕事を
  • 猪木・新間コンビのIWGP構想をまさにシュート革命と共に実現したK-1

    2016-02-03 12:00  
    今週のお題…………「なぜK-1は成功したのか?」
    文◎田中正志(『週刊ファイト』編集長)…………水曜日担当

     
     石井和義館長率いる正道会館は、リアルファイトであることを強調するために、あえてキックボクシングの名称を封印、「K‐1という新しいスポーツなんだ」とフジテレビに売り込み、成功を収めた。沢村忠らの活躍で一時ブームとなったキックボクシングには、プロレス同様世間から「競技」と認められたことはなかった。実際、必殺の“真空飛びヒザ蹴り”でタイ人選手がマットに沈められる直前にはセコンドから合図のサインが出ていた。こうした「八百長」のレッテルを払拭するためにも、あえてキックと呼ばずにK-1とネーミングされたのである。ここに、K-1がなぜ成功したかの原点がある。
     また、石井館長は当時、前田日明率いるリングスと提携。プロ興行をどうプロデュースしていくのか、内部からじっくり観察してノウハウを吸収
  • 『巌流島』の魅力は自由度にあり! S・セガールの合気道演武が見たい!

    2016-01-26 12:00  
    今週のお題…………「3・25巌流島イベントで見たい試合」
    文◎田中正志(『週刊ファイト』編集長)…………火曜日担当(もうめちゃくちゃになってきました)

     

     マッチメイクに意見を求められたら、メモを書き始めて整理してみることが必要だ。但し、勝手知ったるプロレスや総合大会ならともかく、ルール細部含めてまだまだ新興格闘技の『巌流島』である。選手を派遣してくれる関係者に、まずコンセプトを説明するところから始めないといけない。これまでに関してイメージ的にも良かったのは、やはりドラゴンボールのようなカラフルな道着と、それぞれの流派代表選手がズラリ勢ぞろいという絵面だろう。そこからカポエラ出身のマーカス・レロ・アウレリオとか、期待通りの派手な闘いでファンを掴んだのは記憶に新しい。
     もともとが「すべての格闘技になるだけ公平」という前提でルールを詰めていった日本発のオリジナル格闘技である。いろんな流