ハックルベリーに会いに行く
なぜ差別がなくならないのか?(1,882字)
ぼくは今、岩崎書店という児童書の出版社の社長をしていて、直面しているのは「本が売れなくなっている」という状況だ。
最近はどこの出版社でも景気のいい話を聞かない。本自体がちっとも売れない。
これは外国もそうで、ヒットするというものが少ない。児童書の業界でいえば、10年前にはハリー・ポッターブームとそれに伴う児童書の隆盛というのがあったのだけれど、今はもうない。欧米でも子供たちは本を、そして小説を読まなくなったので、出版界は全般に元気がないのである。
そんな中でも数少ないヒットの一つが『ワンダー』で、これは全世界で800万部が売れ、アメリカで映画化されてこれも大ヒットした(映画は今年、日本でも公開される)。
どういう内容かというと、トリーチャーコリンズ症候群で顔が変形して生まれた10歳の男の子が、初めて通う学校でさまざまな無理解や差別に遭遇しながらも、徐々に友だちを見出し、その中で生きていくという話である。
この『ワンダー』に限らず、今、差別との戦いを積極的に描いた本がよく作られ、また売れている。なぜかといえば、今の世の中では生まれたところや皮膚や目の色、または病気によって差別するという古い価値観と、それに抵抗する新しい価値観がせめぎ合っていているからだ。
価値観が変化した原因はインターネットだ。インターネットとグローバル社会の現出によって新しい価値観が台頭し、それを巡って新旧が対立する構造になっている。そして新しい価値観の人たちが本を媒介に自分たちの考えを積極的に広めようとして、それが大きな売上げを記録している。
とりわけ、海外の児童書にはそういう作品が多い。岩崎書店でも古い価値観に基づく差別には反対の立場なので、そういう本をたくさん翻訳して出版している。
例えば『わたしはヴァネッサと歩く』は、転校生(移民のメタファー)に対するクラスメイトの偏見を、主人公がある方法を使って止めさせる。また『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ』は、アメリカで行われている白人による黒人の差別、特に警官が黒人を殺してしまう問題を描いている。
この『ザ・ヘイト・ユー・ギヴ』は、しかし単に差別を告発しているだけではない。というのも主人公は、貧しい地域に暮らしながらも富裕層が通う学校に通い、白人のボーイフレンドとつき合っている。つまり、黒人が白人と融合し始めた新しい社会で暮らしているのだ。その新しい世界にいながら、白人が黒人を差別するという古い価値観にもまだ遭遇してしまうため、そこに新種の軋轢が生じている。これは、新旧の価値観が交錯する今という時代を象徴するような立場の人間を描いている物語なのだ。
今は、単に差別がダメだといっているだけではもう古く、それがダメだと分かっていながらも古い世界の人たちがそれを手放せないため、そこに生じた軋轢をどのように解決するかということが大きなテーマとなっている。
今の世界には、古い価値観からなかなか離れられない人が多いのだが、なぜかといえばそこにしがみつかないと彼らのアイデンティティが保たれないからだ。彼らが守っていたものががらくただったとなってしまうと、彼らの財産や社会的立場でさえ毀損される。だからそれを守ろうと必死なのである。
なぜそういう世界が現出したかといえば、インターネットによって世の中がフラットになったからだ。世の中がフラットになって、例えば音楽に秀でた人は、たとえ旧世界での被差別クラスに所属していたとしても、簡単にお金持ちになれる世の中になった。しかしそれに伴って、そういう人から搾取してきた旧世界の差別クラスの人たちは、有り体にいって食べられなくなった。そういうふうに世界がフラットになると、能力のない人はどんなクラスに所属していてもどんどん食べられなくなる。それゆえ、それに抵抗する人が後を絶たないという構造になっているのだ。
この、能力がない人が食べられないという構造はあまりにも世知辛い。世知辛いが、しかし動物界の本質でもあるため、この流れを変えることはなかなか難しいだろう。
だからこそ、古い価値観を持つ人たちは必死に抵抗するのである。そんな彼らに対しては、単に差別を止めるよう説得するだけでは問題が解決しない。彼らの便益もはかっていきながら解決するというのが、今、我々に突きつけられたテーマなのである。そしてそのテーマについて考える本が、今、求められているのだ。上記の本は、いずれもそれをテーマにしている。
コメント
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>>1
ありがとうございます!