ハックルベリーに会いに行く
子供のイヤイヤ期について考える(2,220字)
うちの子供は一歳半になった。
そんな子供について、先日初めての体験をした。いつものように散歩に行こうとして、子供に靴を履かせようとしたら、その靴を取り上げて自分で履こうとした。それで「えらいなぁ」と感心しながら見ていると、なかなか上手くいかなかった。そこでぼくは、しびれを切らせて手伝ってあげた。すると、猛烈に怒って泣き始めたのだ。
そのため、「手伝われるのは嫌だ。自分でやりたい」というのは分かったので、また脱がせて再び自分でやらせてあげた。すると、怒りは収まりすぐにまた靴を履き始めたのだが、今度もなかなか上手くいかない。
そうしてたっぷり5分は格闘していただろうか。子供も最後はとうとうしびれを切らせて、靴を放り出した。その後、いまいましげに靴を殴っていたから、相当フラストレーションがたまったのだろう。
それを見て、「ははあ、これがイヤイヤ期というものだな」と分かった。それと同時に、「これは
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コメント
コメントを書く毎度、一つの現象から深められる深さが凄まじいですね。
子育てについても、自分の子供時代についても読み解く助けになり、大変勉強になります。
自分が小学生だった頃、絵皿の絵付け体験をした時に、上手な兄の絵を横目に、自分は何度絵をこねくり回しても上手く描けず、ついに泣き出してしまい母に残りを描いてもらったことを思い出しました。この時、泣いて投げ出すまで待ってくれた母に感謝です。
逆に、もっと近くで大学卒業時。在学中すでにやっていた一人暮らしがついに本格化すると言う時期に、「お金がもったいないから実家から通いなさい」という両親の言葉に抵抗できなかったことも思い出しました。一人暮らしする上での創意工夫や、独り立ちの機会を失ったこともそうでしたが、その後「いつかは独り立ちしてね」という親の矛盾した言葉にとてもがっかりしました。
話が逸れましたが、「成長」の「面白さ」を最大限保つ「助け」のバランスのヒントが、「ゲーム」にこそあるのかもしれないな、などと感じました。
>>1
こちらこそ、貴重な体験談をありがとうございます。
確かに子育てはゲームそのもので、ぼくが折角築いたやり方をすぐに捨てられるのはゲームをしていたおかげかもしれません。
逆にゲームだからこそ、どんな親でも上手くいくときと上手くいかないときはあるんですよね。
子育てゲーム論はもっと掘り下げると面白そうです。
貴重だなんて恐れ多いです!
しかし、お返事頂きありがとうございます。
「子育てゲーム論」、不思議な文字面ですね。興味津々です。楽しみにしています。