ハックルベリーに会いに行く
庭について:その35(1,670字)
19世紀には支配的だった「風景式庭園」は、やがて貴族の衰退とブルジョワの台頭と共に廃れていく。
なぜならブルジョワは、貴族ほどの広大な庭園を所有することはできなかったからだ。そのため、風景式庭園を造ることは非現実的だった。それよりも、自分たちの邸宅の適度な広さの庭にマッチした新しい様式が必要だった。
そうしてできたのが「コテッジガーデン」という様式である。「コテッジ」とは、郊外に建てられた比較的小規模な建物のことを指す。ここで「郊外」というのが重要である。
というのも、当時の都市はすでに「公害」と「過密」が進んでおり、人々が庭を楽しむような場所ではなくなっていたからだ。その代わり、都会で庭を楽しみたい人のためにテーマパーク化された植物園や、公園などが用意された。
そうして新興の中産階級(ブルジョワ)は郊外に小規模な邸宅(コテッジ)を有し、そこで庭を楽しむようになった。ガートルード・ジーキル
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