東條英機の父・英教は、1888年に陸大を卒業した後、ドイツ・ベルリンに留学する。このとき33歳。

そこへヨーロッパを視察旅行に訪れていた山縣有朋が来る。すると英教は、同じく留学していた陸大の同期・井口省吾とともに山縣有朋をホテルに訪ね、陸軍の長州閥をあらためるよう、かなり強い口調で詰め寄った。

このとき、山縣有朋は何も返事をしなかったという。しかし腹の中は煮えくり返っており、自分の目の黒いうちは英教と井口省吾を出世させないと難く心に誓い、周囲にもそれとなく伝えた。

おかげで英教は陸軍内で立場をなくした。しかし捨てる神あれば拾う神ありで、鹿児島出身の川上操六が目をかけてくれ、彼の部隊でいくらか立場を回復した。当時の陸軍は、確かに長州閥が牛耳っていたが、その権勢は必ずしも盤石ではなかった。建前的には身分制度のない平等な世の中で、軍人も全国から集まっていたから、長州閥を快く思わない者もそれなりに