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石原莞爾と東條英機:その23(1,604字)
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石原莞爾と東條英機:その23(1,604字)

2023-11-13 06:00
    二葉会と木曜会の両勉強会が合流する形で、1929年に一夕会が結成される。ただし両会は、合流後も解散はされず各々継続していた。

    一夕会の中心になったのはやっぱり永田鉄山で、彼はこの頃から陸軍人事の「使い方」をほぼ完璧に掌握するようになり、陸軍内での「静かなるクーデター――乗っ取り」を密かに決行し始める。そうして、自分が人事部の主要ポストに就くと、各部の要所に一夕会メンバーを次々と配置し、また上司も自分たちに近しい人間を擁立するべく、さまざまな形で運動した。

    この頃、山縣有朋の死から7年が経過し、旧長州閥の力は弱体化していた。おかげで、長州閥に恨みを持つ者たちが結束する形で、永田の動きを後押しした。
    また、昭和不況はいよいよ混迷の度合いを深めていた。ちょうどアメリカで株価が大暴落し、いよいよ世界恐慌が始まった。これは、ただでさえ不況で苦しんでいた日本経済にほとんどとどめを刺すような格好となった
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