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禅庭の巨大なイノベーターである夢窓疎石は、当時最も力を持っていた僧侶でもあった。
夢窓疎石は1275年に三重県で生まれる。実家は天皇の子孫という家柄で、いわゆる貴族であった。ところが、幼い頃に母方のお家騒動に巻き込まれ、山梨県に移住する。
10代で山梨県のお寺に入門し、修行を始める。最初は天台宗や真言宗を学ぶが、その教えに納得感を得られなかった。修行そのものが形骸化していて、本質的ではないと感じたのだ。
そこでより本質的なものに近づこうと、禅宗に鞍替えし、京都に来る。臨済宗のお寺に入って、やがて夢窓疎石を名乗るようになる。
その後、鎌倉に移って修行を続け、1305年に印可を受け、独り立ちした。ちょうど30歳のときだった。
印可を受けてから、後塵の指導や布教のため、全国のお寺を回るようになる。その生活を20年ほど続けた後、50歳になった1325年、後醍醐天皇の依頼で再度京都へ上り、彼のコンサ
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