二・二六事件が起こったとき、石原莞爾は参謀本部作戦課長という肩書きだったが、早くから反乱部隊の鎮圧組織に身を置き、その要として活躍した。

二・二六事件は繊細に推移する。最初は荒木貞夫や真崎甚三郎を中心にこれを容認する雰囲気が広がったが、そこから石原莞爾らの働きで徐々に鎮圧するという考えが広がっていく。

もとより、昭和天皇は断固鎮圧すべしとの立場だったが、皇道派があれこれと策を弄し、その意向をなんとか伝えないようにしていたのだ。

しかし石原は、そうした企みをことごとく断ち切って、最終的に全体の流れを鎮圧の方に強引に持っていった。その手腕があまりにも見事だったため、ここでまた周囲から一目置かれることになったのだ。

まず、事件が起こるとすぐに反乱部隊の本部が置かれた陸軍大臣官邸に駆けつける。そこへ入ろうとすると入口で反乱部隊の兵卒に止められるが、これを一喝すると強引に通過する。石原のその迫力に、