ハックルベリーに会いに行く
石原莞爾と東條英機:その64(1,872字)
1936年の2月に、石原莞爾は武藤章と協力して二・二六事件を鎮圧した。このとき、中心的な働きをしたのが石原と武藤だった。そうして一度は協力関係を築いた二人だが、すぐに袂を分かつことになる。
二・二六事件の後、武藤は関東軍――つまり満州へと異動になる。赴任後、内蒙古(モンゴル)の分離独立工作を担当することになった。モンゴルを中国から切り分けて
この工作を、はじめは田中隆吉という大佐が担当していたが、神経衰弱にかかってしまったため、代わりに武藤が担当することになった。つまり、それだけ神経をすり減らす仕事だった。さらにいえば、武藤はそれだけ肝が据わっている男であった。それは、自他共に認めるところだった。彼は単に頭が良いだけではなかった。それゆえ、二・二六事件でも力を示すことができ、周囲から一目も二目も置かれていたのだ。
この満州に、12月に石原がやってきた。このときは視察が目的だったが、そこ
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