1939年11月、この年の8月に第16師団長になった石原莞爾は「東亜連盟」という組織を主宰する。これは思想団体であるが、もちろん政治的な色彩(思惑)が強かった。

その政治的思惑の目指すところは、その名の通り「東亜(東アジア)」の連盟である。東アジアは、最初は日本、満州、そして中国を指していた。朝鮮が入っていないのは、このときすでに朝鮮は、日本に組み込まれた格好ととらえられていたからだ。

ただし、朝鮮はもちろん朝鮮民族として、日本とは区別されていた。石原の大きな思想の一つに「五族協和」というものがあり、この「五」は満州族、漢族、蒙古族、朝鮮族、日本民族の五つを指す。つまり石原は、朝鮮は日本とはまた別と考えていたのだ。

しかしそれは、このときはいえなかった。なぜなら朝鮮を日本と別にすると、また憲兵隊を通じて東條英機にあれこれと嫌がらせをされるからである。

東條に嫌がらせをされる以前に、